19 愛知 無量寿寺 かきつばた 落田中の一松 根上がりの松 在原寺 浄瑠璃姫の浄瑠璃ヶ淵 五輪塔 成就院 満性寺

2000/05/13 作成 2003/08/13

その他


 

 愛知県知立市の無量寿寺のかきつばたを撮る。ついでに鎌倉街道の写真も撮ってみた。
無量寿寺のかきつばた。
 落田中の一松。業平が馬を止めて、乾飯(ほしいい)を喰った所。
 根上がりの松。
 在原寺と山頭火の歌碑。
古東海道。
2002.5.6 岡崎市明大寺の菅生川の左岸の浄瑠璃姫の浄瑠璃ヶ淵跡を見てきた。
 浄瑠璃姫の浄瑠璃ヶ淵跡の説明板と句碑があった。隣の成就院には、浄瑠璃姫の五輪塔があるとの事。又、探してみよう。

  「散る花に 流れもよどむ 姫ヶ淵」  笈斗山人(内藤卯三郎)

2003.8.19 浄瑠璃姫の成就院、満性寺をお参りしてきた。
 曹洞宗のお寺。境内に浄瑠璃姫の五輪塔があった。お参りする。

 姫が死んだ時、両親は近くの洞に観音を祀った。「穴観音」だ。また、義経は木曽義仲を追う途中、姫の死を聞き、岡崎の地に「瑠璃山明大寺」を建立した。この寺は、今はなく、町名として残っているのみ。姫が入水した、「足跡岩(あしあといわ)」(浄瑠璃ヶ淵)も、「穴観音」も河川改修で今はない。

 岡崎市菅生川の右岸の満性寺お参り。真宗高田派のお寺さん。

  満性寺は、真言宗の霊地だったが兵火で焼失し、聖徳太子16歳の尊像のみ残り、菅の原となって久しかった。その後、真宗の了専は、河内の兵乱を逃れて、13世紀、三河の菅生の郷へ、太子2歳南無仏像と太子直筆の阿弥陀経とを持ち帰り、 寺を建立し、田生山菅生院満性寺と号した。

 

 句、歌の石碑があった。
 

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