1 ドイツを訪ねる ドイツ
40km 2019/08/07〜2019/08/21 |
グローバル化の進むEUのドイツを、2週間、旅をしてきました。ドイツまで1日、次の日は休息。3日目から始めます。 入国手続きは、最初のEUの国、フィンランドのヘルシンキで。 |
![]() ![]() ハノーファー中央駅と駅前の観光バス乗り場(次の日に乗りました)。 生活用品など百貨店、個人の店で買物。 |
![]() ![]() 検札でカバーしている、らしい。 運賃1.7Eur 検札時の罰金40Eur。 |
![]() ![]() 郊外のヘレンハウゼン王宮庭園へ。 1日乗り降り自由の観光バスで。18Eur。 日本の庭園と異なり、図形のような庭でした。 |
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![]() ![]() ハーメルン博物館前の笛吹き男の像(ドイツではネズミ捕り男と言われてる) 道路には、笛吹き男のプレートが填められ、子供を連れ去った道を示している、そうです。 |
![]() ![]() ![]() 仕掛けの動く時間まで、一服。 |
![]() ![]() 実際、笛吹き男は、この町の子供らを連れ去ったらしい、とのこと。 十字軍という蛮行が終わった後の13世紀のことらしい。先進国のアラブに比べて、後進国だったドイツの話です。今は、世界最先端を行くEU、という連合国家を作っているドイツです。 日暮れは、21:00過ぎです(今は、夏時間です)。 |
![]() ![]() 単相(電線2本1組)もあり、鉄道専用の送電線、らしい。 町を離れると、畑の広がる農村地帯です。 |
![]() 高速道路で、最高時速180km 4時間。いつでも、飛行場に作れるに、まっすぐです。 高速道路の運転マナーは全然よし、危険だもんね。 |
![]() ![]() 日本の品物、何でもあり。ただし、高価。 ドイツの消費税 19%。物価、賃金は、1割ぐらい高いのかな。 食事は、このほか、ご飯、唐揚げ、味噌汁、にした。 |
![]() ![]() バス100番に乗る。1.7Eur。 バス100番、200番は、観光に便利でした。ベルリンの繁華街を東西に2ルートです。 バス乗り場と戦勝記念塔のロータリー交差点。 |
![]() ![]() ![]() 国会議事堂、ブランデンブルグ門、フンボルト大学。 ナチスの映画に、よく出てくるブランデンブルグ門、初めて見る。 |
![]() ベルリン大聖堂。 |
![]() ![]() 船着き場のある、シュプレー川。 バス100番の終点、アレキサンダープラッツ駅。 |
![]() 3つ目のベルナウアー通りで降りる。 |
![]() ![]() ![]() (中)向こうが東ベルリン側の壁。棒の立つ位置が、西ベルリン側の壁。緩衝地帯を設けた、と言う。 (右)1971年当時の写真。 |
![]() ![]() 一部分だけ残してある壁、緩衝帯、監視塔。 実に、よく、保管している。 当時の西ドイツが、黙って、ものすごいお金を負担して、国民を纏めて、すでに20年以上。すごいもんです。感心します。 それに比べて、威張りかえる我が国のみすぼらしいこと、恥ずかしくなります。 EUを潰さず、頑張ってください、ドイツの国民の皆さんに。 |
![]() ![]() 2階最前列の席に。乗る人が少なく、運がよかった。 アレキサンダープラッツ駅から東方面を見る。高架の郊外鉄道、今回は乗りませんでした。 菩提樹の並木道、Unter den Linden リンデン通り。 |
![]() ![]() バスは、門を避け、北に回り込み、東に進む。 戦勝記念塔。大きなロータリーの交差点。ホテルはこの近く。 |
![]() ![]() ベルリンの中心部を船から見て回り、ブランデンブルグ門を歩いてくぐった。 アレキサンダープラッツ駅近くのテレビ塔。 テレビ塔と、 森鴎外の舞姫の舞台となった教会、と言う。 しばらく歩いて、船乗り場に。 |
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![]() ![]() 今回、博物館は入場した箇所はなかった。 |
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![]() ![]() 旧博物館前のバス停でバスに乗り、ブランデンブルグ門で降りる。 |
![]() 物乞いのおじさんに合いました。 |
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![]() ![]() 説明所があったが、行列が出来ていたので、見るのは止めた。 今年、大統領が、ポーランドで、ドイツのしたことを、謝っている。ドイツ国は、自分の過ちを、しっかりと認めている。 さすがに、先進国で、世界をリードする国です。ですが、日本国企業に就職したいというドイツの若者は、極めて少ない、らしい。 私の話した人は、すべて国際結婚でした。ドイツ人の国際結婚は随分と多い、らしい。ドイツに住む日本人も、国際結婚が多い、と聞こえてくる。 これからの世界における国のあり方を示しているようだ。 日本国も、東南アジアで、EUのような形が出来上がったら、どんなに素晴らしいことかな、と思う。日本国の憲法も生きることでしょう。 すでに、経済、教育の世界では、始まっている、と思っています。世界の若い世代に期待しています。 |
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![]() アウトシュタットを見て帰る。 アウトバーンの事故渋滞。30分程度で済んだ。片側4車線です。 |
![]() ![]() 工業地帯という感じは受けなかった。畑の中にある工場群。 入口と建物内部 16Eur。 4時間ほど過ごすが、帰り際に、どえらい雷雨あり。足止めを食う。 |
![]() ![]() 博物館と、各車メーカーの展示場、遊び場、ホテル、レストランあり。 日本国と同じくらいの面積に、8000万人の国。しかも、山が少ない。町も工場も年も、狭ゼマしい感じはなかった。 |
![]() ![]() ![]() 古い車 1908年フォードT型。 1937年のVW。 |
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10日目 ハノーファーにて マーケットで買物をして、学校を見て、マッシュ湖へ。 |
![]() ![]() ![]() 店内のコーヒー店。 一般の公共の車駐車場。 日本の郊外型のマーケットスタイルではない。 |
![]() 夏休み中。9月から、新学期が始まる。 子供らは、学級の仲間と、先生が変わることが、気になるらしい。 |
![]() ![]() ヒトラーが、失業対策で作った人造湖です。 |
![]() 郊外の田舎道。電柱が見当たりません。 |
![]() ![]() ![]() 小型の城が小高い丘に。 |
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![]() ミヒャエリス教会。1010年頃に活動を始めていた。 1800年頃から病院としても使われた ナチスの時代、500人の人が強制収容所に送られ殺された。 空襲で焼け、1960年に再建。 |
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12日目 休息日。 |
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![]() ![]() 日本のうな丼が、1番でした。 |
![]() 太くて、大きくてグロテスクでした。 |
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![]() ![]() 左 ハノーファーの空港。日本人は、我1人。 右 ヘルシンキの空港 出国手続きはここで。ここでは、日本語が耳に入ってきます。隣の席にも、日本人でした。 日本到着は、15日目、朝でした。蒸し暑かった。 |
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