6 姫街道 4 三明寺 豊川稲荷 御油 愛知 15 km 2005/03/29
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平安時代になると三河国司・大江定基は愛人の力寿姫の死を悲しみ、剃髪して寂照と改め、力寿姫の面影を弁財天に刻み安置したと伝えられている。 能「石橋」は、その寂照が三河国司を止めた後、中国に行ったときの話である。 大江定基と力寿姫の悲恋物語は、古典文学「今昔物語」に語り伝えられている。 |
本堂は改築中。 |
石仏が群れをなしてあった。赤い帽子を被っている。 |
豊川閣妙厳寺の大本堂(禅宗では本堂を法堂(はっとう)と言う)で、本尊に、千手観世音菩薩像が安置されている。 日本三代稲荷の一つである。境内に鎮守として、豊川托枳尼真天(だきにしんてん)を祭る。広く豊川稲荷と呼ばれるのはこの神のことである。 |
右:山門 |
お参りする。 |
豊楽殿 |
ここに、諏訪一里塚があったと言うが、今は何もなし。 |
かげろふの我が肩に立紙子哉 芭蕉 |
豊川稲荷からは、道路も広くなり、昔の面影は、少しも残っていなかった。 |
ここを通り、赤坂に入り、名鉄、名電赤坂駅で電車に乗る。 |
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