7 金谷 島田 藤枝 岡部 丸子 28 km 1995/09/15
|
島田は高校まで住んだ古里であるが、東海道の宿場町の認識はほとんどなかったので、この町並みもそのように見ることはなかった。今回、改めてみて廻った。 |
水の深さで値段が変わり、帯下通(おびしたどうし 足までの深さ)で肩車川札1枚(川越人足1人分)1000円だった。これ以上の深さの時は、肩車でも補助に1人付いたので、2000円。脇通を越えると川止めとなった。深さを誤魔化して、悪いことをしたようです。 人足の集まり場、川札の換金所、食べ物屋が並んでいた。昭和40年代に復元整備された。又、近くに島田博物館が出来ており、いろいろ集めてあるようです。 |
藤枝の宿を過ぎ、岡部の宿に着く。1号線は、すでにバイパスが出来、岡部の1号線は静かだった。 |
宇津谷峠には、明治のトンネル、昭和のトンネル、現在のトンネルの3つある。旧東海道は明治のトンネル際から峠に掛かる。現在は、とても苦労した峠とは思われなく、簡単に、宇津谷の 集落に出た。 |
安倍川駅に出る。 |
1995.11.25
|
|
「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」 芭蕉 |
「人数には誰にするがの丸子川、けわたす波は音ばかりして」 細川幽斉 この歌は、つわ者共が丸子川を渡る様を音を立てて大勢渡って行くが、と戦いの不安の一面を覗かせた歌と言う。 |
伊勢物語第9段に 「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つた、かへでは茂り、物心ぼそく、・・・」。 |
「駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」 人にも逢わないし、夢でも逢わない。 「時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪のふるらむ」 時節を知らない富士山だ。とある。 この文が、蔦の細道の名の起こりだそうだ。峠に歌碑あり。富士山はかすんで見えなかった。 |
|
以 上 TOPに戻る |