53 津屋川 養老の滝 岐阜 13km 2006/10/01
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美濃津屋駅から歩いた。彼岸花は、駒野駅より美濃津屋駅寄り。
道を間違えて、津屋城址に出た。関ヶ原合戦まであったが、石田方について敗れ、城も廃城になったという。 今は、寺となり、城跡も人家、道路となり、全容は判らないという。 |
満開だった。雨の彼岸花だったが、人の方も沢山。
車で来ている。場所は不便な所、もっともだ。 よい写真は、撮れなかったが、満開に満足。2年ぶりの、今年2回目で、漸く、満開を見た。 津屋川が良い。養老の滝の水だ。
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養老の滝に寄る。
養老駅は、揖斐川沿いの零メートル地帯にあるが、そこから駆け上がった、30メートルの高台にある。貝塚などある昔からの高台。街道も、勿論ここ。 駅前に、「考子 源丞内(こうし げんじょうない)」の像がある。 天皇が養老に行幸したのは、元正天皇が2回、聖武天皇が1回。8世紀のこと。 養老の話は、「続日本紀」、「古今著聞集」、「大日本史」、「十訓抄」、「養老寺縁起」、「寝覚記」などから、古くから全国に伝えられている。 謡曲「養老」の舞台である。源丞内の親孝行の話と、養老の神に、泰平の御代を讃えて御代礼讃をさせている内容である。おめでたい謡。 山は、急峻で毎年成長している。山の形は、神戸に似ている。 断層は、養老山地と濃尾平野の境にある。川側の固い地盤は、地表下5,60mにある。地表まで、河川の堆積土砂である。 この断層は、南に延びる桑名−四日市断層とともに、1400年から1900年間隔で活動し、マグニチュード(M)8程度の大地震を繰り返し起こしてきた。断層運動で西側がどんどんせり上がり、現在の養老山地へと成長した。 養老断層の活動歴は不明確な点が多い。ボーリング調査などによると、最新の地震発生時期は13世紀から16世紀で、秀吉が関白となった天正13(1586)年に起きた天正地震(M7・8)の可能性があるとも言われているが、詳しくは分かっていないらしい。 |
津屋川を見ると、これら小さい川に苦労したんだなと思う。 水は、急峻な養老山脈から、急傾斜の斜面を猛烈に駆け下るわけだ。 津屋川の急斜面の両側の狭い土地に旅館が並ぶ。 右の写真:「おたきみち」の石碑。 |
津屋川の川底。水量わずか。
養老の滝。落差32m、幅4m。 |
養老の名水。
菊水霊泉と言うそうだ。水を汲みに来ていた。 |
元正天皇行幸遺跡。
元正天皇歌 20巻 4437 「ほととぎすなほも鳴かなむもとつ人かけつつもとな吾を哭し泣くも」 「あをねしなくも」 「ほととぎすよ、もっと鳴いてください。(亡くなった)あの人のことを思い出させて、私を泣かせるけども」 |
若山牧水歌碑
「紫蘭さいていささか紅き石のくま目に見えてすずし夏去りにけり」 その他、沢山の歌碑、句碑、詩碑があった。 海抜零から標高300m余まで、距離もあり歩きでがあった。 大垣に出て帰った。 |
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