12 大津 逢坂峠 山科 三条 四条 滋賀 京都 19 km 2009/12/23
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家から大津まで、3時間。相変わらず、在来線。すっかり慣れてしまいました。本を読んでいきます。
東海道大津宿から歩き始めた。 |
9:30 東海道本線を横断。
複々線の鉄路。 |
9:40 蝉丸神社下社 お参り。 |
本殿。
音曲芸道祖神の石碑あり。芸能の神さんという。蝉丸が盲目の琵琶の名手といわれるせいかな。 謡曲「蝉丸」の旧跡。 |
時雨灯籠。鎌倉時代の物。国の重要文化財。
関の清水。 |
境内に 、クチナシの実。。 |
句碑。
逢坂の流れは清し初桜 星野 椿 星野 椿 母、星野立子 祖父は高浜虚子。 歌碑。 逢坂の関の清水に影見えて今や引くらん望月の駒 紀貫之 |
逢坂の石碑。 逢坂の地名は、3世紀頃の勢力争いの時、神功皇后の将軍武内宿禰がこの坂で忍熊(おしくま)王とばったり出逢ったことに由来するという。 平安時代には、逢坂の関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺が建立され、和歌などに詠まれる名所として知られた。 |
安養寺。
本尊の阿弥陀如来坐像は国の重要文化財。 |
東海道本線 旧逢坂山トンネル。
昔は、まっすぐ、京都へでられず、南に下がってから今の奈良線で、京都に入った。 それでも、当時、最新の技術で創ったトンネルだった。 |
旧道が現在の1号線と
合流する所。
南に、名神高速道路。 東海道本線旧逢坂山トンネルは高速道路で潰され、上記の大津側の出口のみ保存されているという。
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10:00 蝉丸神社下社。 |
弘法大師堂。 |
逢坂峠。
逢坂山関跡。 |
峠から京都側の坂。 |
10:20 月心寺。 |
月心寺の走井の水。
こんこんと湧き出でている。 走井のかけひの水のすずしさに越えもやられず逢坂の関 藤原清輔 |
裏山からの月心寺の境内。
案外広い境内。落葉いっぱいの庭。 |
佛立寺。 本門佛立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)の最初道場。南無妙法蓮華経の石碑立つ。 佛立寺は安政5年に本門佛立宗に入信した小野山勘兵衛さんという方が発願して、安政6年に開導日扇聖人によって開創されたお寺で、150年になる。 |
大津市追分町の追分。
右 京。 左 宇治。 |
閑栖寺(かんせいじ)。
車石(くるまいし)。 江戸時代、石に溝を刻んで道に引き詰め、車を通りやすくしたんだそうです。 |
11:10
山科地蔵と徳林庵 お参り。
山科地蔵(四宮(しのみや)地蔵)は、東海道の守り神。 |
人康親王(さねやすしんのう)蝉丸供養塔。
人康親王 仁明(にんみょう)天皇の第四王子。両目を患い諸羽山の麓、現在山科区四ノ宮に隠棲した。 地名、四ノ宮はこの親王からの名。 |
天智天皇陵を過ぎて、粟田口。
粟田口の大名号碑。 近くに刑場があり、15000人が殺されたという。 |
13:00
九条山の標識。
ここを下りれば、蹴上(けあげ)。 |
蹴上の佛光寺。
粟田神社。粟田焼き発祥之地の石碑あり。 |
白川。 |
高山彦九郎の碑。
上州の人で、上洛の都度、御所に向かって拝礼した。勤王の志士たちは、心の鑑と仰いだという。 |
13:40
三条大橋。
2年がかりで、2度目の東海道を歩ききりました。
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14:00 四条まで京都の路地を歩き、有名なそば屋に入る。
好みに合わない蕎麦でしたが、2時過ぎなのに、満杯でした。 |
16:00 いつものラーメンは止めた。
京都駅に出て、在来線で帰る。 |
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