1  高松塚古墳 天武天皇陵 橘寺 石舞台 岡寺 板蓋宮跡 飛鳥寺 甘橿丘  奈良

15km   2000/11/23

京都奈良


 

 飛鳥駅を降りていつもの通り、カメラを腰に付け地図を出し、手ぬぐいを腰に差し、きれいに整備されている駅前を歩き出す。いつもの通りの歩き始めです。

 整備された小川に沿って、高松塚古墳に向かう。今日は行楽日和のより天気となった。

asuka001123.JPG (16541 バイト) 駅から15分位で、高松塚古墳。コンクリートで固められて内部は見えない。近くに高松塚壁画館があり、上手に作られたレプリカが陳列されていた。

 公園の中を通り飛鳥歴史公園館を見せて貰い、鬼の雪隠、鬼のまないたを見る。古墳の石室の一部とのこと、両者が少し離れていたのは、人が動かしたのかなと思う。道が整備されていて、迷わずに目的地に行ける。有り難いことです。

asuka00112302.JPG (18719 バイト) 天武天皇、持統天皇のお墓をお参り。持統天皇は天武天皇の嫁さんであるが、天武天皇の兄である天智天皇の娘である。すなわち、姪を嫁さんにしたのですが、しっかりした嫁さんだったようです。

 父親の方に付くのではなく、父親を捨ててその時の情勢では不利である、自分の旦那である天武天皇に付いて吉野に逃げ、伊勢に出てと。壬申の乱では旦那が勝って天皇になった。相当、裏で旦那の面倒を見たのだと思われる。

 殺されるならば旦那といつまでも一緒にという気だったのかな、情勢判断をして賭けた方の旦那に付いていったのかな、どちらにしろ、歴史の表舞台を歩いた人だった。最後は天皇にもなってしまう。血なまぐさい権力闘争の中ですごい女だったのだなと思いながら歩いた。

 落ちついた陵からは、そのような生臭さは、微塵も感じない。今の世の中は、実に平和であり、何の心配もなしで、私は飛鳥の里を歩いている。もの凄い落差を感じながら歩いた。

 大海人皇子(天武天皇)が吉野に落ちる道は芋峠の様です。歩きは少しつらそうなので改めて車で来よう。

 亀石をみる。

asuka00112303.JPG (21044 バイト) 橘寺。聖徳太子の生まれたお寺さんのこと。本堂をお参り、二面石を拝見。最近作られた収蔵庫、天井画のある往生院をお参りする。

 聖徳太子も天皇にはなれず(ならず)、都より離れた斑鳩に住んで、遣隋使を送り出したりしたようです。その時の情勢を良く読んで、自分の生き方を決めた方の様です。出来た人だったんですね。

 聖徳太子の時代は蘇我氏がきわめて強かった。その前に蘇我氏は物部氏を滅ぼしている。その蘇我氏を、中大兄皇子(後の天智天皇)が藤原氏と組んで殺し、大化の改新を行う。それでも中大兄皇子は天皇にはならなかった。

 歴史とは、人殺しの歴史である。かのイギリスのエリザベス一世、唐の則天武后も政敵を1万人は殺しているとのことです。その結果、今がある。とか考えて歩いた。

 橘寺の東門を出て、飛鳥川を上り、玉藻橋を渡る。渡った所で持って行った昼食の結びを食う。すこし、時間を使いすぎた。休まず出発。

asuka00112304.JPG (23309 バイト) 石舞台を見る。蘇我馬子の墓だそうです。観光バスが沢山来ており、、もの凄い人。早々に引き上げる。

 急坂を上り、岡寺へ。落ち着いたお寺さんだった。

 雑木林を下る途中で、酒船石(さかふないし)を見て、自動車道に出た。

asuka00112305.JPG (15396 バイト) 少し南へ下り、伝板蓋宮跡(でんいたぶきのみや)へ。「伝」は、それらしいの意味のようだ。石で囲った溝、生け垣できれいに整備されている。

 板蓋宮は、中大兄皇子が蘇我入鹿を殺した所だそうです。いまは礎石しかないが、そのような歴史のある場所なのだ。

asuka00112306.JPG (14867 バイト) 稲の刈られた田圃の中を歩いて、飛鳥寺へ。蘇我入鹿の首塚をお参りして、お寺へ。随分大きなお寺であったらしいが、今は本堂だけである。発掘調査の写真があった。随分広い境内だったようです。

 飛鳥大仏さんをお参り。お寺さんのくわしい解説があった。

asuka00112307.JPG (15958 バイト) 甘橿の丘へ上る。140mくらいの高さがあり見通しのよい場所である。蘇我の蝦夷、入鹿の屋敷のあった場所とのこと。城だったなと思う。

 猿石、川原寺跡、は予定に入っていたが、行き損ねた。また、来よう。

 橿原神宮駅から近鉄で帰る。

 

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