56 西尾市今川町 今川氏   愛知

2km       2006/10/29

その他


 

 3年ほど前に、この石碑を見つけ、見に行こうと思っていたが、本日、漸く尋ねることが出来た。

 愛知県によって建てられた今川氏発祥地の石碑の横に、説明の碑があった。これは、西尾市が建てた。

 足利、吉良、今川の三家は、いずれの祖先も源八幡太郎義家であった。

 御所(足利幕府)が絶えれば、吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ と言われた。これは、室町時代に生まれた俗伝という。足利将軍家に世継が無ければ、吉良家から将軍が出る、吉良家で無ければ、今川家が将軍職を継ぐということであった。

 義家の孫、義康(よしやす)は足利家の祖となり、その孫が武将の義氏(よしうじ)となり承久の乱(1221)の軍功により三河、上総両国の守護になった。
 
 足利義氏の息子の長氏(ながうじ)を吉良荘西条(西尾)に築城した城の城主に据えた。やがて、長氏は「吉良」姓を名乗り、吉良のルーツがここで始まる。赤穂浪士討ち入りの敵役の吉良上野介は、この一門であることはいうまでもない。

 病弱であったともいわれる長氏は家督を吉良満氏に渡し、今川荘に隠居した長氏は、次子の国氏(くにうじ)に今川荘を継がせ、「今川」姓を名乗り、名門今川家の興りとなった。

 その後、国氏の5男、範国(のりくに)が今川の家督を継いだ。今川荘のわずか3ヶ村の小規模在地領主を守護に飛躍させたのは範国であった。そこには、南北朝の争乱期という時代背景もあった。

 範国の後、7代目が、義元だ。

 今川了俊 の墓

 今川了俊(いまがわ・りょうしゅん):遠江守護、歌人、歌学者。駿河の守護今川範国の二男。
 

 

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