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       5 四日市 石薬師 庄野 三重 23 km 2009/05/10 
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| 四日市まで、初めてJRを利用した。土曜日曜の乗り放題のキップを使用した。2500円。 | 
  8:15 | 
    
  8:30 四日市宿の東海道。
      
      アーケードのある道。東海道の面影なし。  | 
    
  丹羽文雄の生まれた、崇顕寺。
      
      2005年、102歳で死去。  | 
    
![]()   浜田の町並。
      
      商家で賑わっていたという。 鈴木製薬所。200年以上、薬屋を続けている。  | 
    
  東海道から別れ、水沢(すいざわ)へ行く道の道標。水沢は紅葉の名所だったらしい。
      
      水沢は藍より出て紅葉哉 大阪羽津み 
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  日永一里塚跡。 | 
    
![]()   9:45 日永の追分。
      
      伊勢街道との分岐点。  | 
    
![]()   10:30 采女(うねめ)の杖衝坂。 | 
    
 
      
      日本武尊が疲れて杖を突いたという。芭蕉の句で有名になったという。 歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな 芭蕉  | 
    
  血塚社。お参り。
      
      日本武尊の出血で染まった岩を祭ったという。  | 
    
|  日本武尊は、この近くの能褒野(のぼの)で死んだという。また、笠を置いたという、加佐登(かさど)がある。
      
       日本武尊は東国遠征の帰り、この辺りで、「わが足三重の匂り(まがり)なして甚だしく疲れたり」と言ったという。三重県の県名の由来という。 
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  采女一里塚跡。 | 
    
  11:30 石薬師宿入り口。
      
      佐佐木信綱のふるさと。  | 
    
![]()   佐佐木信綱の歌、36首の看板あり。
      
      四日市の時雨蛤(しぐれ)、日永の長餅の家土産(いえづと)まつと父を待ちにき ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲  | 
    
  小沢本陣跡。 | 
    
  天野記念館。
      
      事業家天野修一翁が作った記念館。 鈴鹿市に多くの奨学金を寄贈した方という。  | 
    
  石薬師文庫。
      
      佐佐木信綱が寄贈した図書館。  | 
    
![]()   これのふぐら良き文庫(ふぐら)たれ故郷のさと人のために若人のために
      
      ふるさとの鈴鹿の嶺呂の秋の雲あふぎつつ思ふ父とありし日を 佐佐木信綱 傾けてバイクを駆れる群が行く鈴鹿の山は父祖のふるさと 佐佐木幸綱  | 
    
![]()   11:45 佐佐木信綱の生家。
      
      目をとづればここに家ありき奥の間の机のもとに常よりし父 信綱 隣に、佐佐木信綱記念館。  | 
    
  記念館前の卯の花。 | 
    
  浄福寺。
      
      佐々木氏菩提寺。  | 
    
  石薬師寺。 | 
    
![]()   12:20 石薬師一里塚跡。
      
      石薬師宿の西の入り口。  | 
    
![]()   庄野縮の入り口と町並。 | 
    
![]()   13:10 庄野宿資料館。
      
      庄野宿本陣跡。  | 
    
  14:00 中冨田一里塚。 | 
    
| 14:28 井田川駅から乗る。1時間に1本の電車。滑り込みセーフ。 | 
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