1 山科別院 蓮如墓地 毘沙門堂 諸羽神社 山科地蔵 京都 11km 2001/01/07
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京都行きの新幹線の右手に見える林が、山科本願寺の城壁と聞いたことがあり、今回、念願叶い、山科の町を歩いてきた。
山科は地下鉄が通り、醍醐寺はここからすぐの所となった。1度お参りに行かなくてはならない。 さて、山科の駅を南に下る。逢坂の峠からの川の扇状地のため、南西の方向に土地が下っている。後で資料を見て知ったが、駅の周辺から、山科本願寺があったあたりは、土地が水を吸い込み、田圃が出来なかった。本願寺の西の外れからは湿地帯で田圃があった。湿地帯になるあたりは、水が自噴するそうです。従って、低地を田圃にして、その周辺に人が住んだようです。山科本願寺はその水のない東側に造られたようです。 |
西本願寺、東本願寺の別院が別々に離れた場所にあった。雨になりそうな寒い日だったためか、人影はほとんど見られなかった。
山科東別院には、新しい蓮如上人の銅像があった。少し南に西別院があり、両方お参りできた。蓮如さんのお墓があると聞いたので、そちらに向かう途中、像の乗っていない立派な石積があり、写真を撮り、しばらく見ていたら、地元の方が声をかけてくれた。 |
「良くお参りに来てくれた。ここにあった銅像は戦時中に供出してしまって、土台だけ残っている。今は、銅像は東別院に新しく作った。見てきたか。」と言うことで、山科本願寺のことをいろいろ話してくれた。古い写真や、本を見せて貰った。蓮如さんのお墓を聞き、お寺の残っている城壁のみられる場所を聞く。ついでに、蓮如さんの亡くなったお寺さんは近いから行くと良いと教えて貰った。本当にお世話になってしまった。
見せて貰った本は、最近出版された、「戦国の寺・城・まち」でした。これは、名古屋で探したが、無く、インターネットで、注文し手に入れた。 |
樹木に囲まれた蓮如上人御廟所があった。墓地は寺とか、町を外れた寂しいところに作ったのだから、この西側が本願寺があったのだと、昔の繁栄を思った。 |
御廟の西は、安祥寺川、山科中央公園があった。この東北角に小山が残っている。これがお寺を守るためにぐるりと囲む土居の一部とのことです。今でも、10m位の高さがある。よっぽど頑丈な土塁を作ったんだなと思った。後で本を見ると、戦国武将のお城の土塁掘りよりも早い時期の構造物だったと有りました。宗教の力はもの凄い。
ほかにも残っている箇所があるようですが、判らなかったので、蓮如上人の往生の地を訪ねた。西宗寺。 |
蓮如上人の「放鶯の座像」が有った。説明に、死の近い上人に、慰みのため、鶯を差し上げたところ、「鳥類だに、法を聞け、法を聞けと鳴く。なんぞ同行聴聞せざるや」と戒めたまいてこの鳥を放ち・・・とありました。以後山号を「法鶯山」と号した。
後で本を見ると、本願寺の西側に位置している古いお寺さんのようでした。昔からの村の中心地を歩いたことになる。本願寺関係はこれでネタ切れ、駅に戻り。 |
「四ノ宮や、河原の宮居末早き」の四宮河原を通り、諸羽神社お参り。昇り坂の道を息が切れないようにゆっくり登る。琵琶湖疎水を渡り、毘沙門堂をお参り。天台宗のお寺さんです。 |
帰りに、赤穂浅野家の菩提寺、瑞光院をお参り。浅野内匠頭の墓、内蔵助他の供養塔があるようですが、雨が落ち始めたので、急ぎ駅へ戻ることにした。 |
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