7 土蜘蛛墓 式子内親王御墓 牛若丸誕生井 1993/05/04 作成 2003/06/01
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2003.8.13 式子内親王御墓を尋ねて、般舟院陵を尋ねた。 |
ここは、定家時雨亭の跡と言われ、式子内親王の五輪塔があって、後に般舟院陵となったようだ。謡曲「定家」では、式子内親王と定家の恋の物語だが、「・・・石塔を見れば、星霜古りたるに蔦葛這ひまとい形も見えず候」、「これは式子内親王の御墓にて候。又この葛をば定家葛と申し候」、と言う問答がある。 式子内親王は後白河天皇の子で、二条、高倉天皇、以仁王と兄弟であるが、子供の頃、賀茂の斎院となり、病気になって、退下。武家の台頭の頃で、平家台頭、以仁王の乱、平家滅亡を見てきた人。華やかな宮廷生活はなかったようだ。墓というこの石塔も陵の内にない。 「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらえば 忍ぶることの よわりもする」 式子内親王 |
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