11 草津 大津 滋賀 20 km 2009/09/27
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東海道草津宿から歩き始めた。土山宿は5時間を要したが、ここは2時間半。
文明の利器をあまりけなしてはいけない、と思う。 |
9:30
草津宿脇本陣。
街道交流館。最近作ったもの。 |
立木神社。 |
9:40 草津宿の西の入り口、普通、見附というが、ここには黒門があったという。 |
「右 やばせ道 これより二五丁」 の道標。矢橋(やばせ)への道。
矢橋は、大津への船着き場、近道だった。近江八景の矢橋の帰帆(やばせのきはん)で有名。
ここは、有名な姥ヶ餅屋(うばがもちや)のあった所。今は、国道の方に移転した。 姥ヶ餅は、小さいあん餅の上に白い砂糖を乗せたもの、乳母の乳房ような菓子。 |
野路(のじ)の一里塚。 |
10:00
野路の篠原(しのはら) 平家の総大将宗盛の長男清宗の胴塚。五輪塔は見あたらなかった。個人の敷地の中にあった。
野路の篠原は、古来和歌の名所。少し西に、野路の玉水(たまみず)あり。 宗盛は、ここの東、野洲の篠原で殺された。 |
野路の街道。 |
野路の玉水(たまみず)、萩の玉水とも。日本六玉水の一つ。
京都井手に、井手の玉水。宮城塩竃の野田の玉水。 「あすもこん野路の玉川萩こえて色なる浪に月やどりけり」 千載集 源俊頼 「うちしぐれふるさと思ふ袖ぬれて行くさき遠き野路の篠原」 十六夜日記 阿仏尼 湧き水のある、景色の良い所だったようだ。 |
弁天池の弁財天。
この西に、狼川(おおかめがわ)あり。土地も狼川という。 |
次が、月輪(つきのわ)。
東海道立場跡の石碑あり。 |
続いて、一里山、大江、かたぎ原、ひの木山、新庄、橋本。
大江で左に、かたぎ原で右に、新庄で左に。
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橋本で右に曲がる。
いよいよ、瀬田の唐橋。 |
橋本の 「料亭 山形屋重右衛門」の看板。 |
11:40
瀬田の唐橋。
近江八景の瀬田の夕照の土地。 橋は何回架け替えたことだろう。 |
粟津原の曲がり角。解りにくい曲がり角には、表示がある。
木曾義仲の家来、今井金平の墓がある。工場の間の街道から奥に入った場所だったと思う。 |
13:00
西ノ庄の石坐(いわい)神社。
天智天皇、大友皇子が神様。 |
膳所(ぜぜ)城の北総門跡の石碑。 |
13:10 義仲寺。木曾義仲の寺。
義仲と芭蕉の墓あり。 今日は、山科まで行けそうだったので、お参り省略。
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義仲寺を過ぎて、直ぐ、町の人に呼び止められた。
愛知県岡崎だと言えば、家に招き入れられた。岡崎で敗戦を迎えたという。岡崎には、海軍の航空隊があった。 すっかり気に入れられ、おしゃべりし、昼食をよばれ、三時頃までお邪魔してしまった。 名前を名乗ることと名前を聞くことを、すっかり、忘れてしまった。 来月、西国33所参りで、ここを通る。その時、お礼を言おう。 |
15:10 大津宿本陣跡。 |
JR大津駅。 |
山吹地蔵。 |
15:40
北緯35度線の表示。1978年から2002年まで、ここの位置であった。
現在は、世界測地の座標に変わり、300mほど南に移動してしまった。 栗東、日野、土山、四日市市、岡崎市、静岡市、館山市、テキサス、クレタ島、イラン、アフガニスタン、洛陽、光州、島根県、京都市を通っているという。 |
大津駅前で、市の人に捕まり、大津の今日の行動をしゃべった。東海道すじでは、静岡、愛知に比べて、少し劣る。もう少し整備しても良いのではと意見を言う。
大津から在来線に乗る。野洲で行って、快速に乗り継ぎ、米原へ。 米原から、豊橋行きに。ようやく、休日だけは、便がよくなった。いつも通り寝てしまい、あっという間に岡崎でした。 |
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