5 下北沢 NHKホール 柴又帝釈天 矢切の渡し 野菊の墓文学碑 東京 千葉 25km 07/01/20〜07/01/21
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新幹線品川駅に初めて降り立つ。渋谷へ。京王井の頭線で下北沢へ。途中、駒場東大駅があった。小田急の代々木上原の駅の近くに、勤め先の寮があり、良く泊まった。駒場も下北沢も近くだった。当時は、仕事一筋で余所見も出来なかったんだなと、今、思う。 |
![]() ![]() お上りさんは慌てました。
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![]() ![]() 若者の街、ファッションの街に加えて小劇場の求心的な地域として紹介されることが多いと言う。 庚申塚があった。 |
![]() ![]() 代々木公園。 11時10分程前に着いた。200m程行列が出来ていた。カバンを持った人達、女性が多い。 予定通り、11時30分、入場。1階C8−14の座席券を貰う。前の方の良い場所だった。 |
![]() ![]() ![]() 放送センターなど。 13時開始、16時15分終了、途中30分休憩。 小岩に宿を求めた。柴又帝釈天、矢切の渡しを尋ねるため。もう1つは、安いところ。 |
![]() 京成小岩駅。 歩くことにする。 |
![]() ![]() この細い道は、昔の参道だったようだ。今の柴又街道は直線の道。 |
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![]() ![]() 今日もこの混みよう、縁日は、もっと混むようだ。 |
![]() ![]() 二天門。増長天、広目天が安置されている。 帝釈堂。帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置。お参り。 |
![]() この寺には宗祖日蓮が自ら刻んだという伝承のある帝釈天の板本尊があったが、長年所在不明だった。1799年、一時行方不明になっていた「帝釈天の板本尊」を、本堂の修理の際、棟木の上から発見されたという。 それら由来と帝釈天の功徳を説明している。 |
![]() 漱石の「彼岸過迄」をはじめ多くの文芸作品に登場し、東京近郊の名所として知られていた。 |
![]() ![]() 鐘楼。 お寺の本堂は、お参りしたが、写真を忘れた。 |
![]() 法華経説話の浮き彫り 下の10個。 |
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![]() ![]() 池泉式庭園で。立ち入りは禁止されているが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見て来た。 |
![]() ![]() ![]() お客満載。渡船料100円。 向こう岸は、千葉県松戸市。 川は江戸川。 |
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![]() ![]() ![]() 畑の中の農道。道も畑も砂だった。 |
![]() 西蓮寺の境内にあり。 このあたりは、古戦場だったという。矢切の名も戦争から付いた名。 |
![]() ウナギは蒸してあり、背から裂いてある。味は、油っぽい感じはないが、味の良いタレだった。 山本亭 大正時代の特徴を残す和洋折衷の建物と庭があるとのこと。見なかった。 |
![]() ![]() 映画のセットなどがあった。 |
15年程前からの、パソコン通信時代からのメル友と、初めてのデートを約束してあった。
京成日暮里駅の待ち合わせ。多少不安であったが、ケイタイと遍路地図を持って駅を降りた。降りる人も少なく、直ぐに分かった。先方も直ぐ判ったらしい。 思ったより、若い人だった。私は<とり>。彼は、Impulse さん。名前ぐらいしか、知らない。 私が、車使用のため、酒は避けてコーヒー。 1時間程、遍路の話をした。楽しいひとときだった。 時々、仕事で愛知県に来るようだ。今度は、愛知県で会う約束が出来た。 18時の新幹線に乗る。帰りは、寝て、あっという間に豊橋に。久し振りに、駅弁を食べた。 |
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