3 安楽寺 お勝ち山 円興寺 朝長墓 赤坂港  岐阜

12 km                    2000/09/23

その他


 

 

ouhaka00111901.JPG (12794 バイト) JRのウォーキングに初めて参加。あいにくの雨で、赤坂の駅で参加数を聞いてみたら100人前後とのこと。赤坂駅前はテント張りの即売所となっていたが、少し気の毒に思えた。

 大垣市赤坂の青墓の土地は、源朝長(義経の兄、義朝の子)の母の里、死んだ場所であり、数回来ているが、歩いたのは、中山道歩きで歩いただけで、寄り道していなかった。雪の朝長墓を撮りに、3回ほど来ているが、その時は、写真のみが目的だった。

 謡曲「朝長」に、平治の乱で義朝は敗れ、東国へ逃れるとき、ここ青墓で朝長自害の描写がある。

 朝長の御声にて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と二声のたもう。鎌田殿参り、こは如何に朝長の御自害候、と申させ給えば。義朝驚き御覧ずれば、はや御肌衣も紅に染みて目もあてられぬ有様なり。その時義朝、何とて自害しけるぞと仰せられしかば、朝長息の下より、さん候都大崩れにて膝の口を射させ・・・・・・。とある。

 その青墓である。ここもお気に入りの場所である。

 また、関ヶ原の戦いの場所でもある。

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 安楽寺。家康の初陣がはられたところ。お寺の裏の勝山が本陣だった。きれいに整備されていた。相手方の城、大垣城までは、4kmしか離れてなかったと看板にあり。

 途中、お休み所もあり、雨さえなければ、歩きの列が出来たと思われる。お休み所で化石をいただく。貝の化石だそうです。きれいに磨くとよい置物になるとのこと。石灰岩の山があり、セメント工場がある。

001117005.JPG (14769 バイト) 円興寺。朝長のお寺。比叡山の最澄さんの創建だそうです。昔は山の上にあり、朝長の墓はその山にある。今の位置は、谷間が開けた平地に出る山裾にある小さなお寺である。

 1kmほど山に入り、野外活動センターで昼食。雨が激しくなる。しばらく休むも降り止む気配なし。

 朝長の墓は、雨のため止めとする。登り口は2カ所ともきれいに整備されていた。途中、赤坂港跡を経由して駅に戻る。14時だった。

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