31 法金剛院 待賢門院陵 広隆寺 京都 7km 2008/07/06
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待賢門院陵と広隆寺弥勒菩薩に会いに出かけた。久しぶりに、山陰線花園駅を利用した。 |
法金剛院をお参り。
団体さんが多かった。蓮が目的かな、と思う。 |
法金剛院庭園。平安末期の浄土式庭園の遺構という。
女の滝(あおめのたき)。平安時代の人工の滝で、長い間、埋もれていた。昭和45年に掘り出された。 |
蓮。 |
菩提樹と沙羅双樹。 |
秋海棠(しゅうかいどう) 。 |
待賢門院堀河の歌碑。 長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物こそ思へ
はじめ白河院の皇女令子内親王(前斎院)に仕えて六条と呼ばれ、のち鳥羽天皇の中宮待賢門院藤原璋子に仕えて堀河と呼ばれるようになった。 「摂政左大臣忠通歌合」「西宮歌合」などに出詠し、(康治2年)崇徳院に召されて「久安百首」に出詠している。西行との贈答歌も残っている。 |
待賢門院陵お参り。
法金剛院の北、五位山に。
歩いて広隆寺へ。太秦の映画村は、観光バスが一杯。 |
広隆寺。真言宗。 帰化人の氏族である秦(はた)氏の氏寺。平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。 国宝の弥勒菩薩半跏像あり。聖徳太子建立七大寺の一つ。 |
講堂と本堂。 |
霊宝殿。
飛鳥の弥勒菩薩半跏思惟像ほか、各時代の仏像あり。 折れた薬指は付いていた。ただし、触れないずっと奥に居らした。 |
太秦の裏道に、蕎麦屋あり。昼食。
少し高かったが、うまい昼飯でした。 |
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