8 室生寺 天誅組 日本狼 國栖 浄見原神社 蜻蛉の滝 八王子神社 宮滝 談山神社 1994/09/15 作成 2003/06/24
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室生寺お参り。穏やかな柔らかい曲線の柿葺(こけらぶき)の金堂が石段の上に見え出し、全貌の見える小さな平地に出た。金堂前庭の右手の岩に彫られた明王像。 |
金堂からさらに石段を登ると本堂。ここは真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂、或いは灌頂堂と言い延慶元年(1308)の建立。
1998年台風により、樹木が倒れ五重塔を壊した。2000年に復旧している。壊れる前の五重塔だ。 |
天誅組が、「七卿都落ち」の政変で幕府に追われ吉野に逃れたが、追討を受け東吉野村で終焉を迎えた。始めて知った。
日本狼は、1905年、東吉野村で、捕まえたのが最後の狼となったとの事。多分、絶滅した。 |
謡曲「國栖(くず)」の地を訪問。今の吉野町國栖。高見川を南に渡り、トンネルを抜けて、10分程歩くと吉野川の際の山を削ったような場所に浄見原神社があった。
謡曲「國栖」は、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に逃げた時、舟に隠し匿って、後、天武天皇(浄見原天皇とも言う)になる目出度いすじ。壬申の乱を扱ったもの。 その時、酒と國栖魚と根芹(せり)を用意し、舞を舞う。その舞が國栖奏(くずのそう)。皇子はその後、中央構造線に沿って伊勢に、そして不破の関(関ヶ原)、野上行宮(のがみかりみや)へ、そして天皇になる。 中央構造線は、鉱物の産地である。丹沙、辰砂(水銀など)が採れた、國栖の人達も鉱物の採取をしていた山師、渡来人だろう。 皇子は、鉱物の産地を押さえていたわけだ。ただ、闇雲に吉野に逃げたわけではない。 それ以来、國栖の人達が國栖奏を朝廷で演ずるようになり、今も、この浄見原神社で舞われている。 |
川上村にある蜻蛉(せいれい:とんぼ)の滝を尋ねた。高さ50mの滝、滝壺の大きい滝。雄略天皇の名前が出てくる説明板があった。古い滝。 |
吉野町菜摘(なつみ)の八王子神社お参り。謡曲「二人静」でワキが女どもに若菜を摘ませた所。
話は、女どもの前に1人の女が現れ、「1日経を書いて回向してくれ」と頼まれ驚き、ワキにこの事を話す。菜摘女は静御前が乗り移って途端に狂い出す。ワキが 狂った女に舞を所望すると、静の亡霊も現れて、昔話をし、「しずやしず」の歌を歌って舞を舞い、回向を頼む。 |
宮滝を尋ねる。昔からここに離宮があった。吉野離宮だ。
持統天皇(天武天皇の皇后) が、よく来たようだ。両岸の岩が迫り、水は淀んで真っ青である。景色のよい所だ。謡曲「二人静」に「神の宮滝、西河(にじこう)の滝」とある。西河の滝は蜻蛉の滝のこと。 |
談山神社をお参り。大海人皇子が、ここで密談し、吉野に逃げた。天智天皇の娘、皇后(後の持統天皇)も一緒に逃げた。父より亭主を取ったわけだ。
談山能のポスターがあった。 |
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