22 鳥取 島根 兵庫 岩井廃寺 浦富海岸 大山寺 大神山神社 熊野大社 須我神社 八重垣神社 人麻呂終焉地 石見銀山 石見国分寺跡 丹波篠山 2001/07/28 〜 2001/07/31
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1 鳥取 岩井廃寺 浦富海岸 2001/07/28
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この冬、行きそこなった残りを、再び車で回ることにした。2度目の道のため、幾分早い現地到着だった。 岩美町岩井の、義経の八艘飛びの時追い掛けていた教経の矢研石(のりつねのやとぎいし)を探したが、見つからなかった。すでに廃校になった岩井小学校付近を探したが、見つからなかった。ただ、岩井廃寺の塔礎石と由来の看板があった。 入り組んだ海岸線の浦富海岸を走る。景色のよいところだ。海から海岸を見る船が出ているようだったが、乗るのは止めた。国道9号線を西に向かう。 歌詠みの和泉式部は、ここ、湖山(こやま)で生まれたようです。産湯の井戸、胞衣塚があるとのことだが、調査不十分で、湖山町南に行き着けなく、ここも諦めた。因幡の白兎の白兎海岸を見ながら、泊り予定の皆生温泉に向かう。 |
2 鳥取 島根 大山 大山寺 大神山神社 熊野大社 須我神社 八重垣神社 2001/07/29
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夏の大山に登る。 謡曲にも「大山の伯耆坊」「伯耆の山」が出てくる。修験者の山。神仏混淆だったのが、明治の時代に、お寺と神社に分かれたそうです。 |
急な参道を徒歩で大山寺へ。本堂をお参り。その奥の大神山神社へ。途中、後向き門を潜り、本堂へ。 本堂の納経帳の神主さん(?)から、納経帳の諏訪大社などの記帳を見て、長野の諏訪大社、宇佐八幡、その他の神社は、ここの分社と言うお話をたっぷり伺う。出雲大社は、記帳して貰ってあったのに話が出なかった。 ここに車を置いて、標高1700mの大山への登山者がたくさんいた。 和鋼博物館で、たたらを勉強。ここで、しゃれた店があり、中海を眺めながらスパゲッティを食べた。足立美術館を予定したが、時間不足で割愛。 |
八束郡八雲村(やつかぐんやくもむら)の熊野大社をお参り。社殿は 真新しかったが、古いお宮さん。スサノオノミコトの「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」の石碑があった。また、さざれ石があった。 大原郡大東町の須我神社をお参り。ここも古いお宮さん。記帳してくれた、ここの奥さんと話をする。今日は三瓶温泉まで行く。まだ、大分、距離があるよ。とのこと。 |
松江市の八重垣神社をお参り。スサノオノミコトがヤマタノオロチ(砂鉄の出る、長さ75kmの斐伊川(ひいがわ))を退治して、稲田姫(農耕の)と宮作りしたところ。縁結びの神様。鏡の池 、夫婦椿があった。 小泉八雲もここ来て、鏡の池に興味を示した。の説明あり。 三瓶温泉に泊る。 |
3 島根 人麻呂終焉の地 石見国府跡 石見銀山 2001/07/30
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三瓶温泉の近く、邑智郡邑智町(おおちぐんおおちちょう)に湯抱え温泉がある。斉藤茂吉が推定した、柿本人麻呂の終焉の地とのこと。温泉の入り口の橋の袂に茂吉「人麻呂がついの命を終わりたる鴨山をしもここと定めむ」歌碑があった。字が読めなかったが、地元の人に聞いたら、これとのことだった。そのほか、数個の歌碑があった。 歌を詠む人達が大勢、来ている。 石見銀山へ行く。大森代官所跡の石見銀山資料館による。街道の町並みを少し歩き、切り上げる。 |
人麻呂の渡し、人麻呂の松があるようですが、場所が特定できず、諦めた。浜田市のガソリン屋で石見国府跡を尋ねたら、石見国分寺跡を教えてくれた。尋ね当てた。国府跡は諦めて、今夜の宿、神戸、有馬温泉へ。 今回も、行き先が多すぎたようだ。 有馬温泉の茶色い湯は、少しも記憶に残っていなかった。数十年前に1度来たことがあったが、温泉場の雰囲気をはじめ、何も覚えなしだった。よい湯だった。 |
4 兵庫 丹波篠山 2001/07/31
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能楽資料館のある、丹波篠山に向かう。歴史資料館を見学。裁判所の建物だったようです。木造でした。篠山の工芸品、武具、埋蔵文化財などの展示していた。 春日神社をお参り。立派な能舞台があった。床下を覗くと、大きな甕が数個、斜めにして、ばらばらに埋めてあった。神社の木陰で、お結びの昼食にする。涼しく、食べたいだけ食べて、よい昼食だった。 少し南に下り、川原町妻入り商家群の町並みを歩く。道に面した白壁の妻が黒っぽい窓や軒で区切られ、落ち着いた、のんびりした感じがあった。 能楽資料館に入る。豊富なお面が目に付いた。衣装、楽器類を見る。篠山城は行かずじまい。
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