22 岡崎奥山田のしだれ桜 岡崎城の桜 伊賀川の桜 愛知 2004/03/30〜2004/04/11
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愛知県岡崎市北部の奥山田町に、1本の立派なエドヒガン桜の枝垂れ桜がある。初めて見に行った。朝早かったが、ぼつぼつ人が集まっていた。
此の近くの村積山(むらづみ)と言う山には、村積神社があり、木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)、大山祇命(おおやまずみのみこと)、大巳貴命(おおみたかのみこと)の三柱を祀る歴史の古い由緒ある神社である。 |
ここにも、持統上皇の行啓があったとのこと。こ 三河地方は、大海人皇子、後の天武天皇の勢力圏だったとのことです。持統上皇は、その妻で、天皇死後に持統天皇となった。 天武、持統天皇の息子、草壁皇子を祀る神社が、東三河の赤坂にある。 行啓の時の桜が見事だったので、花園山と命名したそうだ。この枝垂れ桜も上皇のお手植えと言われている。 桜時期以外は、静かな山の中であるが、直ぐ近くまで、新興住宅地が迫り、近くの丘陵地には、工場が出来、この桜の木のある辺りだけが昔の農村の風景を残している。 |
胸高周囲2.4m、枝の張り、南北17mに及ぶ。染井吉野より、10日程早く咲くとのこと。3月30日は、既に散りかけていた。まだ、花の色は白かった。落花盛んの頃から、淡墨色を帯び、日没後しばらく神秘的でさえある。奥美濃の淡墨桜と同類と思う。 |
地元の人達の句碑があった。
元首相の細川さんや、ガラシャ夫人の細川さんらの、熊本の細川さんは、岡崎市の細川の出身である。多分、この奥山田もその支配下だったと思う。 江戸時代後期、岡崎の俳人として名をなした鶴田卓池(つるたたくち)も村積山の麓に住んだとのこと。 雨に明けてそよりともせず山桜 鶴田卓池 又、童話作家の南部南吉も安城市で、学校の先生をしていて、この村積山に遠足に来ているそうだ。 |
村積山に登る林道を、少し昇った所に村積神社があった。 |
なお、少し昇ると、人工の池、奥山田池があった。釣りが出来る池だった。注意看板があった。指定の場所で釣れ。魚は放して帰れ。と書いてあった。
村積山自然公園の案内看板 |
天台宗真福寺お参り。仁王門。 |
本堂お参り。1400年前の建立の古いお寺。タケノコ料理で有名だ。まだ、食べたことはない。 |
開山堂、多宝塔お参り。 |
万年亀あり。
頭が黒く手垢の付いた、一休さんの新しい石像があった。 今日は、午後出かける予定があったので、歩きでなく、原付自転車で出かけた。 |
2004年4月1日 岡崎市 伊賀川河畔、岡崎城の桜を尋ねた。 八分咲きだった。 |
伊賀川の桜は、若くて勢いがよい。花を見るだけならば、岡崎城より、こちらだ。
この桜を見る度に、又、一年生きた。有り難うと言う気持ちになる。 |
伊賀川の下流に岡崎城がある。伊賀川は堀の一部だった。
親の廻りで、小さい子がはしゃぎ廻っていた。親を信頼しきった顔がかわいい。 |
内堀に架かる竹千代橋の桜も満開寸前。人が列を成していた。 |
2004年4月11日 伊賀川の桜も大分散った。
まもなく、緑の絨毯になる。 |
2004年4月20日 伊賀川の桜 すっかり葉桜となる。 |
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