14 妙心寺 北野天満宮 千本釈迦堂 釘抜地蔵 千本えんま堂 大徳寺 大仙院 真珠庵 建仁寺 京都 1998/02/03 作成 2003/08/03
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JR花園駅から歩く。妙心寺前に「志留久楼土(しるくろーど)]と言う、作務衣(さむえ)の店があり、作務衣を買った事がある。 |
妙心寺は、臨済宗のお寺。元花園上皇の離宮で、上皇の発願で創建された。
浴室は明智光秀の菩提を弔って建てられたもので、俗に「明智風呂」と呼ばれている。重要文化財である。 内部は拝見したと思う。 |
北野天満宮お参り。境内の土蜘蛛の墓をお参り。梅が咲き出していた。 |
千本釈迦堂お参り。鎌倉時代に釈迦念仏道場として創建。本堂は、応仁の乱にも焼けず残っ
た。
おかめ塚は、大工さんの信仰を集めている。棟上げの時、おかめの面を掲げる大工さんがあるとの事。 おかめ節分は盛況である。 |
釘抜地蔵お参り。弘法大師の創建。本尊の石造地蔵菩薩像は種々の苦しみを抜き取ってくれるそで、庶民の信仰を集めた。 「苦抜き」が「釘抜き」に変わったんだそうだ。 |
千本えんま堂お参り。正式の名は引接寺(いんじょうじ)。平安時代、この辺りは、蓮野台と呼ばれ、風葬地だった。千本通りの名も、塔婆が林立するさまに由来し、冥界を象徴する山に、船岡山。三途の川として天神川が流れ、一帯は「あの世」の舞台装置が揃っていた。周辺は、骨が散乱し、死臭がたちこめた地獄の光景だったろう。ゑんま堂を開いたのは、9世紀の人
、小野篁(おののたかむら)である。
えんま堂狂言がある。 |
大徳寺お参り。南の門を入って、直ぐに、鹿ヶ谷(ししがたに)で、俊寛等と平氏打倒を図った平康頼の塔あり。 |
大仙院お参り。宮本武蔵の師、沢庵和尚もここの住職だった。 |
「蓬莱山」から流れ出た水が石橋の下を通り「大海」に出る。また、蓬莱山の水は西へも流れ、亀島の前を通って「中海」に 、の枯山水の庭があった。 |
真珠庵お参り。一休和尚の創建と言う。 中は見られなかった。 |
祇園の建仁寺お参り。鎌倉時代、栄西禅師の開山。最古の禅寺。方丈、方丈の庭を拝見。
方丈の横に安国寺恵瓊(あんこくじえけい 戦国時代の禅僧武将、家康により京で斬)の首塚があった。 |
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