8 平重衡墓(安福寺) 和泉式部墓 以仁王陵 井出の玉川 玉水 女郎花塚 小野頼風墓 石清水八幡宮 放生川 長岡天満宮 羽束師の森 平重衡墓(一言寺) 1993/07/08 作成 2003/06/03
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謡曲「千手」でも詳しいが、重衡は、頼政を宇治で破り、東大寺、興福寺を焼いて、一ノ谷で負け、須磨で捕まる。鎌倉に送られ、千手に世話になるが、南都僧の要求で奈良に送られる途中、木津で殺された。 |
謡曲「弓八幡」は、男山八幡の神徳を讃え、威武の聖代を祝う内容。「弓八幡」の名は弓、矢、幡の3つの武具を表したものだ。弓矢で戦勝を祝うのでなく、弓を袋に入れて武をおさめる内容。「謡曲大観」は、時の将軍に対する世阿弥の心意気、見識、熱情と言い切り、偉大な芸術家は時流を遠く離れ、遙かに高い所に立っているものである事を、静かに考えたいと思う、と言っている。将軍は義教とみて良い。 |
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