その他の趣味

戻る

登山

  ライブスチーム以外の趣味は? と訪ねられたら困ってしまう。 本音は 「登山です。」と答えたいのだが、 なんせこのところ山にはとんとご無沙汰している。 2年前までは少なくても4月の乗鞍に山スキーに出かけたが、これさえ去年から行かなくなってしまった。 登らなくなった人は登山者ではないのだ。 

  かつて私の趣味は登山しかなかった。 蒸気機関車はそれ以前の小学校高学年の頃からなので別格だが、ほぼ就職と同時に全廃され、心を燃やす対象がなくなってしまった。 

  就職してしばらくは仕事を覚えるのに精一杯で趣味どころではなかった。 ただ高校生の頃から登山が好きで中国地方の大山に一人で登ったり、富士山に登ったりしていたので、登山はやりたいと思っていた。 

  これは高校時代に蒸気機関車の撮影のため九州や北海道に旅行したが、 当然お金の無い旅行で周遊券をフル活用して夜行列車で寝たり、野宿したりしており、こうしたことを体験した結果、行動範囲が広がることがおもしろくなり、 そして単なる平面的な旅行から、だんだんハードな内容に変化し、より深い満足感を得るために、より困難を追求した結果、対象が登山になっていったのだ。

  始めは単独行でテントによる縦走形式だったが、 それにスキーが加わり山スキーとなった。 このころ地域の山岳会に所属し、冬山や沢登りや基礎的なロッククライミングを覚え、 オールシーズン・オールラウンドを一応目指した。 そこで知り合った人と結婚し、 現在は結婚生活という登山よりもはるかにグレードの高い登山をしてはいる。 この登山は体力より高度な精神力を要求されるが・・・・・・。

  山の登山はほとんど体力勝負である。 ただし、ロッククライミングなどは、ある1カ所が登れなければ下降を強いられる。 スキーもある程度ゲレンデで練習しなければ体力だけでは少し無理である。 しかしアクシデントなどで死ぬか生きるかになれば必ず体力がある方が良い結果となる。  

  体力もなく山に行ってない昔の登山者が山へ行くと、経験者ほど遭難予備軍となる。 頭はかつてのままで、体がついてこないのだ。

  これがわかっているので とても登山が趣味とはいえない。 だが、それではあまりにも寂しいので、「趣味だった」と過去形で話している。

  かつての趣味だった登山の経験はしっかりとライブスチームづくりに役立っている。  目指す山頂や目標が遠いとき、自分に言いきかせるのは 「足さえ前に出していればいつかはたどりつける。」 ということだ。 ライブスチームも同じで、 今やっている作業のつらさとそこから推測されるこの先の膨大な作業に もういやだと思うこともあるが、そうしたときは 「なにかやっていれば必ず完成は近づく。 手を止めたらそれで終わりだ。」 と思えるようになった。

  

パラグライダー

  下山するときいつも思っていたことがある。 それは 「もっと楽に下れないか。」 ということである。 夏山などは特にそう思う。 春の乗鞍ならスキーを使えば山頂から乗鞍高原スキー場の一番下まで約1時間である。 標高差約1500mを自分なりにぶっとばす。

  そうしたときにパラグライダーを知った。 登りで楽しんで、下りで楽しむ。 1粒で2度おいしい夢を抱いて 飛ぶことがいかにデリケートな行為かなどは知る由もなく講習に飛び込んだ。 が、 パイロット証をもらう頃 「これは登山と一緒にはやれないな」 と気付いた。

  パラで飛行することは非常にデリケートで、条件がそろう必要がある。 休みの日にそこそこ晴れていて、飛行エリアの離陸場所の風向きが良く、しかもその風が強すぎないことだ。 さらにその風が飛行時間中激変しない見込みがあることだ。 楽しみにしていた日曜が雨や強風でおじゃんになるとやる事が1日なくなる。

  こうしたぽつんとあいた時間を有効利用するには工作なんぞよかろう。 しかもその工作が汽車ならなおよかろう。 昔からやりたかったことだし、 完成品が買えるわけない値段だからあいた時間にこつこつやればいい。

  というのもライブを始めるきっかけのひとつとなった。    ところが現在パラはとっくにお蔵入りとなってしまった。 もう飛べないだろうなあ。

 

素潜り

  どういうきっかけで始めたのかはよく思い出せないが、 岩礁帯の海に潜り海中の景色を見るのは実に楽しく, よく潜りに行った。 水族館なんぞ手軽ではあるが臨場感に欠ける。 アクアラングも体験したことはあるが、 費用面で継続できることではなかった。 魚と泳いだり美しい景色の海中散歩が手軽に安上がりに楽しめる素潜りが私には合っていた。 

  よくいったのは若狭で、海岸線に沿って25,000分の1の地形図を買っておもしろそうな所をしらみつぶしに調べて潜りに行った。 結婚後も子供が泳げるようになってからは昨年まで家族全員で潜りに行った。 いつだったか2週続けて同じ所にいったこともある。 当然キャンプであるがいわゆるキャンプ場には泊まらない。 全く人に会わず誰にも迷惑をかけないところで宿泊し、跡形も残さず撤収する。 登山に比べれば車や文明の利器が使えるためたいへん合理的で楽である。

  自分の意志で3次元行動ができるのはパラと同じだが。 開放感のあるパラに比べ素潜りは圧迫感がある。 なにより視界が狭い。 深く潜るとマスクが顔にくっついてくる。、呼気を出して直すが、こうした圧迫感はつらい。  

  パラは上に行って下へ帰るが、 素潜りは下に行って上へ帰る。  私の最高深度は10.0mだが、ここから戻る水面は遠かった。 急いではならず、自然にもどるのが健康的だ。 だが息が苦しいと地獄を見る思いだ。

 

スキー

  どれだけやってもうまくならなかったが、 講習会に参加して講師の指導を素直に聞いたら自分でもうまくなったと自覚できた。 人の意見を聞くことはその人の体験とその時間をもらうようなものでありがたいものだ。 しかし若かった頃はこれがなかなかきけなかった。 自分のポリシーや経験が邪魔するのだ。

  我流でもそこそこすべることはできる。 しかし我流の滑りを発展させて、いつでもどこでもどんな雪でも気持ちよく滑る滑り方に行き着けるかどうかは博打みたいなもので確率は低い。 富士山に登っている限りエベレストの高さには絶対到達できない。 道が違うのだ。

  素直に聞けさえすれば雪慣れなら自信はあるぞ。 雨ザーザー降りの検定日だったが2級をいただいた。 ようやくエベレストの麓に通じる港に着いた感じがした。 しかしすでに登る元気が・・・・・・・。

 

天文

  これがどのような趣味か文字からわかる方はおそらく同じ趣味の持ち主でしょう。

私は小学校のころから天体に興味がありました。 きっかけはこんなささいなことでした。 

 母と夜道を歩いていると月が頭の上にありました。 歩いても歩いても回りの景色や様子は変わるのにいつも月は頭の上にあって、自分についてきているようでした。  どうしてだろうと月をいつも見るようになりました。 そのうち星も見るようになりました。 そこから星座をたどるようになり、その大きさに驚いたり、動かない北極星や動き回る土星や木星、火星。 太陽にくっついている水星、金星。それらを地上の視点を離れ、銀河から太陽系を見る視点に気づき、大きなスケール感に圧倒されたりして、どんどんのめり込んでいきました。

 中学では科学部天文班のメンバーとして毎土曜日の夜に学校や山に集合し、持ち寄った望遠鏡やカメラを使い観察や星の写真を撮ったりしていました。 また、流星の計数観測で徹夜もしばしばでした。 そういえば里山の土取り場で観測をしていたら補導員に見つかり、理解を得るのに一苦労したこともありました。

 このころに覚えた星座はさすがに忘れません。 いまでも建物にはさまれた狭い夜空から見えるわずかな星の連なりでも瞬時にどの星座かわかり、その傾きや時刻でどっちが北か直感的にわかります。 これがずいぶん山登りに役立ちました。

 また、駅からの帰宅途中に夜空をみると、季節の移り変わりを星座で感じることが出来ます。 当時も今もどちらかというと変人扱いを感じる趣味ですが、この趣味の持ち主に決して悪い人はいません。

 みなさんも夜の空を見てみてください。 見えている星の輝きは少なくても4年前にその星を出発してあなたの目に届いているのです。 多くの星の輝きは何千年も何万年も昔にその星から発せられた光です。 もしかすると今はその星は無くなっているかも知れないのです。 何とも神秘的ではありませんか。 そしてその時間スケールのでかさは人の一生や人類の歴史を瞬きひとつにしてしまいます。

 星と星の間の暗い空間には人類が未だ理解しえない宇宙のはてがあります。 果てはあるのかないのか。 大きさのしれない宇宙の空間という、わけのわからない空間に地球は存在し、そしてその表面に自分が生きて生活している事実はなんなのか。 こんなことも考えさせてくれます。

 

                                         戻る