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       96 足助街道 飯田街道 伊勢神トンネル 伊勢神峠 野口雨情ゆかりの地 舞木廃寺塔跡 愛知 4km 2010/07/23〜2011/03/30 
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|  足助(あすけ)町は、豊田市に編入となり、消滅。
       足助という名は、足助川、足助街道は残っているが、足助町中心部の町名のみとなってしまった。 今日、足助の歯医者さんに出掛けた、ついでに、飯田街道伊勢神(いせがみ)峠まで行ってきた。片道50km、飯田街道ではなく、大多賀(おおたが)、田口(たぐち)へ通ずる足助街道を走った。  | 
    
  足助街道に、名号石(みょうごういし)と言う石塔
を、2箇所、見付けた。
      説明あり。 名号石、江戸時代随一の念仏行者といわれる、徳本上人が書いた名号を彫ったもの。 名号は仏の名前で、この名号石は文政9年(1836)に建てられた。  | 
    
![]()   川面(かわおもて)の川怒(かわぬ)温泉付近の足助街道。 | 
    
![]()   大多賀峠。
      峠で、2サイクルエンジンを休ませる。エンジンオイルの濃い煙が漂う。 しばらく休憩する。  | 
    
  大多賀峠の東海自然歩道。
      南は、寧比曽(ねびそ)岳、田口へ。 北は、伊勢神峠、旭高原、矢作川 へ。  | 
    
  飯田街道、国道153号線
の伊勢神トンネル。
      昭和35年開通、昭和46年まで有料だった。2車線、歩道なし。 標高640m、長さ1245m。  | 
    
|  旧道の伊勢神トンネル。トンネルの表示文字は「伊世賀美」。
       馬車用。小型トラックがどうやら通れる。 明治30年開通、昭和35年まで使用。標高703m、長さ308m。 今でも、仕事でよく通る。軽四輪でも、すれ違いは出来ない。出口の明かりを見て入る。 霧がひどく、明かりを確認できずに、警笛を鳴らしながら走ったことが1度だけある。  | 
    
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      県内で最も知名度のある心霊スポットという。 若い女の幽霊が出るそうだ。 時々、噂話は聞くが、このトンネルを通っても、今のところ、何にもない。  | 
    
  三河側の伊勢神峠登り口。
      峠まで15分。  | 
    
![]()   三河側は舗装。 | 
    
![]()   伊勢神峠。
      標高800m。 信州側へは降りなかった。  | 
    
![]()   観音様と八百比丘尼
(びくに)の杉。 | 
    
![]()   峠
の際に、伊勢神宮遙拝所。
      立派な造りだ。  | 
    
  東海自然歩道説明板。 | 
    
![]() ![]()   送電線と花。 | 
    
  153号線伊勢神トンネル近くの食堂で昼食。 | 
    
|  足助町野口は、野口雨情の
先祖が住んだという、ゆかりの地。野口雨情は、茨城県の生まれ
       河内国の楠木正成の弟、楠木正季(くすのき まさすえ)が先祖という。三河の豪族、足助氏を頼り、加茂郡野口村に住み着き、野口と名のったという。 代表作は「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉 」「こがね虫」「あの町この町」「雨降りお月さん」「証城寺の狸囃子」「波浮の港」「船頭小唄」など。  | 
    
![]() ![]()   「七つの子
」の歌碑。
      小公園としてきれいに。 筧あり。  | 
    
| 2011.03.30 舞木廃寺塔跡 | 
|  豊田市の西北部、猿投山ふもとの低地東側丘陵の端にある、豊田市舞木町丸根 にある。
       造られた時代は,7世紀の後半と考えられている。 廃寺の名前は伝わっていないとのこと、1978年に地形測量は行われたが、発掘調査は実施されていない。 伽藍配置や寺の領域は不明であり,現在は塔の礎石(そせき)が残っているだけである。 塔の心礎は直径1.6mのほぼ円形の花崗岩,中央に直径15pで深さ4pの舎利孔が彫られている。その周囲には幅35pの柱座が環状に彫られている。  | 
    
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