9 宮城 末の松山 沖の石 多賀城趾 塩竃神社 御釜神社 青葉城 秋保の滝 西行戻り松 五大堂 雄島 瑞巌寺 尿前の関 1996/08/01〜1996/08/03 作成 2003/07/23
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「契りきな互(かたみ)に袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは」 清原元輔 |
また、文治灯籠があった。謡曲「錦戸」は、秀衡の子、錦戸太郎(國衡 長男庶子)が当主泰衡(秀衡の次男)と図り、泉の三郎(忠衡 秀衡の三男)を誘い、義経を討とうとするが、泉は父秀衡の遺言を守り応じなかった。その為兄2人に討たれてしまう話。その泉の三郎が寄進した物。 |
秋保大滝不動お参りする。 |
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10 秋田 磯崎神社 桐善寺 小町自像 小野小町堂 二つ森 1996/08/03 作成 2003/07/23
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秋田県雄勝(おがち)町の小野小町の生まれ故郷を訪ねた。
郡司として派遣された小野良実(おののよしざね)が村長の娘と結婚し、やがて比古姫(ひこひめ 小野小町)が誕生した。良実が都に帰るとき伴われて都へ出た小町は宮中に仕えることになり、和歌や琴に優れ、天性の美貌だったので、時の帝の寵愛を受け大勢の男性から求婚されるようになった。しかしこれを妬むものも居て都の暮しが嫌になり36歳で生まれ故郷に帰った。 |
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