7 新居 舞阪 静岡 13 km 2007/10/20
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しまなみ海道の歩き失敗を反省し、東海道を歩くこと、2日目。 新居の関所は、9時始めのため、新居着8時30分。 |
新居関所。
渡船場は関所の中にあった。考えてみれば当たり前です。 今は1号線沿いの陸地の中にあるが、渡船場が作ってある。(右の写真) |
面番所(めんばんしょ)。
裃着きが、大将の番頭(ばんがしら)。 武器を並べて、権威を保った。 |
新居宿旅籠紀伊国屋資料館。
旅籠が、良く保たれている。右は、2階部分で、階段の回りに、部屋が並んでいる。 離れもある。 |
新幹線、東海道線、1号線、の橋。1号線バイパスは、今切り口に高架橋で渡っている。地震、津波も大丈夫に作ってあるのだろう。
上げ潮で、中に向かって潮の流れ激しい。 昔、チンタ(黒鯛の子)を釣に来た。今日も、ピンヤに船を止めて、釣っている。チンタと思われる。釣ったところは見なかった。 |
舞阪の今切渡しの渡船場。
雁木(がんげ)という。階段状になっている渡船場をいう。 |
舞阪の脇本陣、茗荷屋(みょうがや)。
間口5間、奥行き15間、上段の間がある。東海道唯一の脇本陣だそうだ。 我が家の家紋も、茗荷屋と同じ、「抱き茗荷」。初めてであった家紋だ。
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脇本陣の前に、本陣跡。 |
舞阪の一里塚。 |
見付の石垣が残る。
見付とは、見張り所。 |
舞阪の松並木。御油の方が立派。
12時、食事した。マメは出来なかったが、少し、痛みが出てきた。毎週は、少し堪えたかな。帰ることにした。 岡崎へ戻り、画家の高安醇展を見てきました。色彩と光をテーマとした作品と、そのの説明がありました。親爺さんは、有名な歌人という。 係の人が、京都から、お弟子さんが見に来るんですよと、言っていた。 |
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