悪魔のブルース <Ver. Ace> by male 様
魔界の白い月の上を、魔女達に引き連れられたコウモリの群れが横切る。
エースはバルコニーの扉を開け放ち、黒い軍服の襟を緩めた。黒髪を揺らす夜の風が心地よい。
彼の住む高台のテラスハウスからは、先程まで特別コンサルタントとしてつめていた情報局の細長い建物が見える。エースは既に退官しているので、軍の制服を着て出てゆく必要は無いのだが、いちばん落ち着いて仕事が出来るのと、あれこれとコーディネートを考えなくてもよいので、つい、手が伸びてしまうのだ。
中央情報局長官として勤めていたのも昔の話で、地球から魔界に帰還した後は、彼の豊富な経験と知識を求める後任の相談役として時々局に赴いている。
エースは室内の方に向き直り、シンプルな部屋に相応しい機能的な黒いバーキャビネットから琥珀色の液体の入った瓶を取り出した。
ショットグラスに注ぎ、一口で飲み干す。
古木の香りに微かな花の香りが混ざり、鼻腔に抜ける。
長い余韻。
2杯目は口の中でゆっくりと味わって飲みこむ。
再び液体に満たされたグラスを持って、ソファに身体を沈め、局の帰り際に言われた事項を反芻する。
―――貴公に、上から長官に復職して欲しいとの要望が来ている
エースの後任である現・情報局長官はそう言った。
彼が無能であるわけでは決して無いのだが、如何してもエースの後任は荷が重いようだ。だが、そのことに関して相談役として時々様子を見に行っているエースは、経験を積んでいけば問題は解決すると思っていた。
―――しかし、上からの復職要望があったとなると・・・。
一応、情報局は軍部に所属する機関ではあるが、その性質上、実質的には独立機関である。総元帥である副大魔王の席が空いている今、長官より上の立場は大魔王陛下しか居ない。
「何を・・・企んでいる?ダミアン」
エースは小さく呟いて、思案気に長い足を組んだ。
その時、開け放ったバルコニーから冷たい風と共に銀色の月光が差し込んできた。
「心外だな。わたしは何も企んではいないよ、エース」
気配も無く、エースの目の前に1名の悪魔が現れた。
銀に近いブロンドの髪。
完璧すぎる氷の美貌。
薔薇色の唇には微かな笑み。
ソファから立ち上がったエースの眉間に皺が寄った。
無防備そうに見えるが、この家の敷地内には強力な結界が敷かれていて、エースに無断で入り込むことは出来ないはずだった。
それが出来るのは―――
「ダミアン・・・大魔王陛下」
エースはこの世界の全てを司る者の名を言った。「こんな面倒をなさらなくとも、俺を呼び出せばよかったじゃないですか」
苦い表情のエースを楽しげに見詰めながら、ダミアンは優雅な仕草でバーキャビネットに寄りかかった。
「素直に応じてくれそうに無かったものでね。・・・情報局への復官を断ったそうだな」
「俺でなくとも有能なヤツは居ますよ。今の長官だって悪くない。・・・何か飲みますか?」
ダミアンは結構、と手を上げて応えた。
「だが、君ほどではない。違うかね?」
「買いかぶりすぎです。第一、俺にはもう・・・」
と、エースは口をつぐんだ。
ダミアンが小さく笑い声を零す。
エースは伝説的とも言える情報局員だが、王国に対しては全く忠誠心というものを持っていない。彼の発生場所が、禁断の場所God’s doorであることも、理由のひとつかもしれないが・・・
そんな悪魔が言いよどんだ言葉の続きは、簡単に想像できる。
懐刀。
右腕。
そして、その名に相応しい通り名、ACE in the hole(最後の切り札)。
それら全てが大魔王ダミアンではなく、ただ1名の最高位悪魔のためだけの・・・
「君が其処まで言うのならば仕方がない。残念だが諦めよう」
「申し訳ありません」
エースは慇懃に礼をし、心にもない言葉を言った。
ダミアンは豹柄の薄いマントを翻し、バルコニーへ向かった。
「構わんさ。ところで・・・」
と、冷たい手擦りに手を掛け、ダミアンは振り返って言った。「デーモンが魔界に戻ってくる」
エースの心臓が電撃を受けたように大きく跳ねた。
「デーモンが・・・何時・・・?」
「人間界での後処理を2、3終えたらだ」
満月の光を帯びるダミアンは、それに溶け込んでしまうかのように透き通り、エースは眼を危険に細めた。
「まさか・・・」
「ああ。長らく空席だった副大魔王に復職してもらう。勿論、本魔にも了承を得ている」
薔薇色の唇に冷たい笑みを浮かべるダミアンは、まさしく冷酷な王であった。
副大魔王の職はお飾りではない。何時でも与えられる任務は厳しく、失敗は絶対に許されない。
敗北は死。常に勝ち続ける事が要求される。
故に、誰しもがなりたがらず、誰しもがなれない為に、前副大魔王であるデーモンが人間界に赴任して以来、空席のままだったのだ。
「アイツをまた・・・お前の手駒にして弄ぶのか」
エースは自分の心臓が凍っていくような感覚に陥り、ソファの背を強く掴んで耐えた。近付いてきたダミアンの黒い爪が、彼の額を捉えても抵抗できないでいる。
目の前の、ゾッとする美貌が口を開いた。
「ひとつ忠告しておくが、エース。わたしはデーモンのことを玩具として扱った憶えは無い。全宇宙に於いて、最も信頼する者であるという認識で彼の処遇を決定しているのだ。寧ろ手駒は・・・」
アイスブルーの瞳が残酷さを湛えて細まる。「君の方だよ、エース」
「ウ・・・ッ!」
ダミアンの爪がエースの額にめり込み、普段は隠している邪眼を抉った。
エースは反射的に顔を背け、ダミアンの魔手から逃れた。傷付けられた額を押さえた右手の指の間から、赤く生暖かい体液が流れ落ちる。
ダミアンは爪の先に付着した赤い液体を、舌先で舐めて見せた。
「デーモンがわたしに忠誠を尽くしてくれるのなら、わたしは彼の望むもの全てを与え尽くしたい。・・・そう、どんな手を使ってでもね」
エースは手の平の隙間からダミアンを睨んだ。
「アイツが俺に・・・役職に戻れと言ったのか?」
「そんな事は一言も言わなかったし、言うようなタイプでもないだろう?だが、彼が君を欲しがっているのは明白だ。・・・副大魔王の最強の切り札として」
「・・・・・」
「ただ有能なだけではない。全てを課してデーモンの後援となれる者として。いざとなれば楯にも剣にもなれる者として」
ダミアンはエースの目の前に自分の手を差し出した。
エースは歯軋りをしたが、結局、膝を折ってダミアンの手の甲に口付けた。
「陛下・・・謹んで・・・情報局長官の官職をお受けいたします」
「それでいい、エース。デーモンと共に生き、デーモンがデーモンである事を死守する。其れが君にとっての幸福・・・苦痛と苦悩に満ちた只ひとつの幸福なのだから」
額の傷に冷たい手が触れ、エースは一瞬眼を閉じた。
眼を開いた次の瞬間には、もうダミアンの姿は其処に無く、額の傷と痛みも消えていた。
―――デーモンが戻ってくる・・・!
再び、生と死の狭間にある限界の中で行動を共にする日々が訪れる。
其処には魂を削るような激務が待っていると分かっているにも拘らず、エースは歓喜に震えた。
夜風が頬を撫で、エースは視線を上げた。
傾いてきた月が、開けたバルコニーの中に銀盤のような姿を現し、部屋の中を覗き込んでいる。
エースは心の奥底を覗き見られているかのような感触に襲われ、扉を硬く閉じた。
Fin・・・・
ACE DAYにお仲魔のmale様が捧げられたSSを強奪w
良いですね…耐え忍ぶ長官のお姿は―――
及ばずながらイラストにしてみました
長官は描き甲斐がありまするよ
D.C.10,03,25 gift