4 御油宿 吉田宿 愛知 18 km 2007/06/21
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東海道の歩きに出た。今日は、御油宿から吉田宿へ。 |
![]() 隣の赤坂宿とは、16町(1700m)しか離れていないので、泊まり客の争奪が激しかった。飯盛女を集め、これでも競い合ったという。 梅毒も流行ったことだろう。梅毒にかかっても、大らかだったという。勿論、直す薬もなかったが。 |
![]() ![]() 高札場跡。 |
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![]() 音楽家などが使うという。 先回はなかった。 |
![]() 元は、鳳来寺山、秋葉山、浜松方面への道との追分にあった。 |
![]() 豊川市桜町で詠んだ「散り残る花もやあると桜村青葉の木かげ立ちぞやすらふ」の歌碑。 |
![]() ![]() かくさぬぞ宿は菜汁に唐が羅し 芭蕉 この家では、感心なことに質素な生活をしていることがよく分かる。現にこうして菜汁に唐辛子を和えただけの簡素な食事を出してくれるのだから 。 ももの花さかひしまらぬかきね哉 鳥巣 |
![]() ![]() 昔、菟足(うたり)神社には人身御供があり、街道を通る若い女を生け贄にしていた。 ある年の事、贄狩りに出た人の前を、若い女が故郷の祭りと父母に逢う楽しさを胸に秘めて、橋まで来た。見れば我が子である。 「どうしよう」と苦しんだが、神の威光の尊さに「子だが止むを得ん」と生け贄にして神に奉った。 それからこの橋を「子だか橋」と言うようになったとの事です。今は、12羽の雀を生け贄にしているそうです。 |
![]() 豊川の自然堤防上にある。 |
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![]() ![]() 聖眼寺の松葉塚。写真右の長い石碑。 亨4年11月10日頃。『笈の小文』の旅中、渥美の杜国(とこく)を訪ねる途中、三河豊橋で。 松葉(ご)を焚いて手拭あふる寒さ哉 芭蕉 |
![]() ![]() 原田圭岳(けいがく)筆「老松図」屏風。 神明社の祭に使ったという。西尾の人。 |
![]() 松葉公園となっている。 |
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