8 草津 大津 逢坂山 京三条

27 km    1995/08/26

東海道へ


 

 草津駅から歩き始める。

 草津の大津寄りに野路町(のじ)がある。ここに古い宿駅、野路の説明看板があった。

 野路の地名はすでに平安時代末期に見え、「平家物語」をはじめ多くの紀行文にもその名を見せている。鎌倉時代には、頼朝が上洛に際し、野路の地での逗留が見えるなど、宿駅として武将の戦略拠点ともなり、また瀬田川沿いを宇治方面へ抜ける迂回路の分岐点にもあたり、交通の要衝として重視されていた。さらに日本六玉川の1つとして古くから歌枕に詠まれた名勝地がある。「千載和歌集」に源俊 頼の歌 「あすもこむ 野路の玉川萩こえて 色なる波に 月やとりけり」と詠まれた野路の玉川である。

 草津が栄えると共に、すたれて、今は、一村落となっている。

 瀬田の唐橋を渡る。唐橋を制する者は天下を制する。多くの戦で何度も落ちた橋。有名な橋である。今は車の絶えないコンクリートの橋。
 膳所駅近くは、粟津原。謡曲「兼平」の木曽義仲の家来の今井兼平の墓がある。昔は、松林が続いていた所。ここで戦って義仲共々、自害した所。

 大津の街中は、道は残っているが、建物は皆無。途中、義仲寺あり。

 逢坂山に掛かる。今、一号線の車で、息が詰まりそう。逢坂山関跡の石碑あり。
 逢坂山に掛かる。今、一号線の車で、息が詰まりそう。逢坂山関跡の石碑あり。
 下りに掛かり、しばらく行くと、左に、月心寺がある。門を入ったところに、こんこんと湧き出る走井がある。

 山科に入る。旧道ははっきりと残っている。

 天智天皇陵を右に見て、蹴上げに向かう。

 終点、三条大橋に到着。
 

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