50 庄内用水 庚申塚 伊奴神社 光音寺 水車 三階橋ポンプ場 元杁樋門 庄内川  愛知

13km       2006/07/15

その他


 

 以前から、堀川(名古屋の中心部を南北に貫く、庄内川の水を導入した運河)の取り入れ口を一度見に行くつもりがあった。

 前の日の朝日新聞の記事に庄内用水6kmの歩きの記事が会ったので、行く気になった。

 一人、新聞の切り抜きを持った人がいた。声を掛けようと思ったが、それを避けたいような雰囲気があったので止めた。

 用水沿いに、桜を主に植樹されている。京都の哲学の道と朝日新聞にあったので、楽しみにしていたが、そのような雰囲気はなかった。

 庄内通り付近には、用水を覆い散歩道にして、水をポンプで吸い上げ小川を流した区域があった。

 余り良くない。それで、後続けての改造は行ってないのだろう。

 庄内用水は、農業用水で江戸時代以前からあったそうだが、今は、ほとんど使用されていないようだ。この時期だけ水を流しているとのこと。

 信長が若い頃、柴田勝家らが、弟信行を立てて戦ったが、負け、信長が尾張統一に乗り出した所だ。

 稲生原(いのうがはら)古戦場。今も稲生町がある。庚申塚は、この合戦の死者を弔ったものと言う。

 

 稲生町付近の庄内用水。
 伊奴神社。いぬじんじゃ。

 天武天皇の時代、673年創建。素戔嗚尊や、伊奴姫神が主神。

 お参り。

 大相撲の安治川部屋が宿舎にしていた。土俵も使って練習しているとのこと。
 用水にゴミ取りの施設が設置されていた。水量は少ないので、今はあまり役に立ってはいないようだ。
 光音寺。禅宗のお寺。

 植木の手入れをしていた。職人が、ばさりばさりと思い切りよく枝を切るのを、しばらく見ていた。

 境内に、無縫塔があり、歴代住職の墓塔と言われている。

 基壇とその上の石が異なる種類の石だそうだ。基壇は南北朝、上部は室町中期の物とのこと。

 この付近の町名は、光音寺町という。

 光音寺町付近の用水。

 水車があったが、暫く動かしてはないようだ。

 国道41号線の下を潜る。

 余りにも暑いので、かき氷を食いに喫茶店に入る。

 三階橋のポンプ場。

 庄内用水の出口。三階橋のポンプ場で、堀川との水の調整をしているとのこと。

 堀川の出口。水の量は、断然多い。

 最も、どうどうでなく、ちょろちょろの感じ。水利権などがあるのだろう。

 矢田川の左岸 三階橋のポンプ場。

 右岸 やはりポンプ場あり。

 庄内川の水は、ポンプで強制的に矢田川の下を横断している。

 矢田川 三階橋。
 矢田川右岸の堀川。

 水量が多く、水草が生えており、養老の津屋川のようだ。

 庄内川からの取り入れ口 元杁樋門(もといりひもん)。明治時代の煉瓦作り。
 庄内川の水分橋。

 元杁樋門のためのダム。

 名鉄味鋺駅。

 電車は駅を出ると直ぐに地下へ。庄内川、矢田川の下を通る。初めて乗る。

 名鉄は、上飯田までだが、地下鉄が上飯田から平安通駅まで出来ていて、名城線に乗り換えできる。レールは繋がっていないようだ。

 私鉄は儲からないことは、一切やらない。

 

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