1 神奈川 御所五郎丸の墓 源範頼首塚 称名寺 青葉の楓 北条実時墓 北条顕時、金沢貞顕墓 放下僧仇討の跡

1991/05/12 作成 2003/05/06

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 横浜桜木町駅から岡の上に向かい歩いた。御所山はすっかり住宅地になっていた。そして、御所五郎丸の墓は住宅地の片隅にしっかりと建っていた。地元の人達がよく面倒を見ていてくれている。

 謡曲「夜討曽我」の後ツレである。建久4年(1193)5月28日、源頼朝が富士の巻狩をした夜、曽我兄弟が父の仇の工藤祐経(すけつね)を討ちとった時、五郎丸がその兄弟を祐経の館に導き本望を遂げさせたという。

 京浜急行金沢文庫駅で降り、金沢区片吹に大寧寺(だいねいじ)を尋ねた。ここに源範頼(のりより)首塚がある。範頼は頼朝の弟、義経の兄で、よく働いたが、頼朝に疑われ修善寺で殺される。

 謡曲には、直接出ては来ないが、幾つかの曲に、名前が出てくる。義経と一緒に、よく働いたからである。

 金沢文庫近くの称名寺お参り。 謡曲「六浦」の「青葉の楓」あり。鎌倉末期の、阿仏尼の息子、冷泉為相(れいぜいためすけ)が、先だって紅葉している楓を見て、「いかにして この一本に しぐれけむ 山に先立つ 庭のもみじ葉」と詠んだところ、これ以降、紅葉しなくなったそうだ。小さな若木だった。

 金沢文庫を作った北条実時の墓。

 鎌倉時代のトンネルがあり、この向こうは、「文庫がやつ」と言う地名が残り、金沢文庫の跡らしい。 称名寺と金沢文庫を繋ぐ道との事。

 実時の子、顕時(あきとき)、その子、金沢貞顕(さだあき)の墓もあり。

  謡曲「放下僧(ほうかぞう)」の遺跡、瀬戸神社お参り。兄弟で、ここ三島明神で、父の敵討ちをした話。ここがその敵討ちした場所との高札があった。

 際に、かやの古木があり、敵討ちも見ていたんだろう。

 武州金沢八景。中国の瀟湘(しょうしょう)八景をまねて、近江八景が出来、金沢八景が出来た。今は、見る影もない。

 帰りは、金沢シーサイドラインに乗り、金沢八景を高架の上から眺め、横浜へ向かった。

 

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