19 勧修寺 随心院 醍醐山 上醍醐 京都 19km 2004/07/11
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午前中しか咲かないと言う睡蓮を見て、小野小町の寺、随心院をお参り、上醍醐のお寺をお参りしてきた。久しぶりの歩きで足を引きずって帰ってきた。 |
勧修寺には、9時少し前に着いたが、もう、人が集まっており、タクシーで乗り付ける人がいる。
「午前中だけです」の看板がある、睡蓮が目当て。 お寺内部の拝観は行っていない。庭のみである。 |
本堂。御所の建物を貰った物だそうだ。外観は
京都御所そのもの。戸が閉まっていて内部は見られない。
臥竜の老梅があった。3代目の梅が今盛り、と説明があった。 初代、2代は枯れていたようだ。 |
水戸光圀公の寄進の灯篭と言う、勧修寺型灯篭あり。
灯篭を覆うように生えているのは、樹齢750年と言う、柏槙(びゃくしん:ヒノキの一種)があった。 10坪位の広がりがあり、1本の木が枝を伸ばしているとの事。 |
屋根の曲線の美しい書院と庭。
弘法大師像があった。真言宗山階(やましな)派の総本山との事。
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氷室池があり、睡蓮が咲いていた。睡蓮とハスの差が判らない。
氷室池の畔は芝生の庭園。池の中には、築山があり、鷺らしい鳥が沢山いた。繁殖の地にしている。外敵が少ないためだろう。 鳥は写真に撮れなかった。望遠レンズが必要。 |
昔は、船を浮かべ、遊んだそうだ。今は、とても舟どころでない広さになってしまった。 |
氷室池の際の芝生に観音堂があった。
そう言えば睡蓮の花の向こうに観音堂がある写真を見た事がある。
この花は、上の写真と比べ、花弁が少ない。ハスは、16弁だそうだ。ハスかな? |
樹齢350年の山桃があった。 古い物が、沢山残っている。書かれた物も沢山残っているだろう。 |
小野小町の随心院お参り。真言宗善通寺派の大本山。 |
小野梅園があった。花の盛りは見事だろうと思う。 |
小町の化粧の井戸。
清滝権現堂 清滝宮は、山科醍醐寺の鎮守であり、随心院とも深いかかわりをもつ社と言う。古来干ばつに際して祈雨奉幣が行われ、随心院には清滝宮の分社があって清龍様(せいりゅうさま)と呼ばれているそうだ。 |
能「通小町」の深草の少将始め、小町に言い寄った貴公子達の千束の文を埋めた所と言う。
榧(かや)の古木。深草の少将の百夜通いの時、小町は、榧の実でその日数を数えたと言う。九十九日で少将が死んだので、小町は、その実をこの地に播いたそうだ。従って、九十九本の榧があったと言う。 |
「花の色にうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」 百人一首にある小町の歌
花の色は何時か色あせてしまった。いたずらに我が身に長雨(ながめ)が降る続いている間に 深草の少将百日通いの道もあったそうだ。化粧橋はいまもある。 |
卒塔婆小町の能画があった。
能「卒塔婆小町」は、僧が、洛外で卒塔婆に腰掛けている老婆を咎めると、逆に説教されてしまう。老女は小野小町のなれの果てで、深草の少将の霊に取り付かれ百夜通いの様を見せる。 |
写経場があった。小町化粧井戸の水の表示ある水入れがあった。
大玄関から薬医門を見る。 |
本堂と庭。本堂は1599年の建築。 |
小野小町のうた屏風。
次の4首が書かれているとの事。
「うつつには さもこそあらめ夢にさえ 人目をもると みるがわびしき」 現実にはそうでであろうが夢にさえ人目を避けていると思われるのがわびしい事だ。 「かぎりなき 思ひのままに夜もこむ 夢路をさへに 人はとがめじ」 限りもなく恋しいままに、せめて夢でなりとあの人の所に行こう。夢の中の通い路までは、人も咎めまい。 「ひぐらしの なく山里の夕暮れは 風よりほかに とふ人ぞなき」 ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは、風より外には尋ねてくれる人もない。 「たのまじと 思はむとても如何せん 夢よりほかに あふ夜なければ」 |
三宝院の東裏の長い白壁。
少し早い昼食。ざるそば。少し高かったが、旨かった。 |
醍醐寺下伽藍の南に、茅葺きの家があった。
普通の民家のようにも、何かを商う店かとも思われた。白壁と頭の見える植木の松がよく釣り合っていた。 |
下伽藍から女人堂を経て、約40分、山道を登ると醍醐寺草創の地である上醍醐にいたる、と説明があった。1時間は掛けて登ろう。
この女人堂は、昔、山に入る事を禁じられた女性がここでお参りしたんだと言う。 |
標高450mほど。なかなかの坂道だ。
途中、「醍醐の花見」の槍山の秀吉の花見の跡があった。狭い場所だった。今上ってきた道すべてが花見の場所だったのだろう。 |
これから、九十九折りの道
に入る所に、少し開けた場所があり、水飲み場があった。不動の滝あり。一服する。
九十九折りの道の途中に、相生の杉あり。 |
1時間以上を掛けて、漸く、上醍醐に着く。
清瀧宮(せいりゅうぐう)拝殿(国宝)お参り。 醍醐水あり。 醍醐とは、乳を精製して得られる最も美味なるものを言う。仏教の最高真理に例える。と言う事を始めて知った。 「醍醐味なるかな」の語源だそうだ。 |
深雪山上醍醐寺(ふかみさんかみだいごじ)の准胝堂(じゅんていどう)お参り。真言宗醍醐派のお寺さん。
西国三十三ヵ所十一番札所だ。准胝観音を本尊とする。 別に西国三十三ヵ所は歩いてお参りするつもりだ。 国宝薬師堂お参り。薬師堂は上醍醐伽藍の中央にあり、850年以上の風雪を耐え抜いてきた。 |
五大堂お参り。本堂には、本尊として不動明王を中心に五大明王が居られる。
如意輪堂お参り。 |
開山堂お参り。醍醐寺の開山、聖宝・理源大師を安置したお堂である。建物は雄大な桃山時代の特徴をよく表わしており、山上最大のお堂である。
如意輪堂と共に重要文化財の指定を受けている。 |
笠取を経て岩間に行く道の降り口だ。行きたい気がしたが今日は止めと決める。
開山堂前で、大阪方面をみるが、霞んで見えない。石清水八幡宮、淀川が見えるそうだが、残念。 上った道を下る。帰りは足が速い。二,三日経つとふくらはぎが痛くなりそうだ。 |
下伽藍の奥まった所に門があった。上醍醐への登り口。先回、下伽藍を廻った時、見ていない。 |
伝法学院。
祖師堂お参り。この両堂も見ていなかった。 京都に出て、いつもの中華ソバを食べ、在来線で帰る。 どうしても、米原で乗り換えが必要。米原で座れないと、名古屋まで立ちんぼうの時がある。帰りの立ちんぼうは少々辛い。 |
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