13 近津尾神社 幻住庵 式子内親王墓 般舟院 首途八幡宮 考古資料館 観世井戸 観世稲荷 白峯神宮 滋賀 京都 11km 2005/11/01
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京都、千本今出川の般舟院陵(はんじゅいん)に式子(しょくし)内親王の墓があると聞いていたが、確認できていなかった。今回で、4,5回目だ。平日しか門が開いていない。先回は、庭師が入っていて、入れなかった。
今日は、芭蕉が幻住庵記を書いたという、石山の国分山の幻住庵と京都西陣界隈を訪ねた。東海道線で出かけた。 |
「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。ふもとに細き流れを渡りて、翠微に登ること三曲二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。」 近津尾(ちかつお)神社。階段があり、三曲二百歩の登りがあった 。近所の老夫婦が、手を突き、杖にすがり、懸命に登っていた。挨拶して先に登る。 お参りして一服していると、先ほどのご夫婦。あまり遅れずに登ってきた。おばあさんの方が元気がいい。御利益のある神様とのこと。 先日、どこかの人が来て壁が崩れているので直そうと言って仕事の準備をしていたところへ、息子が来てくれて、直ぐ止めさせた。100万円取られるところを救われた。など、世間話して別れる。 |
2003年に再建したのだそうだ。参道、境内に、俳句の書かれた短冊が、たくさん吊されていた。 幻住庵、小さな家。五合庵、西行庵も小さかった。寝る場所があれば良い、と言う感じだ。 |
「たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ。とくとくの雫を侘びて、一炉の備へいとかろし」 |
芭蕉は、よっぽど、ここが気に入ったようだ。近くの義仲寺に葬られている。 |
平日で、門は開いていた。お役には不在だったが、お墓は直ぐに見つかった。 式子内親王は、後白河天皇の第3皇女で賀茂の齋院をつとめた人。なきかまずい事に関わり、墓もないという。 百人一首に「玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば忍ぶることの弱りもぞする」がある。内に秘めた絶唱です。 |
お参り。 前には、石仏が並んでいた。真ん中の大きいのは、鎌倉時代のものだそうだ。 |
ここは、金売吉次の屋敷があったところと言う。牛若丸は、鞍馬を抜け出て、ここから奥州に旅立ったと言う。 旅立ち、旅行安全の神さんと言う。 |
京都市考古資料館の古い陶器を拝見。縦穴時代から、途切れることなく、遺跡があるとのこと。 ここの職員の皆さんに、観世神社について訪ねる。直ぐに、教えてくれた。 |
職員室に申し出る。快く許可を貰う。 |
観世稲荷と観世の井戸。井戸は蓋してあった。 |
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明治天皇が造った神社。 不幸な天皇であった、崇徳天皇、淳仁天皇を祀っていると言う。 |
崇徳天皇は、四国に流された。 四国の陵に何回かお参りしたが、何時も、菊の花が一束供えられていたことを思い出した。 |
蹴鞠と和歌の家、飛鳥井家があった場所だそうだ。オダタマノキは樹齢数百年の木。飛鳥井家があったときに植えられたもののようだ。 歌があったが読めませんでした。 |
碑の表面には「従是東北 足利将軍室町第跡」と刻まれており、大正4年(1915)の建立になるもの。 帰りは、京都駅前で例のラーメンを食い、JR東海道線で帰った。米原で乗換1回だけ。ほとんど寝て帰る。 天気は最高。 |
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