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 2 佐屋街道 2 (西条 秋竹 七宝 神守 埋田 佐屋) 津島神社 18 km 2004/01/02 
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| 東海道の宮〜桑名の海路を避けた陸路の脇街道があった。佐屋街道である。鳴海からの東海道は、熱田神宮で南の宮へ。北へは、美濃路佐屋路となる。2日目の佐屋路を歩いた。 | 
今は、神守は津島市の東の町。  | 
  
憶感神社(おっかんじんじゃ おかみのじんじゃと言われていた)お参り。神守はこの憶感神社を中心に栄えたと説明があった。  | 
  
その際に秋葉神社あり。区画整理で移設したようだ。ぴかぴかの神社だった。  | 
  
バーミャンの店の前を南に入り、2,30mで西に曲がる。  | 
  
追分の道は、今は無い。区画整理などで、消えたとのこと。 常夜灯、伊勢湾台風で壊れた津島神社の一の鳥居があった。  | 
  
この碑の所で、南に曲がっていたのだろう。  | 
  
途中、「くいな塚 この先1町」の道標あり。  | 
  
昔の舟場の絵があった。この直ぐ際に川があった。ここから舟で、桑名まで、3里の道程だった。  | 
  
また、隣に、大正時代の政治家、加藤高明の碑があった。ここの出身とのこと。  | 
  
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芭蕉は、元禄七年江戸から故郷伊賀に帰る途中、ここの門人の家に泊まった。最後の帰郷。51歳だった。 この辺りは、閑静な土地で、木の間隠れに「くいな」が鳴いていた。 「水鶏啼くと 人のいへばや さや泊り」 芭蕉 「田園に曲がりくねりし道残る芭蕉通いしとう佐屋の街道」 
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名鉄佐屋駅から、津島まで電車に乗る。  | 
  
堤下(とうげ)神社お参り。津島神社参道の石碑もあり。  | 
  
清正少年時代、ここの叔父の家に居た時、泥棒が入ったが、清正は、鬼の面を被り現れので、賊は驚いて退散したそうだ。 今も、鬼祭りが行われている。 隣接の上河原地蔵堂お参り。  | 
  
拝殿。 
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菅原社があり、学問の神様の宣伝がしてあった。 また、晶子の歌碑があった。 「二もとの銀杏をおきて自らは紅き津しまの  | 
  
祢宜町の堀田家建物。300年程経っている、商家。今日は戸が閉まっていた。  | 
  
車河戸。木曽川の支流、天王川は水運の河で、ここが入江となっていて、荷の上げ下ろし場だった。 今は天王まつりの屋台の組み立て場になっているようだ。  | 
  
十王堂。昔は町の東西南北の入り口にあたるところに十王堂が建てられた。  | 
  
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