132 潮音寺 杜国公園 芭蕉園地 磯丸園地 柳田国男逗留地 西行歌碑 万葉歌碑 伊良湖岬 愛知
12km 2015/02/28 |
西行は、2回目の奥州行きに伊勢から海を渡り伊良湖から歩いて鎌倉、奥州へ向かったという。また、芭蕉は、商売でヘボをして伊良湖に流された弟子の杜国(とこく)を尋ねたという。思い立って出掛けてみた。 |
JR豊橋駅。最近は、どの駅も新しくきれいになった。 年寄り達も、沢山の税金を出しているもんな。時には、このような旅にも出れて、まあ、何とか食えるので、駅がきれいになること位いいんかな、と思う。 豊橋駅から伊良湖行きのバスに乗る。この時期、土日2000円の切符があった。我は日帰り。 |
福江の集落の潮音寺に杜国の墓を訪ねた。 お参り。 人は誰もいない。お経が聞こえた。 |
きれいな庭あり。 山頭火、白蓮の碑、が境内に。 |
杜国の墓と師弟三吟の句碑。 麦生えて能隠れ家や畑村 芭蕉 冬をさかりに椿咲く也 越人 昼の空蚤かむ犬の寝かへりて 野仁(杜国) |
種田山頭火 句碑 昭和14年4月、知多師崎から福江港に着き1泊。翌日、伊良湖岬に向かう途中杜国の墓を詣でたという。 あの雲がおとした雨にぬれてゐる 波音の墓のひそかにも |
柳原白蓮 歌碑 南無帰依佛 まかせまつりし一筋の心としらば救わせたまへ 白蓮 白蓮は、平和運動、女性の地位向上に全国を行脚。この潮音寺に立ち寄ったという。 |
国道259号線から少し入ったところに、杜国の屋敷跡あり。 |
杜国の屋敷跡。 碑文 旧里を立去て伊良古に住侍りしころ 春ながら名古屋にも似ぬ空の色 杜国 |
200kw程度の太陽光発電、3枚あり。 発電して送電中。電圧200v。 |
保美(ほび)のバス停。 芭蕉句碑園地まで10kmあり。歩きは止めて、バスに乗る。 切符は、このあたりから半島先端は、乗り降り自在でした。 |
芭蕉句碑園地の看板。 |
芭蕉句碑園地 鷹ひとつみ付けてうれしいらこ崎 と刻まれていると言うが、読めなかった。 |
芭蕉句碑園地の際に、芭蕉翁之碑の登り口。 |
芭蕉翁之碑 寛政5年(1793)5月の建立。 芭蕉翁之碑の側面に 鷹ひとつ 見つけてうれし 伊良虞崎 |
菜の花畑。 |
柳田国男逗留之地。 柳田が、ここに逗留した時の椰子の実の流れ着いた話を親友の藤村に話したことで、藤村はあの有名な椰子の実の歌を作ったという。 |
伊良湖村記念碑あり。磯丸の歌碑2基も。 軍隊の試射場のため追い立てられた場所という。 |
糟谷磯丸(かすやいそまる)の歌碑。 伊能忠敬、間宮林蔵、小林一茶、渡辺崋山らと同年代の18世紀後半の漁師の歌歌い。 家内わかふの歌よみてよとありければ 磯丸 むつまじく君もろともに住のえの松に契りて千世もさかえよ。 |
夏ころもきてもみよかしいらご崎涼しき浪のよるの月かげ |
伊良湖港.。フェリーの発着場。 |
西行歌碑。 西行は、2回目の奥州行きに伊勢から海を渡り伊良湖から歩いて鎌倉、奥州へ向かったという。 |
浪もなしいらこが崎にこぎ出てわれからつけるわかめかれあま |
鬼堕(きおとし)古墳。 6,7世紀の直径10m程度の家族墳と言う。 |
恋路が浜に誓いの鐘。 |
恋路ヶ浜。 |
伊良湖岬の散歩道と恋路ヶ浜。 |
金子兜太、伊良湖句碑 差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり |
海軍機動艦隊戦没者慰霊碑。 |
有名な書家、鈴木翠軒(すいけん)の碑。 田原の人。 |
万葉歌碑。 鈴木翠軒の揮毫。 麻績王(おみのおおきみ)が伊良湖に流された時の歌。 うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良湖の島の玉藻刈り食す |
伊良湖灯台 沖に神島。 |
いのりの磯道(磯丸歌碑の道)。 |
伊良湖のゴーストタウン。 すべて旅館なれど営業していない。 |
渥美鉄道 三河田原駅 バスは、伊良湖発15時過ぎは、ここ田原駅まで。 電車で豊橋駅に戻る。 忙しい1日でした。 |
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