10 御上神社 三上山 祇王寺 祇王屋敷跡    滋賀

16km       2004/10/17

その他


 

 JR野洲駅から歩いた。

 朝鮮人街道に出て、旧中山道に出る手前の小学校の前に、少し綺麗に整備した川があった。

 祇王が平清盛に頼んで、承安3年(1173年)、三上地先の野洲川から琵琶湖野田浦に至る3里(12km)の水路を造った。祇王井と呼ばれ、800年、田を潤し、安らぎを与えてくれている、と説明があった。

 背くらべ地蔵あり。鎌倉時代の物で、中山道の旅人を護り続けてきたお地蔵さんだ。

 子を持つ親が、子がお地蔵さんの背の高さになったら一人前と背比べさせるようになったそうだ。

 御上神社お参り。三上山がご神体。

 松茸山だので、入山料500円の看板が沢山立っていた。神社で入山料を払い、聞いてみると、松茸は、いくらでも取って良いそうだ。

 古来、安国造(やすのくにのみやつこ)やその一族の勢力圏であり、古墳群もこの山麓に多く存在し、多くの銅鐸の出土にみられるように近江古代文化の中心の一つであったと思われる。

 楼門を潜ると、拝殿。拝殿、本殿が一直線に西に向いて並んでいる。簡素な境内だが、神寂びた雰囲気。

 本殿は鎌倉時代の建物であり、国宝。

 御祭神・天之御影神が孝霊天皇六年、三上山に降臨されその後、御上祝によって三上山を磐境として祀られたと言う。

 社殿を持たず、神奈備山を祀る古代の信仰形態が本来の形だったらしい。現在地は、当時の遥拝所の場所だそうだ。

 表登山道の登り口に、魚釣岩。昔、琵琶湖の水位が高く、この岩から魚を釣ったそうだ。三上山は、古い時代の岩石で出来ている山との事。急坂の山。

 ここから、妙見堂跡まで、石段だ。

 妙見堂跡。荒れ果てている。
 頂上手前200mに割岩あり。人1人通る事の出来る割れ目がある。

 岩が露出している。

 急な登山道。岩が多い。頂上50mほど手すり有り。
 頂上に鳥居と祠あり。その前の一枚岩の上に岩が1つ。注連縄が巻いてあったが、登山者が登り放題の様子。
 守山、比叡山方面の眺望。

 霞んで、比叡山は、ぼんやり。

 祠の後、5,6mの高台有り。この辺りの1番高い所だ。標高432m。三角点は無し。
 三上山を西から眺めると、2つに頂上が割れているように見える。その場所だそうだ。苔が多いので、苔が谷と言われている。

 下に見えるのは、野洲町の希望ヶ丘文化公園だ。

 裏登山道。表より坂は緩やかだ。
 麓に、天保の熱(ほとおり)あり。毎年、ここで天保義民祭が行われている。

 19世紀半ばの江戸末期、天保の飢饉に見舞われ、近江国天保一揆がおきた。野洲ではこれを天保義民と言っている。三上村庄屋土川平兵衛ら、行政組織の末端である庄屋が指導し処刑された。

 平成4年に建てた碑があった。

  「人のため身は罪とがに近江路を別れて急ぐ死出の旅立ち」

 義民土川平兵衛の威徳を偲び、ここに今の世の願いをカプセルに収め50年(2042年)後に開ける事にする。 天保義民150年顕彰事業実行委員会

 三上山全景。
帰り道の旧中山道に「旧跡祇王井川」の石の碑があった。
 祇王寺を尋ねた。庵主さんは、病気で門が閉まっていた。このお寺は、村人が建てた尼寺だ。

 民家と見違える、小さなお寺だ。

 祇王、祇女、仏御前、清盛などの木像があるそうです。

 屋敷跡という所に、碑が建っていた。

 のんびりとした十数戸の集落の中にあった。

 今日は、良く歩いた。

 

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