2 山辺の道 海石榴市観音 三輪神社 玄賓庵 桧原神社 長岳寺 石上神社 18km 2001/04/01
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近鉄の桜井駅で「山辺の道」の案内書を貰って、コンビニで昼食をかって、海石榴市の金屋へ向かう。 昔は北からの「山辺の道」、ひがしから「初瀬道」、南からの「いわれの道」、「山田の道」、西からの「大阪越え」の交差点で、栄えたところと言う。 椿の街路樹を植え、市も賑わった。また、三輪山の麓であり、人が集まり安い処であり、春秋の季節には、青年男女が集まって、互いに恋の歌を掛け合わせ、結婚の機会をつくる歌垣が行われた。おおらかな自然そのものの時代であったようです。 紫は 灰さす物そ つば市の 八十のちまたに 逢える児やたれ つば市の やそのちまたに 立ちならし 結びし紐を 解かまく惜しも たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 道行く人を 誰と知りてか 作者不詳とあり、つば市で民謡の様にうたわれた歌との事です。最初が男の歌、最後が女の返歌。枕草子、源氏物語、かげろう日記にも、海石榴市は登場するそうです。 |
海石榴市観音をお参り。その入り口に「海石榴市観音」の古い石碑があった。この石碑を確認することが、今日の歩きの一つの目的だった。 平安時代の仏という、金屋の石仏をお参りして、三輪明神へ。もの凄い人出。山辺の道も、以前、歩いた時に比べ、歩く人が非常に増えたと思う。 |
三輪神社のご神体は、後ろの三輪山である。以前お祓いして貰って登ったことがあったが、頂上近くには岩がごろごろしていて、どれにも、しめ縄がしてあった。岩の並びは、多少、人工的な感じを受けたのを思い出した。 狭井(さい)神社をお参り。御山には、ここから登った。豊富な湧き水があり、みなさん、大きな容器を持ってくみ取っていた。 ここを離れると、歩きの人だけとなる。狭井川を越え、ゆるい坂の道を行く。平野は随分、下に見える。 |
玄賓庵(げんぴんあん)をお参り。謡曲「三輪」のワキ、玄賓僧都の庵である。僧都は、南都随一の碩徳であったが、当時、藤原氏の天下で、興福寺の横暴は目に余り、ここに隠れ住んだとの説明があった。 桧原神社をお参り。記帳する。袖のある鳥居があった。「三輪鳥居」、「三つ鳥居」とか言われている鳥居です。
記紀伝承の天皇、景行天皇陵、崇神天皇陵と言われる立派なお墓を見ると、実存した天皇のような気がする。伝承上の天皇とすれば、誰か名の忘れられた人のお墓であろう。 この山辺の道周辺は、我が国の一番古い時代の土地と、つくづく思う。その古代の道を歩いているんだ。古い時代の人も歩いた道を、歩いているのだ。 |
長岳寺、弘法大師の創建。阿弥陀如来仏がおらした。ツツジの参道、花の季節はきれいだろうと思う。今は桜。少し早過ぎであった。 |
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