7 宮城 甲冑

1995/08/03 作成 2003/07/08

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 白石市斉川(さいかわ) の旧国道沿いに、「奥の細道 甲冑堂」、「田村神社」の標柱が立っている。坂上田村麿を祀った田村神社、また、その境内に、甲冑堂があり、お参りする。

 甲冑堂は、義経の身代わりとなって、敵に討たれた佐藤忠継、忠信の死を、母が嘆くのを見て、兄弟の妻、楓と初音が夫の鎧、兜をつけて老母を慰めた。その妻女たちを讃えて、その像を安置している。

 

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8 山形 万松寺 阿古屋松 藤太宮 山寺 出羽三山 念珠ヶ関 仙人堂

1995/08/03〜1995/08/05 作成 2003/07/08

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 山形市の万松寺お参り。阿古屋姫の開祖、行基菩薩の開山 のお寺。

 土地の伝説に、陸奥守として赴任した藤原豊光の娘、阿古屋姫は地元の男と恋に落ちた。ある日、男は今日限りの命と言って別れようとした。姫はすがりついて泊めようとしたが、消え失せた。その後に、松の影のみ残った。

 ある時、老松が橋普請のため切り倒され、運ぼうとしたが、少しも動かなかった。姫は老松のことを思い出し「山の千歳の松よ」と声を掛け、懇ろに供養すると、不思議や人夫の思うとおりに動き出した。姫はこの松に操を立て尼となり、松のあった所に庵を結び終世松の霊を弔ったと言う。死んだ時は、この松の根元に埋めて貰い松を植えて貰った。この松が、阿古屋松だ。

 この話を聞いた藤原実方(さねかた)は感銘して自分もこの地に移り住んで一生を終えたそうだ。

 謡曲に「阿古屋松」がある。名高い松の中でも「阿古屋の松」は特に名高い、と言う内容だ。この物語ではない。

 山形市の住吉神社お参り。鳥居には「藤太宮」の額が掲げてあった。炭焼藤太は、奥州藤原氏を栄えさせ、義経を助けた金売吉次の親だ。
  8月4日。山形の山寺立石寺(りっしゃくじ)をお参り。9世紀、清和天皇の勅願、慈覚大師が開いた天台宗のお寺。

 芭蕉もここを訪れ、句碑がある。 「閑さや 巖にしみ入 蝉の声」 芭蕉

 この写真の奥に見える宝塔は、清和天皇の供養塔で、威徳を慕い国家の安泰を祈り建てた石塔である。 

 出羽三山神社をお参りする。 雨のお参りだった。

 湯殿山に登り、裸足でお参りしてきた。

  8月5日。温海(あつみ)町の念珠ヶ関(ねずがせき)を尋ねる。越後と出羽の国境の関所である。小公園に「史跡念珠ヶ関址」の石柱があった。
  1996.8.3 宮城の塩竃神社、秋田雄勝町の小野小町を訪ねた帰りに、最上川の仙人堂を廻ってきた。

 仙人堂は、源義経一行の常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)が800年前に建立した言う。衣川の後、ここに逃れ一生を終わったと言う。

 

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