5 菟足神社 五社稲荷社 ナギ 山本勘助墓の長谷寺 今川義元墓の大聖寺   愛知

11 km       2007/06/23

東海道へ


 

 21日、東海道の歩きで菟足(うたり)神社をお参りしたが、近くに山本勘助の墓があるので、出掛けた。 昔の伊那街道である。但し、勉強不足で、ルートは定かでない。今日は、 名鉄伊奈駅から豊川稲荷駅まで歩いた。
 菟足神社。本殿お参り。

 神社のある高台は、豊川の河岸段丘で数m〜十m高い。古墳、貝塚がたくさんある。

 菟足神社貝塚の説明があった。この高台にあり、明治30年代、大正12年、平成2年に調査した。

 夏越(なこし)の大祓(おおはらえ)ーー茅の輪くぐりの神事。

 6月晦日(かいじつ)、行われる神事。疫病を免れる、病虫害を免れる等、祓い清める。何処にでもありますね。

 少し早いが、茅の輪をくぐってきた。

 五社稲荷神社。

 文政13年(1830年)に京都伏見稲荷より五神を勧請して五社稲荷。

 五穀豊穣、商売繁盛として崇敬され、毎月1日と15日の月次祭には露店も出て多くの参拝客で賑わっているという。

 本殿は、古墳の上に建っている。説明あり。

 熊野神社の森に、ナギの巨木があった。5万分の1地図にも書いてある。

 昭和13年、国指定天然記念物。高さ20m、目通り3.5m、樹齢400年。

 隣に、優良広葉樹母樹林の指定。ケヤキが10本ほどあった。貴重な林らしい、森とはいえないかな。

 牛久保城址。

 江戸、元禄時代に廃城となり、地名が残る程度。

山本勘助の養父、大林勘左衛門貞次屋敷跡。
 長谷寺(ちょうこくじ)。勘助の墓(遺髪塚)の寺。お参り。

 NHKで放送中のためか、駐車場もあり、旗のぼりがたくさん立ててあった。

 勘助の資料は、ほとんどなしとのこと。地元のボランティアの人が嘆いていた。

 これから、岡崎の勘助のお墓を尋ね、資料調査してくるそうです。

 地元のパンフレット。

 山本勘助襟掛本尊 摩利支天像(まりしてんぞう)。大きさ約4cm。

 何時も襟に掛けていたが、戦場での討死を思い、この寺の和尚に預けたんだそうです。

 本物を拝んできた。

 勘助の遺髪塚。お参り。

 勘助は、青年期まで、ここ牛久保にいて、後、武者修行に出た。

 武田に仕えた時は、44歳だったという。TVを見ていると、もっと若かったように思っていた。

 

 大聖寺。今川義元墓、お参り。

 義元の胴体を、此処まで運んで、葬ったという。

 義元墓の隣に、一色刑部小輔時家の墓。お参り。

 室町時代足利氏の一族、一色氏は此処に城を構えたが、下克上の中で殺された。

 此処を、一色城として、大聖寺を城内に作ったという。

 ここから、3kmほど、伊那街道を北上。豊川稲荷駅で電車に乗る。豊川稲荷お参り省略。
 

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