47 古川 河合角川 天生峠 白山スーパー林道 仏が原 安宅 篠原 吉崎御坊 東尋坊 越前海岸 花筐公園 高善寺 一乗滝 一乗谷 岐阜 石川 福井 550km 2005/10/08〜2005/10/10
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謡曲の師匠のお供で、北陸方面へ行ってきました。
車2台、6人の旅。
昼過ぎ、名古屋を出て、東海北陸道を通り、飛騨古川へ5時過ぎ到着。 夕食後、町へ出たが、8時過ぎのため、皆さん、帰り支度をしていた。若い人達が何かやっていたようだ。 明日は、高山祭りと言う。 |
9日朝、町へ出た。商店だけでなく一般の民家も、町並みがきれいだ。町当局がお金を出し、整備しているのだろう。
道中、「蓬莱」の宣伝看板をよく見たが、その造り酒屋があった。表に杜氏の像があった。
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狭い道に面して花が植えてあった。また、窓に花が活けてあり、みんなで町造りしている雰囲気が濃厚だった。
一般の民家の格子戸のすだれに、木賊の鉢植えが掛かっていた。 |
名高い水路を見る。 |
円光寺お参り。浄土真宗のお寺。 |
福全寺の銀杏の大木。樹齢700年、高さ30m、胴回り5.6m。
福全寺は、明治時代に廃寺になったそうだ。 |
祭り広場の近くに、牧水の歌碑。 ゆきくれてひと夜を宿るひたのくにの古川の町に時雨ふるなり 若山牧水 |
真宗寺お参り。ここも、浄土真宗のお寺。 |
真宗寺の前に、「きつね火まつり」
の像あり。その前の広場で市が立っていた。
10月15日、「きつね火まつり」が古川の町を練り歩くと言う。 |
今宮橋から。真宗寺の前を流れる荒城川。
直ぐ下流で、宮川に合流し、旧河合村角川を通り、神岡の海側で、神通川に合流している。富山に出て行く。 |
宮川に沿って、下り、旧河合村角川(つのかわ)に到着。
専勝寺。浄土真宗のお寺さん。お参り。 明治時代、このあたりから、若い娘が生糸工場に出稼ぎ出たと言う。昨夜の宿も、その娘達を泊めたと言う。
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戦後、山本茂実が書いた小説、「ああ野麦峠」の政井みねさんのお墓お参り。
100円工女と言われたみねは、腹膜炎を患い、兄に背居られ野麦峠を越えて故郷に帰ろうとしていたが、この峠で「飛騨が見える」と言って死んでいった。20歳だったと言う。
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角川から360号線に入り、西に向かう。天生の集落を過ぎると、道は急勾配の曲がりくねった道。
泉鏡花の「高野聖」を思い出しながら行く。 峠は、車が多く、駐車場には店が出ていた。峠付近の湿地帯を歩きに来た人達だそうだ。標高1290m。 送電線が見えた。紅葉はしていない。10日遅いそうだ。 |
峠を越えると、白川郷。 |
昼食をとり、中心部を歩く。
合掌造りは、民宿、土産屋、食堂。 すっかり、観光地だ。 |
明善寺お参り。
お寺も、合掌造り。 |
白川スーパー林道に入る。今年は、紅葉は10日ほど遅いそうだ。
蓮如茶屋駐車場。蓮如がこの峠を越えたことがあるとのこと。 天生峠を見る。 スーパー林道の峠は、トンネルだった。標高1450m。 |
険しい山を九十九折りの道が行く。峠付近では、谷底の河が見えない。車を降りて、道際に寄れば見えると思うがやらず。
中宮温泉、一里野を通り、手取川に沿い下り、旧鳥越村で、左折、仏御前の故郷、小松市原町に向かう。 国道端の仏御前屋敷跡に到着。お参りする。この8月に来た所。 今日は越前海岸泊のため、あたふたと出発。今回も仏御前の木像は見られなかった。 |
小松に出て、安宅の関に寄る。
海岸沿いの県道を南に下る。片山津温泉近くでは、斎藤実盛ら平家が木曽義仲にやられた古戦場、篠原をとおる。車窓から、実盛塚を見る。 吉崎御坊、汐越えの松、を初めての人達に説明。車はおりず。 東尋坊による。降りて、奇岩を眺めてきた。大層な人がいた。 |
国道306号に入り越前海岸を行く。日が暮れ始める。
宿には、6時過ぎに付いた。 10日朝、越前の海を眺める。 |
武生を通り、花筐公園前を通ったの出、少し寄る。花筐(かきょう)会館があった。
能の曲名は、「花筐」(はながたみ)と言う。継体天皇と越前の女の話。 継体天皇は、5世紀の26代天皇。越前の出身で、大和に出るまで、20年以上掛かったと言う。 |
今立町北坂下に、高善寺を訪ねる。お参り。
佐々木小次郎が生まれた地と言う。お寺の6男だった。過去帳に「六男武門に入る 小太夫と称す」とあり、小太夫が小次郎と言う。 朝倉の剣術師範、富田勢源(とだせいげん)の道場に通ったと言う。直線距離で、8kmの一乗滝の近くにあったと言う。毎日、通ったのかもしれない。 |
蓮如が寄ったと言う碑があった。 |
福井市浄教寺町に、一乗滝。つばめ返しを編み出した所と言う。
吉川英治の「宮本武蔵」は、武蔵の弟子達が作った「二天記」が元になっていると言う。 |
一乗谷朝倉氏遺跡。
町の通りの再現。 左は、武士の住居。右は、焼き物など売る商店。右のみ復元されている。 |
右側にある、武家屋敷が一軒、復元されていた。
台所。武士は、単身赴任で家族は、領地において来ていると言う。下級武士とのことで、簡単な屋敷だった。 朝倉氏の屋敷には行かなかった。 |
少し、忙しい旅だった。メンバーは、90代2人、60代1人、50代3人計6名。 |
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