4 矢場地蔵 名古屋能楽堂 清正像 円頓寺  愛知

11 km     2001/05/27 

その他


 

 久しぶりに名古屋の町を歩いてきました。金山駅スタート。北上し、大須へ。いつも地下鉄に乗る区間であるが、歩いても、あまり時間は掛からない。多分、待つ時間を含めれば、15分程度の差と思われる。いつもどおり、写真展を覗き、電気店巡りして、矢場町の矢場地蔵へ。石のお地蔵さんと芭蕉の句碑があった。

 栄に出て、本屋を覗き、テレビ塔際の並木を北上。昔、名古屋へ来た頃、この辺は砂ぼこりの立つ、整備途上の荒れ野だった。テレビ塔だけは建っていた。今は、すっかり都会の顔になってしまった。

 テレビ塔も、いろいろ思い出がある。又。書く気に成ったら書くことにしよう。

 名古屋城内の国立名古屋病院。最近、職場の同僚が、入院していて、よく見舞いに通った。その同僚も、今はいない。江國滋さんの「おい癌め酌みかはそうぜ秋の酒」を思い出した。

 江國さんは、退院して、自宅療養に入った途端に、病状が悪化して、日記が絶えたようです。同僚も、出勤再開しなれた頃、突然倒れ、そのまま,帰らぬ人になりました。

 名古屋能楽堂。演能の無い能楽堂は、久しぶりだ。内部を改めて見学。皆さん(多分、観には来ないであろう皆さん)に見せるために、演能のプログラムを集める。

 名古屋城を築いた、加藤清正の像を正面から、眺める。

 円頓寺(えんどうじ)をお参り。
 名古屋駅とお城の中間点の、この辺りは、清洲から名古屋へ城を移したとき、清洲から移った、いわゆる清洲越えの商人の町。土地の名も円頓寺と言う。四間道(しけみち)の両側に蔵、町家が並ぶ。今、名古屋市も町並み保存地区に指定している。

 円頓寺と言う町名はない。那古野何丁目と言うようです。明道町、浅間町、泥江町、笹島などの名前も無くなっている。交差点の名前,バス停などにしか残っていない。

 四間道は、幅4間の道。延焼防止用の道です。松坂屋の伊藤次郎左衛門さんの家があった。人の住んでいる気配は無かった。軒の低い商家のためか、京都島原のような雰囲気だ。

 五条橋、昔の船着場の石積、白壁の蔵、屋根神さんを見る。

 

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