15 蒲原 浄瑠璃姫の墓 吉原 左富士 原 静岡 22 km 2008/05/18
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富士山はあきらめて、家を出た。在来線の一番時間のかかる辺りになった。6時の電車に乗り、新蒲原駅9時半から、歩き出し。 |
蒲原宿の商家。なまこ壁の塗り家造り。
土蔵造りより、壁が薄い防火建築であり、贅沢普請と言われていたそうだ。
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蒲原宿の東木戸。 |
日本軽金属(株)の発電所の水管。富士川の水を引いている。
富士川に沿って、合計6つの水力発電所があるという。アルミニウムの精錬には、莫大な電気がいる。自家用の電気があったので、今まで生き残ったのだろう。 |
蒲原城城主北条信三郎の墓。
武田に攻められ、落城し、自害したという。 |
浄瑠璃姫の碑。
三河国矢作の浄瑠璃姫は、義経を追ってきたが、力尽きて、ここ、吹き上げの浜で死んだという。 |
吹き上げの六本松。浄瑠璃姫を葬った所に植えたという。
北条信三郎の墓、浄瑠璃姫の碑共に、新しい花が供えてあった。いつまでも、この気持ちを失わないようにしたい。 |
蒲原一里塚。 |
東海道は、富士川沿いを避けて、山には入る。
江戸に入ると川のコントロールが相当出来たと思うが、津波被害があったのかな。 |
新幹線が出来て、小さな階段付きのトンネルになってしまった。東名高速は、ルートを変えて橋が架かっていた。 |
富士川町中ノ郷。
来年には、富士市になると言う。 |
岩淵村と中ノ郷村の境に、岩淵の一里塚。
岩淵名物の「栗の粉餅」の茶屋が並んでいたという。 岩淵という名が無くなってしまうかもしれない。興津、由比、蒲原、岩淵、富士、どれも懐かしい響きのある名前だ。 |
小休(こやすみ)本陣、常盤家住宅母屋。
一般公開されていた。上段の間があった。 富士川の川留め用の間の宿場の本陣。 |
富士川。この方向に富士山が見えるという。
水神社。 富士川渡船場跡。徒でなく渡船だった。 |
鶴芝(つるしば)の碑。間の宿本市場に、鶴の茶屋にあった。
ここから富士山を見ると、中腹に一羽の鶴が舞っているように見えたという。 絵や詩文があるらしい。 |
吉原宿の西に、富安橋。江戸時代は三度橋。 |
吉原宿の西木戸。
吉原宿の通り。宿の名残、余り残っていない。 |
平家越。
平家の軍勢、水鳥の羽音に驚き敗走せしもこの沼ならん。 今は、工場だらけ。 |
左富士。一町ばかり間の松の並木を透かしてみるまことに絶妙な景色なり。
道が南北に通り、京に上る時、富士が左に見える。 ここも、工場だらけ。右の写真に富士があるという。
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河合橋。
同級生、村越君と、この橋で出会った。車の中で、積もった話をした。彼も元気だ。 いつ死んでもいい。それまで元気にやろう!!! |
元吉原の毘沙門堂。
昔は、ここに、吉原宿があった。津波で今の地に移った。 |
この辺りは、浮島沼。干拓事業に励んだ男、増田平四郎の石碑有り。
現在の昭和放水路。海側に頑丈な水門有り。 |
JR田子の浦駅で、電車に乗る。前に来た時は、浮島沼が垣間見えたが、今回は、文化住宅で見渡せない。富士山も見えず、残念。 |
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