雑記帳      (上が新しく、下が古くなっています。)   

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「三河の山里だより」 をみて たずねていただいた皆様へ。

つくで高原模型鉄道の様子については別のページにまとめましたので、恐れ入りますが こちらへ お願いします。

 

 

 

 

 

2012年 10月 6〜7日 白馬運転会

第6回の白馬運転会に参加できました。  ライブが圧倒的に多い中で電動車両で重連を楽しみました。  

  

  

  

  

  

         

 

 

2012年 9月22日 遠征運転会

自宅から約3時間のところにあるレイアウトにお邪魔してC4で遊びました。

友人の機関車と重連総括制御で走りました。  レイアウトはこのように高台にあって、とてもロケーションが良く、気持ちがいいです。

頂上部分はエンドレスとリバースがあり、写真はエンドレスを機関車だけで走っているところです。

  

  

  

 

 下の写真はクロスですが、車両を手前から搬入します。 トラバーサーも整備されています。 ほとんで一人でここまで作られたそうです。 すごいですね。!!

 

  

 

右側の車両は下から上がってきたところで、 左の車両はリバース線を回って、これから下るところです。 上りと下りは別の線になっていて、衝突することはありません。

 

遠隔操作のポイントです。                                 

  

 

   休憩所や倉庫もありました。

 

 

 

 

2012年 5月6日 C55の運転準備

よさみの運転会が5月6日にあったので久しぶりにC55を運転した。 来週の5月13日のつくで古城祭りでの開通式で運転できるかどうかチェックも兼ねていた。

昼からは倶楽部の友人に運転していただいた。                    花が少し咲いていました。 新しい公園管理者は線路の周りに花を植えてくださいます。

  

  

 

  実物ではありえない光景が模型では見られます。                   動輪の透け具合がC55の魅力です。

  

 

 

 

2011年 10月1日〜2日 白馬ミニトレインパーク運転会に参加

旧国鉄型蒸機がたくさん集まりました。

 

ならべて写真を撮らせていただきました。

 

蒸機同士のすれちがいです。   このシーンが撮りたかった。   

 

環境の良い林の中を、蒸機が煙を吐いて行く光景はいいですねえ。

C12なのに、なぜかテンダーが・・・・・・。  なんでもありが楽しさの源泉ですね。

 

C55のサイドビューはいいなあ。

 

2011年 6月中旬 ナイター運転会のお知らせ。

日中の運転会は何かと気ぜわしく、また車両やレールの撤収もあるためゆっくりだべりんぐができにくい状況です。 特にお客さんが多いと走るのに必死です。

そこでのんびり一杯やりながらオールナイトでも話ができるように土日での運転会を企画しました。

開催日は平成23年7月23日から24日です。 場所は愛知県新城市作手清岳字ナガラミ10番2  つくで手作り村 「道の駅」の芝生広場で、仮設レイアウト5インチです。

直線約10mをはさんだ長円で、R7.5mです。

基本的に衣浦鉄道倶楽部の会員に声をかけていますが、 会員以外の方でもOKですのでご希望の方はご連絡ください。(メールアドレスはこのHPの連絡先情報と同じです。)

なお宿泊は車中など各自自由です。 宿泊施設での宿泊は予定していません。

 

2011年 5月中旬  マンデリ炭を購入しました。

 よさみでライブを運転していたら 「無煙炭じゃないんですね。」 と言われた。 どうも私以外は無煙炭で運転しているようだ。 どうやら煙が出ないのがいいらしい。  

 私は煙が欲しくて有煙炭を使っている。 なのに煙は石炭を放り込んだ直後しか出ない。 これはとてもさびしい。  

 お客さんは煙が無いほうがいいだろう。 特に子供たちは、ライブよりも赤い電車や新幹線の方に乗りたがり、 ライブにあたるといやだと泣く子供もいる。 そりゃそうだろう。 煙い、臭い、汽笛が怖い、何が良くてライブになんか乗るものか。と思っているだろう。 乗ってみようかと思うのは大人の男性くらいである。

 でも私は、自分が煙たかろうが子供に嫌われようが有煙炭がいい。 2002年11月の雑記にも書いたが、煙が無いのがいいならガスの方が目的に合っていると思うのだ。 

 また、無煙炭は有煙炭より火の管理に気を遣う。 お客を乗せている運転会では火に気を遣うより、安全確認に気を遣う方が目的に合っているだろう。 といってもこれは私に限ったことで、鼻歌まじりに無煙炭を使える人はそんなことは関係なく、また人それぞれの楽しみ方があるのは当然だ。  要は私はめんどくさがりなのだ。

 かくして手持ちの石炭が無くなったのでOSからマンデリ炭2袋を購入しました。

 ちなみに無煙炭のカロリーは有煙炭に比べて高いがそれは単位重量当たりである。 燃焼時間が無煙炭の方が長いので単位時間当たりの発熱量(いわゆる火力)はおそらく有煙炭の方が高いだろう。 これは運転してみればすぐに分かる。

 

2011年 5月上旬  子供の日にC55運転

ようやく晴天となり、運転できました。

2011年 5月上旬  雨でC55走行できず

 天気予報どおり5月1日は雨降りでよさみの運転会は中止となり運転できなかった。 残念だがしかたない。 5月5日が無料運転会なので、この日に運転することにした。

 

 

2011年 4月下旬  C55テスト走行

 久しぶりにC55クラスの蒸気上げをおこなったが、ちょっと戸惑った。  たきつけの量と初期投入の石炭の量が多く必要で(あたりまえだが・・・・。)、ちょっと写真を撮っていたら火室の中が空っぽで火が消えそうになってしまった。 

 お客さんを運ぶだけならボールドウィンくらいでちょうど良く、 こんな大きな機関車は運客人数の割には燃費は悪い。 ただ圧力の持ちはボールドウィンの比ではなく、熾きだけで5周位、つまり1500mくらい走り、残圧はまだ0.3Mpaあった。 こんなんじゃ罐焚きはうまくならない。

 一応走りはしたのでやれやれです。 明日の天気予報は雨ですが、どうなるでしょうか。    

 

2011年 4月下旬  C55整備中

 C55の整備を1日中やりました。 

 項目は、エアーによる回転テスト、ハンドポンプの固着開放、ボイラーの水圧テスト(1.0Mpa)、安全弁の動作チェック、再塗装、などです。 

 7年間ほっといても僅か0.1Mpaのエアーを送っただけでからからと回ったのには感動しました。 やはり蒸気機関は機械的に安定しているのだと再認識したしだいです。 ガソリンエンジンだとこうはいかない。

 びっくりしたのが安全弁です。 水圧テストで1.0Mpaをかけても固着したまま動作せずに水圧テストができました。 水圧テスト後にはずして固着を開放し、エアーでチェックして0.05Mpa差で2つが動作することを確認しました。

 日曜日は雨模様なので、4月30日によさみの引込み線でテストしようと思います。

 

2011年 4月中旬  桃の花

          近所に変わった咲き方をする桃の花らしい木があります。  1本の木から白と赤とピンクの花が咲いています。  よくみると一枝のなかでも3色の花がついています。

        とても見事なので毎年楽しみにしています。

 

        

 

2011年 4月中旬  装備交換中

         

 ガスバーナーをはずして石炭焚きに換装中です。 ボイラーを持ち上げてバーナーを引き出しました。 C62やビッグボーイは焚き口から出し入れしますが、はじめの1台目は考えが及んでいませんでした。 

 他にも今見るとあちこち改良したい箇所が目につきますが、 まあ、そのうちにということにしました。 

 

2011年 4月中旬  C55を走らせてみようかな。

          先日、mixiにC55のコミュニティがあることを発見し、読んでいるうちにC55熱が再燃してきました。

          私のC55は2003年に走ったのち、家の前の借りた倉庫にしばらく保管していたが、 3年くらい前にこの倉庫が使えなくなり保管場所に困った。

         幸い友人のK氏が預かって下さることになり、お言葉に甘えて今日にまで至ったが、 また走らせてみたくなり引き取りにうかがった。 

         久しぶりに見るC55は保管環境が良好だったため、思ったより錆びも少なくK氏に感謝、感謝です。

         

          

         

         

         次回のよさみ鉄道の運転会は5月1日なので、これまでに整備を完了して走らせたいと思っています。

         それにしてもホームセンターの普通のアクリルラッカーはすばらしい。 錆にも熱にも十分だということを再認識できました。

         シリンダーの動きが気になるが明日チェックしよう。

2010 秋  長野県王滝村での森林鉄道フェスティバル

        長野県王滝村での森林鉄道フェスティバルに衣浦鉄道倶楽部として協賛参加しました。

        前日の線路敷設は雨降りだったため、大屋根の下に線路を敷くことにしましたが、当日はよい天気に恵まれ前回よりも多くの来場者がありました。      

 

 

2008 11月  神戸メリケンパーク運転会 

 

 

2008 10月   福知山ミニSLフェスタ

久しぶりにBBを走らせた。

 

2007 11月 3〜4日  王滝村 森林鉄道フェスティバル

 王滝村で、第二回目の森林鉄道フェスティバルが開かれました。 実物をレストアしたディーゼル機関車と運材台車による運材のデモと、5インチゲージ車両による運転会と、18インチ車両による運転会と、木曾モジュールクラブによる運転会、それと写真の展示会が主な内容でした。

 文章よりも写真をお楽しみください。 ロケーション、雰囲気、お客さんのなかみ(当然鉄道ファンが多い)、どれをとっても参加して良かったと思う運転会でした。

 

  

  

  

  

    

    

 

1周 約150m、 ヤードが約10本の仮設レイアウトが出現しました。  

木曾モジュールクラブのレイアウトもすばらしいものでした。 このすばらしさは写真では伝わりません。 ぜひ実物を見てください。

   

    

 

   

 

 

 

  

 

中央線のD51の脇を通過する運材列車だあ〜。

 

 

 

   

 

抜けるような青空のもと、大好きな機関車がたたずんでいます。 これこそわたしが憧れる鉄道情景です。 

機会があれば、夕方の薄暗い中、ぼんやりした明かりの中で撮りたいものです。

     

 

あこがれのツーショット

 

 

 

 

2007 5月中旬   やっぱりヒマラヤンツーフーターは良い。

45mmゲージを走るヒマラヤンツーフーターを拝見した。 う〜ん。 やはりいいなあ。  設計だけでも始めようかなと思わせるスタイルだ。

 

蒸気エンジンの設計雑感    2007年 5月中旬

加悦2号の設計をする場合に問題になったのは、「いかにして蒸気の使用量を減らすか」だった。

シリンダー容積の割りにボイラーが小さいため、走行中の蒸気圧の維持が困難なことが予想されたためだ。

蒸気の使用量を減らすには、まずシリンダーの容積を小さくすることだ。 しかしシリンダーの容積を小さくするには直径を小さくするしかない。 ストロークはクランク半径に影響するためデザイン上変えられないからだ。

次に蒸気使用のロスを減らすにはどうしたらよいか。  まずレギュレータ弁体をできるだけエンジンに近いところにすることだ。

次に弁体から蒸気室までの距離を短くしてこのパイプの容積を減らすことだ。 パイプを細くすると圧力ロスは大きくなり、大きくするとレギュレータを開いてもすぐには動かず、絞ってもしばらくは走ってしまいレスポンスが悪くなる。 

次に蒸気室の容積を減らすことだ。 バルブストロークぎりぎりに長さをとり、チェストの幅ぎりぎりにする。

さらに蒸気室の蒸気分配板の穴からシリンダーまでの容積を減らすためここも短くすることだ。  この区間の通路断面積は大きくしすぎると蒸気使用量は増える。  この区間の蒸気も1回のストロークで捨てられるためだ。  細くすると圧力ロスが大きくなる。 

細かいことだがこうした積み重ねで少しでも運転しやすい機関車にしていこうと思う。

 

スハ45の3輌の台車   2006年 12月中旬

    

走行状態はほぼ満足できるものでした。  引っ張ってくださった皆さんありがとうございました。

 

 

スハ45到着  2006年 11月下旬

スハ45が到着しました。 名前(記号?)を書いてやらないといけませんね。 サボも必要です。 号車票もいりますね。 連結部分に幌も必要です。あれこれ楽しみです。

 

ビッグボーイの上に大切に保管します。

私の家で保管してはいますが、所有しているというよりも無期限で預かり、利用させてもらっているというほうがしっくりきます。

 

続々 スハ45 ひたすらルーチンワーク  2006年 11月下旬

車輪の鋳物ができてきました。 プレート車輪30個、 スポーク車輪30個です。 

このうちスポーク16個はD51のテンダー用です。 残りは全部マニ、オユ、スロ等客車用です。

 

続 スハ45 2006年 11月下旬

ついに明石鉄道にスハ45が入線した。  

用意したTR47風台車にのせて、借り物の機関車でぐいぐい牽きまわした。

ひととおり気がすんだあと私はスハの傍らに座り込み、しばし感慨にふけってしまった。 

工作技術、表面仕上げ、塗装技術どれをとってもすばらしいの一語につきる。

そして、いつかは・・。 と思っていたことが実現しつつあるのだ。 なんとすばらしいことだろう。 なんと胸躍ることだろう。 あとは残りの客車を自分で作れるかどうかだけだ。

 

 

スハ45 2006年 11月中旬

C62が牽いていた急行ニセコのフル編成が私の夢のひとつですが、 これにはC62の3号機と客車が必要です。

C62をもう一台作るのはかなりしんどいですが、 幸い友人が作ってみえるので完成したら一緒に走ろうと話しあっています。

残るは客車をどうするかでした。 

そうしたときに衣浦鉄道倶楽部のメンバーの一人が木製の名鉄7000系パノラマカーを製作されました。

これはすばらしくうまく作られていて、 しかも軽く強かった。  

ぜひ作り方を教えてほしいと懇願し、製作の様子を1日見学させていただいた。

狙いはスハ45をこの方法で作れるはずと考えたからです。

伺った先で作ってみえたのは客車のオハであった。 

私がスハを作りたいがどうしたらいいだろうかと相談していたのでもう着手されていたのだ。 ただスハの図面が無かったのでオハを作られていたのだった。

それから1ヶ月と少し。  なんとスハ45が3輌できあがっていた。  塗装済みの写真を見たとき私は息が止まってしまった。 「固まる」 という言葉を最近よく聞くが、まさにその状態だった。

これがその写真

       

これを見事と言わずしてなんと言おうか。

これらを見本に私にマニ、オユ、スロを作れるだろうか。 ・・・・・いまのところ自信がないというのが本音です。

 

私はというと客車の台車を作っていたが、まずは1両分あればいいだろうと進めていたが、こちらが後手にまわってしまった。

スハ45の台車はTR47のようだが、 これを凝ってつくるとキリがなく時間もかかるので一部を省略して作った。 ついでにオハ用のTR11も作った。

オハの車輪は8本スポークのようですが、まだ鋳物が出来てこないので仮にプレート車輪を入れてみました。

 

またもやうれしい出来事  2006年 10月下旬

下記とは別の友人がライブスチームに挑戦することになりました。  彼は若く20歳前半です。 

彼は子供のときに見た保存蒸気機関車が好きで、この機関車をぜひライブスチームで作りたいとのことでした。  

彼との会話もライブスチームをはじめるにはどうしたらよいか。 というようなことから会話が始まり、 それならコッペルがいいよ。 などと話しましたが、 彼も本当に作りたいのは別の機関車だったのです。

それなら勧めるのはいつものパターンで  、「作りたい機関車があるならそれを作ろうじゃないか。 」 ともちかけ決定しました。

その後彼と実物を実測し、少しずつ設計を始めています。

いや〜。 実にうれしいことです。こうした若い人がライブスチームに興味をもち、ライブラーになっていくのをみると頼もしく思えます。 

どんどん刺激を与えてライブ色に染めてしまおうと思います。 

 

うれしい出来事  2006年 10月中旬

友人がライブスチームに挑戦することになりました。 

彼からの電話の内容は 「ボールドウィンを作りたいが・・・・。」 ということでしたが、 どうも最終的な目標は別の機関車だったため、 「作りたい機関車があるならそれを作ろうじゃないか。 」 ともちかけ決定しました。

動輪の木型から作ることになり、ライブスチーム製作のほぼ全工程がわかるようになります。 個々の調査作業や工程等は実に地道で地味ですが、 これが夢の実現のためには最短距離なのです。  好きな機関車を作ろうとすれば意欲も継続できるし、費用も集中投資できるし、 多少の失敗があっても立ち直ることができやすいです。

こうした 「自分で作ってみよう。」 という方が出てくるというのはとてもうれしいことです。  微力ながらおせっかいをやきつつ夢の実現を後押ししたいと思っています。

 

やりたいこととやっていること   2006年 9月上旬

いわゆる鉄道模型について以前から何となく思っていたことですが、 最近強く感じたことがあります。 それは 「やりたいこととやってることが違うんじゃないか。」  ということです。

端的に言えば、「5インチの国鉄型蒸気機関車のライブを所有し運転したい。」と思っているが、今すぐは無理なのでまず、16番あるいは1番ゲージライブから始めて、ゆくゆくは5インチ国鉄型蒸気機関車ライブを目指している。 というような方がみえるということです。 もちろん発展的に目指すようになった方も大勢いらっしゃるようですが、 そうでない方も意外と多いということを感じました。

なんと言っても趣味であり、どのような形態の楽しみ方でも他人がとやかく言う筋合いではないと思ってはいますが、 どうもHOなどを一生懸命やり、そうしたステップの先に5インチがあるとお考えのようなのです。 つまり5インチをやるにはその前提としてこれより狭いゲージをやってでないとできないとお考えのようなのです。

これはいくら趣味といっても考え違いじゃないかと思います。 趣味は楽しむためにやっているので、5インチをやりたいという目的のためにHO等を手段でやっているのは楽しみが違うと思うのです。

私が考える楽しみ方は、5インチ国鉄型蒸気機関車ライブを目指しているなら、どうしたらそれが実現出来るかを考え、すこしでも近づくことを考えたり実行するのが楽しみなのではないかと思います。

例えば完成品の入手方法はあるのか。 価格はどうなのか。 キットはどうか。 自作の方法や条件はどうなのか。 ・・・とかを調査するのも目的にあった楽しみ方だと思います。  完成品を購入するために無駄遣いをやめ倹約すること自体も趣味ではないでしょうか。

当HPの模型作り金言集にも書きましたが、 「本当に作りたい物を、作りたい大きさで始めから作ればいい。それが情熱の継続に最も効果的であり、夢の実現に一番の近道である。」  という言葉があります。

この言葉はすばらしいと思います。 この言葉があったからこそ私は寄り道せずにまっすぐ夢に向かって進むことができました。 

この言葉に出逢う前には次のような言葉の呪縛がありました。 これはある模型屋さんにライブについて相談したときにおききした言葉です。 「HOも知らないのにライブなんか出来るわけがない。」  

この言葉があったため、初めての自作ライブのC55を考えていたときに大きな迷いがありました。

ところが数年後ライブを扱っている模型屋さんで相談したところ先ほどの 「本当に作りたい物を・・・・」 の言葉に出逢いました。  今から思うと聞く人を間違えたということに気がつきますが、 当時はわかりませんでした。

5インチのライブを目指している皆さん。 いえ、5インチにかぎらず何かを目指している皆さん。 目指す目標や夢があるなら一直線に実現を目指してください。 

いきなりは無理だからと考えずに、 いきなりやるにはどうしたらいいかを考えたり、 やってる人にそれも出来るだけ大勢の人に自分の夢を実現させるはどうしたらいいかについてアドバイスを求めてみてください。 素っ気ない返事の方もいるでしょうし、 親身になって下さる方もいると思います。 まず、ご自身からドアをたたくことからはじめましょう。

野球をやりたいのに水泳の練習をしていてはいつまでたっても野球はうまくなれません。 スポーツあるいは鉄道趣味と共通はしているものの、内容は全く異なることなので、どんなに別のことをしていても夢は近づいてきません。

 

市販されているライブスチームは高いか安いか ?    2006年 1月下旬

 2005年秋に完成し、走行を始めたボールドウィンは、すでに走行距離が40kmを越えようとしています。

 この機関車は、その愛らしい姿からか人気が高いようで、同じ物を作りたいという方が何人かみえました。 

 私が設計した機関車をどなたかに作っていただけるというのは大変光栄なことでありますが、 一方では完成までの責任を感じることになります。  

 ライブファンが増えることはこのホームページ開設の目的にも沿うことなのでよろこんで協力することにしましたが、 なにぶんにも趣味でやっていることですので、あくまで自己責任で製作して頂くなど、いくつかの事項を納得していただくことで部品を提供することにしました

 人様に作っていただくことが決まってみるといろいろなことに気がつきました。 まず製作に必要と思われる全体の設計図という物を私は作っていません。 なくても作れるからです。 部品を設計するときに相対的な接合関係を決めてあるので不要なのです。  

 ところが人様にはどの部品がどこにどのようにひっつくのかわかりません。 このためプラモデルのような組み立て図の必要性を感じ、書くことにしました。

 また、この図で説明するには部品名称だけでなく、部品番号を付ける必要がありました。 これがあれば電話等での説明が楽になります。

 さらに部品の種類と個数をチェックするため部品表が必要になりました。 また、現物の形状から部品番号がわかるようにした図面も必要になりました。

 この作業の途中で改良箇所のマイナーチェンジを行いましたが、 これに関連した一連の図面や説明書きやデータの整合を図るのが大変で、しばしばパニクッてしまいました。

 

 こうした作業をひととおりやってみて感じたことは、メーカーさんは大変だなあということです。 市販のライブスチームの価格はハードの価格だけではなく、こうしたソフトの費用もかなりのウェイトを占めるのだろうと思います。 このソフトの中には販売後の苦情対応も含まれるでしょうし、走らせる場所を提供するための費用も含まれるんだろうと思います。

 これらを冷静になって考えてみると、市販のライブスチームの価格はとても安いものだと感じました。 絶対的な価格としては私個人の金銭感覚からはとうてい安いとはいえませんが、 立場を変えて考えてみると非常に安いと言うことです。 

 

話は変わりますが、 以前 100円均一の商品を見て涙が出そうだと書いたことがありましたが、 物を作る立場から考えると、米や野菜などの食べるものも、牛乳やジュースなど飲むものも、日用品や電化製品、自家用車や住宅など身の回りのすべてのものは安く売られていると思います。  

 いえ いろいろな物を安く供給してもらっているおかげで私の生活が成り立っているわけで、 ありがたいことだなあと作られている方を始めとした関係の方々に感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

大掃除    2004年 12月下旬

 何と1年4ヶ月ぶりの更新になりました。  前回更新の日付が間違ってるんじゃと思いました。 

 年末は嫌がおうにも家事を手伝うことになる。 そして、たいていは滅多にやらない箇所の掃除をまかされる。 今回も換気扇の掃除がまわってきた。 フードは紙フィルターが貼り付けてあって掃除の必要はなかったが、シロッコファンに付着した油がなかなかとれない。

 石けん類はパワーに欠けるのでバーナーであぶっては手製のへらで油をそぎ落とすことにした。 やってみるとなかなかいい具合だが時々火が点いて燃える。 しばらくやってみると、やる前よりも汚れていることがわかった。 付着物の大部分はそぎ落としてもヘラでなでた部分が汚れていくのだ。

 これはマズイと他の方法を考えたらスチーム洗浄がいいのではないかと思った。 妻に提案して機関車を使うことにした。 魂胆は見え見えであるが・・・・。

 石炭焚きからガス焚きに換装して早速スチームアップした。 ターレットから蒸気を取り出す煙管掃除用ブロワーをつかって掃除してみた。  ところがバーナーを当てた部分は油が変質したか、焦げ付いたかでさらに強固に付着しておりスチームでも歯が立たなかった。 少し残っていた火が当たっていない部分はきれいに取れた。 

 しまった。もっと早く気が付けば機関車も少しは家庭の役に立つと言い張れたのにと悔やんだ大掃除だった。 

 

 

始めたいライブを遠ざける原因  2003 8 29

 はじめてのライブを作っている頃は実に慎重かつ丁寧しかも潔癖だった。 きちんと罫書きをやり慎重にポンチを打ち、少しでもずれていると部品を作り直したりした。 平岡幸三さんのことばが頭にあったからだ。 それは 「品位」 である。 同じ部品がいくつもあった場合、使い回しができるくらいの寸法精度ですべてを作るのだ。 これは確かに品位が高まる。 しかしとても時間がかかり疲れる。

 それらしく見える機関車を早く作りたい私としてはとてもこんな事は長続きしなかった。そして今はいかに手を抜いてそれらしく早く作るかを考えるようになった。 

 ライブは工作精度云々がよくいわれる。 しかし私がやっているのは必要最低限の精度で手を抜いて作り、それでいてよく走り、メンテフリーで、作りやすい方法の追求である。

 罫書きはあまりやらない。ポンチがそこにいかないし、打てたとしてもそこに穴が開かないから。 ねじ穴はすべて移しあけ。 見えない箇所は徹底して手を抜く。 ほどよいガタがスムーズに動く理由。 こうした作り方でも自分のための1台を作るなら十分だとわかった。 これ以上の作り方は私にとっては時間がかかるため避けたいのです。

 なぜ時間をかけないか。 それは作りたいものがたくさんあって、死ぬまでにとても全部作り終えられそうにないからです。 一つの作品の完成度を高めるより、好きなものを1つでもたくさん作りたいのです。

 趣味のライブは各人の楽しみ方で作ればOKである。 品位を上げてもいいし、精度を上げてもいい。これらはすべて個人の楽しみの一つなのだ。  しかし人には誤解を与えないようにしなくてはいけない。 必要以上の精度はなくてもライブは十分走るのだ。 細かく表現すると必要な箇所にだけ精度に気をつければ、それ以外は適当にやってもなんとでもなる。 固定するだけのねじなら2mmや3mmずれていても、どーってことはない。 模型誌に製作記事があってもそのとおり作らなければ走らないものではない。

 「○○のようにしなければ作れない。 走らない。」  とハードルを高く誤解させることがライブを遠ざけさせる原因で、 このように思い込むことこそがライブを遠ざける最大の原因ではないかと思うようになった。

コッペルはどうなった?  2003 8 3 

 ”旋盤やフライス盤を購入せずにライブのコッペルを作れないか。 もし実現できればかなりの人数の人がライブに取り組めるようになる。” ということで計画を進めていたのだが、この計画に少し変更が生じた。 設計自身はとっくの昔にできあがっているのだが、さっぱり進んでいない。

 一時はBBを休止してコッペルを作ろうとさえ思ったのだが、 時間的経済的に進めにくくなっていた。 ところがありがたいことに私のかわりに作ってくださる人があらわれたのだ。 (もちろん私用のものではないが。)

 そしてその工作過程をHPで紹介されている。 それは「 ライブスチームに挑戦 」というHPである。

http://www2.tokai.or.jp/livesteamloco/

 コッペルの顛末についてはこちらを参照してくださるようお願いします。

画像を載せることができるようになりました。  2003 7 27

 USB端子のないパソコンだったので画像取り込みができず文字ばかりでしたが、 このたび友人S氏とI氏のおかげでUSB端子のあるパソコンを使うことができるようになり、画像を載せられるようになりました。

 Sさん、Iさん ありがとうございました。

主義主張は趣味に必要か。  2003 6

 最近、趣味に関して議論しているのをよく見聞きする。 この中には議論の方向が好ましいのもあれば、そうでないものもある。 (私の主観や好みかもしれないが。)

 そうでないものは、 ・・・・・

  あれはこうでなければならない。 そのやり方は誤っている。 こうあるべきである。 その考え方はおかしい。 自分が正しい。 あなたは間違ってる。・・・・・・などである。

 趣味は仕事ではない。 到達すべき目標は自分の中にだけあるものだ。 他人がどうのこうのいうことはないと思う。 たとえそれが他人目に遠回りでも本人の選択ならばそれでいい。 発展の事業主体は自分であり、 その舵取りを自分が行い、結果ができていくことが楽しみなのだ。

 舵取りのなかには誰かへの質問も含まれ、本人がよりよい方向を模索するため誰かに質問したならば、 その時できるかぎり説明してあげればいいと思います。 こういう雰囲気がお互いにとって一番幸せなんだろうと思います。  

 このホームページではできるだけ限定的な表現はしないようにしています。 わたしのやり方が一番いいとはみじんにも思っていない。 こんな作り方もある。 という提案としてうけとめていただければと思っているためです。 

 ただ、 その人の夢なり目標なりが明確に私に伝わってきて、その実現のためにはこうした方がいいんじゃないか。 ということは相手の方との心理的距離を勘案してぼそぼそっと言うことがあります。  

 趣味の世界で主義主張を始めるとせっかくの楽しみが台無しになると思いませんか。?     相手の価値観や多様性を知ることは自分の楽しみを増大すると思うのですが。・・・・・・・・・・ 

日本のモノ作りはどうなるのか。  2003 4 29

 蒸気ドームの鋳物を受け取りに鋳物屋さんに行った。 最近の鋳物屋さん事情について世間話をした。

この1、2年で鋳物屋さんは激減しているそうだ。 中小の会社は品質確保の手間に比べ単価を抑えられており割にあわずやめていくそうだ。

 大手は中心企業の海外進出についていくため性能の良い大型鋳物機械を外国へもっていき、そこで現地従業員の指導をし、製品を日本に運んだり現地組立などに使ったりしているらしい。 そして指導を終えて帰ってくると自分の仕事がなくなっている。 ずっと前からいわれている 「産業の空洞化」 の一形態である。 

 100円均一がおおはやりである。 私もよく利用する。 店頭に並んだものをみてためいきがでることがある。 どうみても手作業でつくられただろうものが100円で売られている。 技能を要し、1時間ではとても出来そうにないものが100円で売られている。 

 自分の工作の大変さとだぶって涙が出そうになる。 なんでこんなものが(こんなすばらしいものが)100円で売られるんだ。!! 人を馬鹿にするな。!! と 怒りに似た感情がこみ上げてくる。  

 機械化によるコストダウンはわかる。 だが手作業のものがこんなに安価に売られるのはどうしてなんだ。 経済の難しさはわからないがこれでは手作業の尊さは買う人には伝わらない。 いや、ばかにする人さえいるだろう。 手作業の尊さを理解できない人たちであふれる世の中はどのようなものなのだろうか。

  工業製品、食材、衣料、ありとあらゆるものについて付加価値があるものと実用本位のもの、そして粗悪品がある。 これらをしっかり見極めて価値あるものはしっかり評価し、自分がもし必要とするなら相当する対価を支払うことが大切だろう。 つまり本物を見分ける目が重要なのだ。 しかしこれは一朝一夕にはできない。

  私は食べ物に関しては無頓着である。 結婚当時、妻が作った食事はなんでもうまいと感じ、うまいと言いいつづけてきた。  はじめはそれで良かった。 何の問題もなかった。 ところが数年たつと事情が変わってきた。 料理がうまくなった妻は手抜きも覚えたのだ。 そしてその手抜き料理も私がうまいと言ってしまったのがまずかったようだ。 腕によりをかけた料理も手抜き料理も同じ評価ならどんどん手抜きになっていくのだ。

 芸術も私にはよくわからない。 特に抽象画は描く技術しか感じ取れない。 スポーツも一人の勝者のために敗者を決めるゲームのように思えてプレーヤーが気の毒に思える。 従って私みたいな人間が増えると無味乾燥の世界になってしまうだろう。 これはよくないことだと気づいた。  

 子供達にモノ作りの楽しさ、おもしろさを伝えよう。 というようなことがよく叫ばれているが、むなしく思えてくる。 家庭で子供が一生懸命プラモデルを作っていたとしよう。  これをみた母親、父親で快く思う人はどのくらいいるのだろうか。 短時間でできるプラモデルでさえ小言が出る家庭が多いだろう。 ましてや木をナイフで削ってなにか作っていたら多くの親はなんというだろう。

 もの作りを継続し、よりよいものを作っていくためにはしっかりとした評価が必要なのだ。 真剣に作ったものと安直に作ったものが同じ評価ならよいものは作れない。 しかし、価値あるものや本物を見抜く目はそれをつくる大変さを身をもって知っている人にしかわからないのかもしれない。

 本物は無くてもいい。 そこそこ使えれば問題ない。 と 割り切ればしっかりとした評価も不要で、すべてものは安価な輸入品や購入品にとってかわるだろう。 その時国内に残る仕事は何があるのだろう。 モノを輸入するための商社、運輸等のサービスは残るが1次2次産業は無くても事足りるのではないか。 となれば多くの人は仕事を失う。 失業者が増えると購買力が低下し結局はサービス産業も成り立たないのではないか。 

 安価なものは魅力である。 だがこれに走れば子供達の世代の仕事を無くすのかもしれない。 これは国の存続にかかわる。

 どうあるべきかは暗中模索である。 

トーマス模型機関車 改造後試運転 2     2003 4 21 

 ギア比を変更して試運転に臨んだ。 場所はいつもの明石公園である。 

 最高スピードは 「速いな」 と感じる一歩手前だった。 つまりちょうど良かった。 力はあまりないが支障はない。 大人2人+子供1人を牽ければいいからだ。 

 懸案だったトーマスも一区切りついてやれやれだ。 

自助具の製作 2003 4 20

 この2週間は自助具を2種類作っていました。 1つは茶碗とお椀などをのせてご飯やみそ汁を飲む食器台です。

 これは手が不自由な方でもなんとか自分で食事がとれるようにと考えられたもので茶碗などを自由な高さに固定でき、しかも口を付けて押さえれば茶碗などが傾くようにできており、お茶漬けやみそ汁を飲むことができます。 

 もう1つはスプーンの改良です。 スプーンで物を口に運ぶ時、手が自由に動く人はスプーンを口へ移動する時に乗せた物が落ちないように無意識のうちに水平を保っています。 しかし手が不自由でこの動作ができない人は口に着くまでに物が落ちてしまいます。 これを解決するにはスプーンがいつも水平を保つように改良する必要があります。 いずれも金属加工で製作するため汽車の技術がとても役立っています。

 1つの食器台と3つのスプーンの製作に21時間かかりました。 時間はかかっても喜んでいただければこんなにうれしいことはありません。  さらに技術が共通ということで機関車製作に対する家族の理解も深まるかも・・・・・・・・・。  いやいや そんな不謹慎なことを言ってはいけません。

 確かに自助具の製作は機関車製作よりも社会的要素が大きくやりがいがあります。 しかしやりがいはあるが私には課題も多い。 その課題は技術的なことよりももっと根本的なところにあるようだ。 

 同じような道具でも人それぞれに障害の程度が異なり、残存機能が違うためAさんにはOKでもBさんには使いづらいということが往々にしてあるのだ。 そしてその使いやすさを考えたつもりで工夫しても、手が自由に動く自分には良いか悪いかの見極めがはっきりとは難しいのだ。 障害者の方の使いづらさをわかったような気になってはいけないが理解しようとしなければ良い物はできない。 結局は相手の方の感想や意見をお聞きしながら試行錯誤を繰り返すしかなさそうである。

道草しながら歩いていこーっと。   2003 3 30

 BBのビデオをみていたら図面では解らなかったことがずいぶん解った。 解るということは、やるべきことがいっぱいできたということで、つまりは道のりが更に遠くなったということだ。 ふ〜っ。 完成が遠のくと根が切れてくる。  ビッグボーイは確かに取り組みがいがあるが、ここらでちょっと道草したくなった。

 コッペルの設計がほぼ終わり加工組立の方法もほぼメドがついた。 旋盤使用は動輪削りくらいにできそうだ。 できそうなメドがたつと早く作りたくてしょうがない。 平成15年度はコッペルに集中になる・・・・・・かもしれない。 

「 ビッグボーイコレクション 」 というビデオテープを見ました。 2003 3 22

 申し込んでいたビデオテープが今日着いた。 早速みて驚いた。 カラーとモノクロの動画で約90分間ビッグボーイがぎっしり収録されていて約8000円だった。 これは安い。 十分堪能できる。 

 動画でビッグボーイを見たのは始めてだった。 ランダムな排気音や前後のロッドの上がり下がりのリズムがシーンによって異なるのは予想していたとおりだった。 排気音は意外と高い音だった。 ホイッスルも思ったより高い音だった。 全体の印象は 「えらくずんぐりむっくりだなあ。」 というものです。 車両限界いっぱいのサイズなんだろうな。 そしてフロントデッキの長さが目立っている。 ごつごつした感じと細かいたくさんの部品で英国の機関車とは両極端だ。

 ビッグボーイの重連や高速でぶっとばすシーンは圧巻だ。 あの迫力を少しでも表現できれば最高だ。 このビデオを見てますます製作意欲が高まってきた。   

トーマス模型機関車 改造 2  2003 3 21

 スピードアップのためギア比を1:14にしてみた。 これでパワー不足ならモーターの交換しかない。 (試運転はまだできていません。)

 乗客は最大で大人2人と子供1人を牽ければいいので、 これで改造も終わりにならないかなあと思ってます。 

トーマス模型機関車 改造後試運転  2003 3 16

 衣浦鉄道クラブのレイアウトで試運転を行った。 結果は70点だった。 あと30点はスピードが出ないことと騒音だ。 スピードは約2km/h位だろうか。 この機関車のモーターは廃車のワイパーモーターを使っており、聞くところによると1つ40wぐらいだそうだ。 2つあるが合計でも80wしかない。 動けないことをおそれ3段減速で1:30程度にしたのが災いしたようだ。 しかしスピードが出るようにすれば当然力は落ちる。 ここは悩むところだが一度は試してみる必要はあるだろう。 ということで再度改造することにした。 

 バッテリーの消耗は少なく、さすが購入品のコントローラーだけのことはある。 しかし騒音はギアの時よりは改善したものの依然気になる。 原因はなんなんだろうか。 気にはなるがあまりこの機関車に精神力を費やすのもまずいので音は目をつぶることにした。 

まずパワーアップのために12Vで100Wくらいの連続仕様のモーターがほしくなった。 自動車のどこかに使っていないだろうか。 どなたかご存じの方がみえましたらお教えください。 スピードアップの方法はスプロケットの交換を考えています。

      下の写真は衣浦鉄道倶楽部のホームページから                

                                           ぼく 雨苦手

トーマス模型機関車改造  2003 3 11

  始めてのライブを作っていた頃はまだ子供も小さくて、ライブが完成したらこれで一緒に遊ぼうと思っていました。 しかしライブの運転は結構気を配る必要があり、現実的に子供には運転は無理だとわかりました。

  このため電動で動く機関車をということでその後トーマスを作りました。(「これまでの作品など」 の写真のものです。)  私のトーマスはバッテリーをキャブに1つ運転台車に1つ積み、モーターはボイラー部に垂直に2個配置しました。 そしてそれぞれからベベルギアを2組経由して車輪を回していました。 しかしこれはあまり良くありませんでした。 まず、音が大きい。そしてギアの抵抗が大きいため電気を食いバッテリーの消耗が早いのです。 またコントローラーを安定化電源の組立キットを使い、電圧変化でスピードコントロールを行っていたためこれもエネルギー効率をさげていました。

  こうした問題を抱えた機関車でしたが、地域のお祭りでC62と一緒に運転していると圧倒的にトーマス大人気なのです。 ですが前述の問題があり多くの子供達が楽しむには少々無理がありました。

  このため駆動系を全面的に作り直すことにしました。 当初は運転台車のボギーを駆動し、トーマスは無動力にしようと考えていましたがスペース的に問題があり、やはり機関車を動力車にすることになりました。

  友人の薦めでモーター2個を直列にし24Vにしました。 コントローラーは購入品とし動力伝達はチェーンとしました。 減速比は3段減速で約1:30です。 うまく走るかな・・・・・・。

旋盤とフライス盤を買わずにライブスチームを作れるか  2003 3 

 「 ライブスチームを自作するには旋盤とフライス盤は必須である。」  このことはおそらく10人の内10人がそう考えると思います。 私もそう思います。 ですが、「 旋盤とフライス盤を買わなくてもライブは作れるのではないか。 」 とも思いはじめています。 

  旋盤で加工する最大直径の物は動輪か煙室扉ではないでしょうか。 また最長の物は動輪車軸ではないでしょうか。(ボイラー製作を除く) 従ってこの二つを外注すればあとは比較的小さな旋盤で何とかなるのではないでしょうか。

 さらに旋盤やフライス仕事をすべて工場にお願いすれば機械購入の必要はなくなります。 当然加工費用はかかりますが旋盤やフライス盤を購入する費用との比較になります。 もちろんこの方法では自分で切削加工する楽しみはなくなります。 ですが工作機械を置く場所がとれない場合は 「旋盤フライス作業はすべて外注 」方式は自作ライブ実現にはとても有力な方法だと思います。  

 外注費用を節減するためには旋盤やフライス仕事を減らし、安価なボール盤と汎用工具で加工組立できるように設計することです。 こうすると工作精度は下がりますが工芸品的作品を目指すことをあきらめて、「走るライブを何とか作る」と割り切れば5インチライブくらいの大きさなら加工精度の低さはあまり問題にならないように思います。 (ノギスを持たずにライブを自作された方がみえます。これは極端な例ですが・・・。)

  加工方法を考えてみましょう。まず金属の切断はどうするか。 それは基本的な形をレーザー加工でお願いすればできます。  組立上の調整はヤスリとサンダーを使います。大きな穴もレーザーで抜いてもらえば10mm以下の穴はボール盤で開けられます。 レーザーは12mm厚さ程度までの鉄板を曲線を含む自由な形に切断できます。 

  次に設計はどうするか。 バルブギアの設計が公表されている機関車の例を流用して外形を変更してもいいし、 興味があれば弁装置を興味深く見て解析してみるのもおもしろいと思います。 (どうしてもギアの設計方法が見つけられなければ私の方法でよければ計算してみます。) 構造の設計は左右フレームの前後に前端梁・後端梁がつき、中間にモーションプレートを支える中梁があるのはどれもほぼ共通です。 動輪車軸は軸箱に入っていて、この軸箱がフレームの切り欠きの中でバネで支えられ上下にスライドします。 フレームの上にボイラーがのっかっていてその前部に煙室があり後ろにキャブがつきます。 普通の機関車はたいていこんな組立になっています。 組立の側面図や上から見た図や断面図を書き何度も修正を繰り返しながら設計を進めていきます。 設計の全容を文章にすると文字のかたまりになってしまい、読むのがいやになるのでこのくらいにします。

  加工は前述のとおり卓上ボール盤と手工具を活用します。 そして穴開けとタップたてで組み立てます。   ボイラーはどうするか。 これは自分で作れなければメーカーから購入するか、あるいは作ってもらうしかありません。当然費用はかかります。  安全弁や軸動ポンプなどの精度の必要な部品をどうするか。 それはライブメーカーにお願いして部品を分けてもらうことです。 また、工業用の汎用部品を探せば使えるものもたくさんあります。

  どうでしょうか。 割り切りと工夫と情熱次第で何とか旋盤とフライス盤を買わずに (私の場合は「使わずに」になりますが。) ライブスチームはできないでしょうか。  私は最近この方法を模索しています。

 

技術を持ってなければ汽車は作れないか。 (2003.2.26)

  機関車を走らせているとよく言われる言葉に 「 私は技術が無いからとても作れません。」 というのがあります。 また「どこでそんな技術を身につけたんですか。」   というのもあります。  いずれもライブに関心を持たれている方で、もちろん謙遜されてのお言葉ですが、中には本当に  「 技術を身につけてから汽車は作るもんだ」 と思ってみえる方がいます。 これは明らかに誤解です。 もしこれが真実ならば文明の発展はなかったはずです。 人類が何か新しい物を作るときは方法も技術もなく試行錯誤で生み出してきたはずです。 これが人類のレベルか個人のレベルかの違いがあるだけです。 例えば個人が何か新しいスポーツを始めるときのことを考えればわかると思います。 うまくなってから始める人はいません。 練習して上達しながら、それを楽しいと感じ喜びとなり、それがまたエネルギーとなって練習に取り組めます。  つまりだんだんと作り方がうまくなっていく過程が趣味の本来の目的なのかもしれないのです。

  ですから私は尋ねられないのにあーだこーだと汽車について話すことに躊躇しています。 これから取り組んで楽しもうとしてみえる方に推理小説の結末を話してしまうような気がするのです。 (もちろん尋ねられれば理解されるまでとことんご説明しています。)

  つまり、技術をもってなければ汽車は作れないというのは少なくても趣味においては誤解であると思います。 作りたい気持ちを大切にして、前に進むことをあきらめなければ技術は自ずとついてくると考えた方が良いと思います。  どうしても自分でできないことは誰かに頼んでも良いのではないでしょうか。 完全自作へのこだわりなど心の呪縛を解き放し、ゆったりとした気持ちと作りたい情熱を持ち続ければ道はひらけるのではないかと思います。

ライブスチーム製作のハード環境 (2003.2.26)

  「蒸気機関車の作り方」という田口さんが書かれた古い本が最近再出版されたことをあちこちのホームページで知りました。 とてもうれしいことです。 また、「生きた蒸気機関車を作ろう」 や「ライブスチーム」 もすでに再出版されています。 ライブスチームを作るための参考書はこれだけあれば十分こと足りると思われ、 おそらく世界的にもこれほど役立つ参考書がある国はほかにはないのではないでしょうか。  

 また最近はホームセンターがあちこちにできて工具などはかなり特殊なものでも販売しています。 ホームセンターになければ工具屋さんに行けばほしい物はまず手に入ります。 工作機械もずいぶん安価になり、 販売店も増えました。 鉄道模型誌にもよくでていますね。 

 先日ライブスチームメーカーで有名な小川精機(OS)の方とお話ししました。 このメーカーは自社製品を持っているいないにかかわらず部品を提供してくださっています。 つまり世界的に名前が知られ信頼されているメーカーの部品を自作ファンにも提供してくださっているわけです。 安全弁や軸動ポンプ、各種バルブ類など精度を要求される部品はなかなか作りにくいものです。 それを作るのが趣味ともいえますが、こうした作りにくい部品を購入し、これらの汎用部品にあわせて設計製作するのも方法の一つだと思います。 私はこの方法をとっています。 小川精機以外のメーカーも個人に部品提供されていて、こんなに恵まれている国がほかにあるのかなと思います。

 まとめると、 参考書はある。機械・工具もある。汎用部品もある。となればハード面の環境は十分整っていることになります。 では何がライブ製作の障害なのでしょうか。?

 おそらくそれは 時間。 場所。 家族の理解。 であろうと思われます。 時間はまず精神的余裕が必要でしょう。 その次に物理的時間が必要です。 場所も問題です。 アパートやマンションは切り子問題が大きいでしょう。 私も作った汽車をおくスペースは家には無く、現在里子に出しています。時々は会いにいってますが近くにいないのは寂しいものです。 家族の理解。 これがもっとも大きい問題です。 障害物競走のごとくひらりひらりとかわせるうちはいいのですが、 失敗すると撃沈します。

  しかし、 しかし、これほどまでに良くなった環境をみすみす見逃すのはもったいないです。 もし、ライブスチームをやってみたいと思っている方は、思っているのも一つの鉄道趣味ですが、ここらで一歩踏み出してみようではありませんか。 前述の三つの問題をクリアする方法を何とか考え出して進もうではありませんか。

 夢の実現のためには、まず「作るんだ」ということを心に決め、そして何かアクションを起こすことから始めましょう。

私は幸せ者  2003 2 17 

 趣味は仕事と違い自分の自由意志でやっていけます。 進むもやめるもやり直しも後戻りも全く自由です。 だからこそ仕事のリフレッシュになるのでしょう。

  その、全くの自由意志で進められる趣味において、本当に自分がやりたいことにある種の覚悟をもって取り組むか、 あるいは手頃さに妥協し別のものに取り組むかは個人の自由選択です。 各人がそれぞれ納得して心を燃焼させられれば趣味の目的は十分達せられているでしょう。

 ですが、妥協で取り組んだものに本当に心を燃焼させ、それこそ寝る時間を削ってでもやれるかどうかは私では疑問が残ります。 こうしたことを思うとき、 私は自分が今、本当にやりたいことに取り組んでいられることをとても幸せだと感じています。 

時間  2003 2 16

 汽車を作るには時間をかなり使う。 とても時間がかかるのである。 時間をかけたくなくてもかかるのである。 ましてや時間をかけて作っていては完成はいつになるかわからない。  したがって時間は貴重である。 毎日の日常の中で少しでもあいた時間をいかに活用するかはとても重要なことである。 「 次の休みにやればいいや。」 とか、「 今でなくても 」 などと考えていてはあっという間に1年が暮れてしまう。 

 風呂の順番待ち。 ご飯を待つ時間。 こんな時でも少しの図面や構想図は書ける。 睡眠時間はもっとも削りやすい時間だが、削りすぎると仕事に影響するので限界がある。 試行錯誤で決める必要がある。  テレビやラジオは手を動かしながらでも聴ける。 

 模型作り金言集に載せさせていただいた言葉で 「 時間の使い方は命の使い方 」 というのがあります。 時間を無駄にすることは命を無駄遣いする事と同じだということです。 端的に言い得たとてもよい言葉だと思います。 さぼろうとする私を工作場へと追いやってくれる言葉です。

デジカメ  2003 1

 ビッグボーイの工作写真を撮るために安物のデジカメを買った。 しばらく使ってホームページに貼り付けていたが、接写が出来ないのがまず不満だった。 が、 これは切り取り拡大で何とかしていた。 次の不満はハードディスクの容量を食うことだ。 ホームページの写真はメモリー節約のため絞っていた。 つまりホームページに使わなくても残しておく写真がかなりあるがこれが容量を食う。 (私のパソコンは最後の98でもちろんMOなどない。)  さらにカメラの中にあった撮りためた工作写真がある日突然すべて取り出せなくなった。 70枚近くの写真がなくなると記録の欠落は大きい。 これが決定打になってもうデジカメを使うのはやめることにしました。 やはり昔と同様にフイルムカメラで撮ってスキャンしようと思います。 

コッペルの設計  2002 12

このところコッペルの作り方を考えています。 考え始めるとおもしろくて止まらない。 ああだこうだといろんなプランが湧いてくる。 今回一番気にするところは簡単に作れるようにすることです。 ビッグボーイの製作中に作るのであまり時間をかけられないのです。 製作を楽にするには完成度の高い設計にすることがポイントのようです。 

 ところがどんなに設計をがんばっても、あの長い煙突やスチームドームなど手の掛かりそうなものはごろごろしている。 

 また、どうせ作るならちゃんとディテールもそこそこ付けてやらねば。  なんて考え出すとビッグボーイの方が止まってしまう。 う〜ん どうしようか。 

小型機関車を作ろうか 2002 11

 ビッグボーイ製作に暗雲が広がり始めた。 家族がその大きさに気づき始めたのだ。 

あらかじめ説明はしていた。 「 胴回りはC62とほぼ同じ。 長さは約3.6mと長い。 がこれはつないだ場合であって、 C62でも客車をつなげば同じことでつないで長いのはあたりまえ。  重さは重い物で約160kgでC62とほぼ同じである。 運搬を手伝ってもらうつもりはないので重さはみんなには迷惑をかけない。 」 といった具合である。 しかし作業が進むにつれ実感として感じてきているらしい。 無理もない。 C55 C62で製作が進むとどのように変化して大きくなるかはよく知っている。 

「 まえより大きいの? 」  の言葉に対抗する言葉をいろいろ考えたがよい言葉がない。 これはどうも小型の機関車を作って矛先をかえなければむくむくと起きあがった感情は鎮まらないだろう。

小型といっても1番ゲージは製作に自信がないし説得力に欠ける。 やはり5インチだろう。 作るなら走らせ易くて作りやすくて運搬が楽でメンテナンスが楽なのがいい。  こうして機種を絞っていくとコッペルに行き着いた。

コッペルはOSさんが販売している。 あの完成度で自分が作るとしたらあの価格はとても安い。  しかし私にはとても買える値段ではない。( 話はそれるが 日本製の鋳物キットはC57にしてもC62にしてもとても安いと思う。 あの価格であれだけの完成度のものはとうてい自分では作れない。 ) 

完成度は低くても自分でコッペルを作ることを考え始めました。

ガス焚きと石炭焚き 2002 11

 私はガス焚きと石炭焚きの両方をしています。 それはもちろん同時にではありません。 ある日は石炭、ある日はガスというふうです。 C62はどちらでもできるようにし、 しかも換装が容易になるように作りました。 C55も両方できますが換装に時間がかかり、ほとんどガスで動かしています。

 ガスで動かしているといろいろな言われかたをします。 まず、「なんだあ〜 ごまかしじゃあないか。」  そして 「 汽車は石炭で動くもんだ。ガスなんか使う奴はけしからん。」   「煙の出ない汽車は汽車じゃない。」 「石炭で動かしてこそライブだ。」  「本当に楽しむなら石炭」・・・・・・

 私はいつも適当に返事をしています。  その時その時の都合と気分によってどちらにするか決めているので、自分にとってはいつもベストチョイスなんです。 燃料のことでいえば模型原子炉を作れれば原子力で走るライブを作りたいと思っているくらい燃料にこだわりはありません。

 煙のことでいえば、確かにガスでは煙が出なくてさびしい。 そこで石炭の機会を増やしたのだが、これがどっこいあまり煙が出ない。 石炭を変えてもあまり出ないのだ。ほおりこんだ直後はまあまあ出るのだがすぐに少なくなる。 いろいろ試したなかでは無煙炭などは 「高い出ない火はつかない」 でいいことがなかった。 無煙炭で煙がなく、後かたづけが楽ならガスと大差ないではないか。 いや、ガスの方がもっと合目的的ではないか。  汽車らしくなら煙管が詰まるのを覚悟の上で太平洋炭をほおりこみ、前が見えないくらい煙を上げて走ろう。 灯油を併燃したらもっと煙が出ましたよ。

 (しかし、2日連続してしかもほぼ休憩無しで石炭を焚いて走ったらさすがに石炭のにおいがいやになった。 やはり程々がいいのかな。) 

王道か妥協か 2002 10

 機関車の設計と製作をしていて常々思うことがある。 一言では表現しにくいことだが次のようなことである。 うまく動くように作るにはどうしたらよいのかを追求していくと、そこには高い加工精度ではなく別の思想があるのではないかということである。 別の思想とは作り方と設計思想の置き方である。                                     

 たとえば 「サイドロッドの穴間距離は動輪の軸間距離と全く同一でなければひっかかって回らない。」 というのは定説。 もちろんそのとおりであるし、 このためにエキセンメタルなどを作り加工精度の低さをカバーしたりする。 しかし、これは軸箱がフレームに対してガタがない場合である。 ガタがあればここがサイドロッドの不備を吸収する。 

また、精度良く作られた軸箱でも

 高い加工精度 → エキセンメタル不要 → 調子よく走る → やがて摩耗する → サイドロッド再作成 の図式を、 

 低い加工精度 → エキセンメタル使用 → 調子よく走る → やがて摩耗する → エキセンメタル再作成 にするわけである。

どちらが作りやすくメンテナンス性に優れているかは明らかである。

 別の例として一般的な軸動ポンプの作り方はもれが少なくなるように逆止弁の玉や座に大変気を使う。 これは重要なことである。 しかしこれだけでは不十分である。 なぜか。 それは高い加工精度の玉や座であっても2週間もほっておくと玉と座が固着するのだ。 これに気づいて固着を解放しても玉にはリング状の水垢がつき、リークの原因となる。 つまり、軸動ポンプの逆止弁やチェックバルブなどはリークするものと考えてその次の策を講じておく必要がある。

 その次の策とは、リークで戻ってくるならそれ以上を押し込んでやろう。 というもので、シリンダーに対して多めの押し込み量で、しかも複数のポンプを独立した経路で設け、押し込むものである。 

 こうした設計思想をひとことで表現すると、「 失敗を想定した作り方をする。」 または 「 不具合を想定した作り方をする。」  というのが一番近いと思われる。

 この言葉は社会人スポーツを長年やってる義兄の言葉をもじったものである。 

 曰く (チームプレーはチームメイトの) 「 失敗を想定した動きをする。」 (ことである。)   たとえば野球。 サードが打球を取るために飛ぶ。 ショートはサードの失敗を想定して抜けるかもしれない打球をとるために飛ぶのである。

 これと同様に、難しい加工はそこを失敗した場合に別のどこかで失敗をカバーできる作り方をするのである。 言い換えれば、全体が個々を個々が全体をカバーし総体として円滑な動作と良好なメンテナンス性を確保するように作るのである。

はたしてこうした考え方は王道か。 はたまた妥協か。 読者のみなさんのご意見はいかに ?。

                                       

続 高校野球 2002 6

 たいていの高校には野球部員は大勢いる。 しかしこの中でグランドでプレイができるのは多くて18人である。 野球部員は背番号をつけてプレイすることを夢見て懸命に努力し続ける。  そして監督はこの18人を決めるのに苦悩する。

 今まではテレビで漫然と試合の進行だけをみていたが、 試合を見にいくにつれて少しずつ様子がわかるようになってきた。 大変なドラマが裏方であるのだ。 バットをタオルできれいにする3年生。 太鼓をたたく3年生。 スタンドにはいったファウルボールを取りに行く3年生。 レギュラーの活躍を支える裏方が大勢いるのだ。 そして裏方のみんながグランドのレギュラーに自分の青春をかけているのだ。  

 私のへたくそな文章ではとても表現できない世界です。 

 http://www2.asahi.com/koshien2002/tokusyu/index.html   の 背番号の詩 「愛知」 をぜひみてください。

 

こうしたことを知るにつけ、 私も自分の世界でがんばらねばとつくづく思います。 加工品の多さなんぞにうんざりしていては子供に笑われてしまいます。

高校野球  2002 5

 高校野球部の部員は大変である。高校野球がこんなに大変なものとは知らなかった。

 朝は始発の電車に乗り学校へ行く。 朝練とよばれる早朝練習をやりそれから授業を受ける。 放課後の練習は暗くなるまでやって、その後体力トレーニングがある。 帰宅は22時をすぎておりそれから宿題を半ば寝ながらやって、あるいはやれずに寝てしまい、また始発の電車に乗っていく。

 休日はあろうはずはなく、365日試合か練習試合か練習がある。 試合や練習試合のある球場までは現地集合で親の送り迎えが必要である。弁当も必要で、朝は5時には起きなければ送り出せない。 夕食を食べさせるため少なくても帰宅までは起きている必要がある。洗濯をすると寝るのはだいたい0時頃となる。まるで親も部員のような生活である。 

 部員自身はもっと大変で、テストで赤点をとれば部活がしにくいらしい。 勉強がある程度できれば部活に集中できる。だがそうでない部員は勉強と部活の両方で苦しむことになる。

 野球の試合は結構たくさんあり、これを見に行ったところ感動してしまった。 ユニフォーム姿の彼らは電車で見る高校生とはまるで違う生物のように思えた。 きびきびした動き、 はっきりしたあいさつ、 持てる力を出し切ろうとする意志。 レギュラーだけではなく、球場周辺にいるどの野球部員もそうなのである。 めざすものを持つ人間はやはり違うのだ。 

ということで、どういうわけか私も高校球児の父となってしまい、休日が俄然忙しくなってしまった。  「お父さん、のんきに汽車なんか作ってる場合じゃないよ。」 と 娘にまで言われてしまった。   「 お父さんはのんきに作ってるんじゃないんだ。 お父さんにもめざすものがあるんだ。」 と心で叫びつつ、 無駄な抵抗はやめて協力することにした。 ・・・・・・ので、 今後は製作スピードががた落ちになりそうです。   

 

自助具のこと  2002 3 15

 自助具というのは字のごとく 「自分を助ける道具」 です。 例えばめがねなどが一般的です。 入れ歯もそうです。 杖もそうでしょう。

手や足などが不自由な方にはそれぞれに義手、義足などがあります。 これら以外にも障害の箇所や程度によって必要な道具があれば楽に生活する事ができるようになります。

 しかし、現実には一人一人の障害の程度に応じた自助具というのはなかなか手に入らないのが現実のようです。

 そのために前述の尊敬する方はご自分が苦労したことから、多くの方にそれぞれにあった用具を作って提供されています。

 その記録と用具を紹介した本が7月頃に出版されることになりそうです。

 タイトルは 「自由への補助具」〜ごはんもトイレもひとりでできる〜  補助具作りが生きがいの加藤源重と福祉工房あいち  (発行:本の森     発売:星雲社     予価:1600円  )    だそうです。

  紹介されている用具は、とてもシンプルなのに機能的で、汽車作りにもヒントになることもありそうです。

あわせて、 自助具や福祉のこと、障害者、高齢者の方のことを考えるきっかけになればと思い紹介させていただきました。

 

心にのこる言葉  2002 3 10

  私が尊敬する多くの方々のなかに、利き手だった右手を失った方がみえます。 私はこの方とお話をするたびに強烈な感動を受けます。

そしてものすごいパワーをいただきます。 この方の母校の卒業式では校長先生から卒業生にいつも贈られている言葉があります。この方が書かれたものです。

みなさんにも知っていただきたく、ここでご紹介させていただきたいと思います

       やり遂げる 

   どんなに辛いことでも、どんなに苦しい時でも

   どんなにストレスが貯まっていても、絶対に降りては駄目。

   その辛さをバネにして、自分との戦いである。

   強い精神力で苦難を乗り越えれば、幸せをつかむことができる。

   大切なことは、辛い事でも辛いと思わずに、

   その辛さをバネにして前進すれば、

   辛さを忘れて仕事に打ち込むことができるんだ。

 

この言葉の内容を十分理解していただくために下記の文も読んでみてください。

障害乗り越え発明人生 

 私は手に障害を持つまでは障害者を見かけても、ひとごとのようにしか思っていませんでした。

 その人生に大きな転機が訪れたのは、平成3年3月29日(当時56歳)に利き腕の右手を機械に巻き込まれて、親指が1cm残っただけの大けがを負った時からでした。

 病院で手術後しばらくして包帯がとれ、丸くなった手を見た時「これだけしか残っていないのか」と、愕然としました。 しかし、くよくよはしなかった。手首と拇指球の間接が傷んでいなかったからです。

 「しめた、これなら残存機能がいかせる」 もともと常に前向きな性格。「ここまま人生に負けたくない、不可能を可能にが私の信念」と、気持ちを切り替えて、痛めた手で箸の使える補助具を考案し、構想図を持って義肢業者へ出向き、「箸補助具」の製作をお願いしたら、「五指を失った手で箸など使える筈がない」と言って断られたので、私は、構想図を広げて詳しく説明したら、「そんな絵のような具合にはできない」と、言って再び断られ、そこで私は、 声を張り上げて「作りもしないで出来ないと決めつけることは、マイナスの思いこみが強いからだ」と、言って反論しましたが、結局作っては貰えませんでした。

 「ならば自分の手で作ろう」と、決心して定年を待たずに勤めを辞めて、機械を揃えて自分の手の不自由さをモデルに、福祉用具の研究開発に取り組みました。

 先ず始めに、痛めた手で道具が使える補助具の開発に挑戦。完成までには半年がかりの作業であった。

 長年の経験からアイデアは直ぐに浮かんできました。痛めた手に道具を支持するホルダーを装着して、そのホルダーに各種の道具をはめ込み式にすれば、ほとんどの道具が使えることに気付きました。

 妻は生計を立てるために勤めているので、私一人だけの孤独な挑戦でした。特に組み立て作業の時は、工場に座り込んで足や膝などを使って血のにじむ思いで取り組み、右手の不自由さは想像以上で大変な忍耐力が必要です。

 何度も何度も作り直し、必死になって製作しているうちに、時間の経つのを忘れていつの間にか深夜に迄およぶ事もしばしばあったが、苦労を重ねてやっとの思いで完成に漕ぎ着けた時は、涙が出るほど嬉しかった。

痛めた手に補助具を装着して、ハンマー・金のこ・ドライバー・溶接機などを次々に必要に応じた道具をはめ込んでの作業が進み、「箸補助具」や自助具など、これまでに手の代わりをする福祉用具の開発は、およそ60種類に及びます。

 更に、全国発明くふうコンクールやコンテストなどに応募して、大賞の科学技術庁長官発明奨励賞や特許庁長官奨励賞など数々の賞を受け、また、平成9年には上肢障害者の作業用の補助具を開発し高く評価され「第38回創意工夫功労者表彰」で科学技術庁長官賞を受賞し、大きな自信となりました。

 私はすべてを出来ると考え、更にこの 『出来る』 を信念にまで高めていった事によって、天地を逆転させる程の強烈な熱意により、義肢業者が「出来ない」と、言って拒否された福祉用具の開発に挑み、天与の能力を最大限に発揮して、次々に不可能だと言われた補助具などを考案し可能にしたのです。

 人生はあきらめたら終わりです。たとえ利き腕の右手が不自由であっても、ピカピカの1年生になったつもりになれば、ストレスなどは一切無縁です。 私よりも重度の障害者を見かける度に、この程度で済んで良かったと思って感謝しております。

 研究開発の傍らで、障害者の残存機能を生かした補助具や自助具を、その人その人に合わせて原価で作り、大変よろこばれています。

関係機関や福祉団体などからの依頼で、講演や研究発表などのほかに福祉機器展示会にも出展し、時には学校からの依頼で「生き方」と題しての講演も行い、行く先毎に大勢との出会いがあり、また、人との交流の輪が広がると共に、人生の道も広がり、この喜びは健常時では味わうことは出来ませんでした。

 自分の人生は自分で歩まねばならず、歩まねば途絶えてしまう。手が不自由だからといってあきらめずに、身を削る思いで気力を振り絞り頑張り抜いてきた。

 利き腕の右手の不自由さが身にしみて、「何とかしよう」という気持ちが福祉用具の開発への起爆剤となり、強い精神力で障害を乗り越え「発明人生」をただただ歩んでおります。

 夢は追っても過去は追わずに、強い心で努力に努力を重ねれば、深い喜びが生まれてくることを、身を持って味わいました。

とにかく考えてみる事、そしてやってみる事、失敗すればやり直せばいい。何もしなければそこには何の進歩もない。 全てに夢と探求心が有って初めて新しい知恵も生まれて来るし、また、良い発想も浮かんで来ます。

 研究する心が成功への第一歩だと思います。

  

ホームページのスタート  2002 3 8

 大勢の方々のご協力でようやくホームページができました。 ありがとうございました。

 もっとたくさんの画像を載せてからと思っていましたが、 ホームページの進化も見ていただければいいかなと思い直し、スタートすることにしました。

 デジカメもスキャナーもまだなく、当分文字ばかりとなりそうですがご了承ください。

 

 

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