15 市尾墓山古墳 市尾宮塚古墳 天満神社 今住 三光丸 掖上鑵子塚古墳 日本武尊琴弾原白鳥陵 八幡神社 巨勢山古墳群 宮山古墳 奈良 14km 2006/03/05
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朝1番電車に乗り、名古屋から新幹線に乗る。
今日は、米原で降りて東海道本線で、京都へ。8時半着。近鉄は急行で、市尾駅10時。歩く距離が少ないので、新幹線730円、近鉄特急800円の節約を選んだ。 新幹線で京都に出れば、市尾駅9時半着。さすがに、市尾で下車した人はいなかった。しかし天気は最高。近鉄のてくてくまっぷに従って歩き出した。 |
市尾墓山古墳。工事していた。通路を造り、U字溝を入れ、植樹して、公園に整備するのだそうだ。
前方後円墳で周濠と外堤があり、全長66m。6世紀初頭のもので、古代豪族巨勢氏の物らしいとのこと。 6紀のはじめ、武烈天皇は世継ぎに恵まれず、血統断絶の危機を迎えるが、応神天皇の5代のちの孫で、現在の北陸地方にいたとされる継体(けいたい)天皇が擁立されることになります。この継体天皇を擁立したのが巨勢氏である。 石室内部は、錠が掛かっており、中に入れなかった。 |
天満神社お参り。社殿の奥が古墳だった。
小高い築山のようだった。。 |
市尾宮塚古墳。全長44m。
個人名を推定できる物がないのだろう。6世紀中期の豪族の墓と説明があった。 石棺が石室のなかにあり、のぞき見ることが出来た。 |
今住(いまずみ)の家並み。 |
今住(いまずみ)の家並み。
大和で生まれた胃腸薬のロングセラー「三光丸」のお家らしい。 説明はなかったが、豪壮な作り。 |
三光丸本店。
三光丸クスリ資料館があり、月、水、金曜日は公開しているとのこと。 |
今住(いまずみ)の家並み。
大和棟の農家。堂々として良い構えの作りである。 |
田圃、ブドウ畑、坂道、集落の入り交じった所です。歩くのにうってつけだ。
掖上鑵子塚(わきがみかんすづか)古墳。全長150m。5世紀前半のもの。前方後円墳であるが、自然の山並みを利用しているのだそうだ。 普通の山としか見えず、看板のみとなってしまった。 最終の調査は、まだ行われていない。 この地方は、5,6世紀、葛城氏、巨勢氏が有力者だった。朝鮮との関係も相当濃密だったと思われる。 |
日本武尊琴弾原白鳥陵(やまとたけるのみことことひきはら
はくちょうりょう)。
景行紀によると、伊勢の能褒野、大和の琴弾原(ことひきはら・御所市)、河内の旧市邑(ふるいちむら・羽曳野市)の三ヵ所を白鳥陵と称したとある。 能褒野で白鳥になり、琴弾原に飛んで来て、またとびたって、旧市邑に降り立ち、後に、どこかへ飛び去ったという。その場所に、白鳥陵がある。 |
大和棟の農家。 |
巨勢山古墳群條池(じょういけ)支群の庚申塚古墳。 |
條の集落と梅。 |
桜田池公園。溜め池を整備したのだろう。 |
八幡神社。
考安天皇の室秋津島宮の跡という。 背後に、宮山古墳。 |
宮山古墳。室大墓(むろおおはか)ともいう。
全長246m。5世紀前半の前方後円墳。 葛城氏の墓という。 石室を囲む埴輪の列があった。 |
石室の入り口。
昼食は、室で、焼きそばを食べた。 |
葛城川に架かる宮戸橋から、金剛山、葛城山を左に見ながら、八木駅までバスに乗る。
京都に戻り、例のラーメンを食べ、東海道本線の快速を乗り付いて帰った。夜8時帰った。 |
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