WILD  FRONTIER  EX  −2−

 
 私グロールフィンデルは、『マンドスの館』から戻った今、新たに仕えるべき主君を見つけた。
 彼の名は、エルロンド卿。生前、私が仕えていた王、トゥアゴンの血筋にあたる方だ。
 今の私は、彼のためなら命の一つや二つ、軽く投げ出す覚悟が有る。
 すでに一つ投げだした経験がある私としては、そんな事は当然の事だった。

 なのに・・・!
 当のエルロンド卿は、そうは思って無いみたいだ。

 現在、卿と私はエレギオンでの戦いに於いて、サウロンからの追っ手をうけ逃避行中だ。
 サウロンの狙いはエルロンド卿、その人らしく、オークどもの追撃のシツコイ事ったら、もうウンザリするぐらいだった。
 今日もオークの大群に見つかり、只今戦闘の真っ最中〜!なのだが。

 
 なんと、エルロンド卿にまかれてしまった〜〜っっ!!

 狙われてるのは自分だけだとわかってるから、オークどもを引きつけて、私を逃がすつもりなのだ。
 ああもう、まったくあの方は〜〜〜!!どーしてこう、自分を大事にしないんだろう!?
 何があっても傍に居ると言った私の言葉を、どう思っているのだろう・・・・?
 などとノン気に落ち込んでいる場合ではない。早いトコ卿を見つけないと、大変な事になる。これから先の私の人生、真っ暗になってしまうじゃないか!
 行く手を阻むオークどもを斬り捨て、とにかく走る。
 戦士としての経験と勘だけを頼りに進むと、前方にオークどもの鬨の声を聞いた。
 小山のように群がるオークトどもの陰に、見覚えの有る瑠璃色を見つけ、一気に頭に血が上るのを感じた。
「ご無事ですか!エルロンド卿」
 何匹ものオークどもに押さえ込まれ、エルロンド卿は息も絶え絶えになりながらも逃れようと抵抗していた。
 私の卿に、汚い手で触るんじゃね〜っっ!とばかり、つむじ風のごとく、その場のオーク全てを薙ぎ払う。
 バルログと戦った時でさえ、これ程の剣を奮った事はなかっただろう。
 渾身の一撃!それぐらい私は怒っていた。
 やっと訪れた静寂の中、私は乱れた息を整え、手にした剣の血を掃い鞘に納める。
 そうしてやっと、エルロンド卿に微笑みかける事ができた。
「遅くなりました・・・」
 彼はそんな私を、ただ黙って見返していた。
 体中に腕から切り取られたオークどもの手が、掴みかかったままぶらさがっている。それを取り除く私の気分は最低だった。
「もっと早くお傍に来られれば、こんな目には・・・」
「いや・・・」
 卿は小さく息をついて目をそらす。
「貴公は・・・大丈夫か?」
「私の事はお気になさらずとも結構です。貴方さえ無事なら、それで十分です」
「しかし・・・」
「ああ!」
 思わず叫んでしまいました!なんという事だ!
 いったいいくつ有るんだ?とムカムカしながらオークの手を取り去ってみたら、なんと!
 エルロンド卿の鎧甲冑は、オークどもが引き剥がそうとしたらしく、捩れてるは、歪んでるは、そりゃヒドイ有様。
 おまけにその中の肌にはオークの血の痕が〜っっ!
「なんという・・・・」
 ショックのあまり、声も途切れる。
 なんたってこの汚されたエルロンド卿の姿には、凄まじいまでの色気が在った。
 いいっ!凄くいいっ!!
 このまま押し倒したいっ!そして鎧甲冑、身に着けたもの全部引き剥がして、アンナコトヤコンナコト・・・
 ・・・とゆー具合に、妄想でグラグラしてしまうぐらいにクるものがあった。
 こんなオイシイものをオークどもに見せたかと思うと、腹が立つやら、情けないやら・・・どうしてもっと早くお傍に来られなかったんだと、自分自身に対する怒りで身体が震えてくる。
 せめてもと、卿の顔を汚す黒い血を指で拭った。
「・・・金華公・・・」
「グロールフィンデルと・・・」
 いつまでも名前を呼んではくれないその唇・・・その形をなぞり、心の内で大きくため息をついた。
「さあ、早くこの場を離れましょう」
 そして沢か泉を見つけて、身体を洗って休まないと。
 私は卿の身体を支えて立たせると、歩き出した。


 微かな水音を頼りに見つけた場所は、周囲を潅木に囲まれて、隠れるように湧いていた泉だった。
 ここならしばらくは大丈夫だろう。畔の雑木の陰には、横になれる広さの柔らかな草地もある。
 やっと安心したように息をついたエルロンド卿は、歪み捩れた甲冑をなんとか脱ぎ捨てて、中の鎖帷子も脱いで泉の中へと身を沈めた。
 私は甲冑だけを脱ぎ、中には入らず、畔で泉の水を使う。無論、剣は帯びたままだ。
 卿を我が主君と決めた以上、礼節は守る。いやまぁ、とりあえず。
 許しも無いのに、同じ泉の中に入るわけにはいかない。それにいつ何時、敵が急襲してくるとも限らないのだ。警戒するにこした事は無い。
 なにしろエルロンド卿を護るのは、この私なのだから。
 ふと・・・視線を感じて顔を上げると、当のエルロンド卿が、泉の中から私の事を見ていた。
「何か?」
「いや・・・・」
 尚も見続けている卿に再び目で問うと、卿は視線を外した。
「気に障ったのなら、謝る。ただ・・・貴公はマンドスの館から戻られた者ゆえ・・・」
「ええ」
「マンドスの館とは・・・どの様なところなのか、と思って」 
 『マンドスの館』。エルフが死した後、再びこの世界に戻るまでの間を過ごすという場所。
 静かな場所だ。たしかに疲れた魂を休ませるには、ぴったりの。
「どうかしましたか?」
「ああ・・・」
 エルロンド卿は、我々が来た方角へと目をやった。
 今は醜いオークにその姿を変えられてしまった同朋たちの、魂の救済の事を卿は考えていたらしい。
「大丈夫ですよ。死して後、彼らの魂は醜いオークの身体を離れ、必ずやマンドスの館で休息をとっている事でしょう」
 私には退屈すぎる場所だったが、他にどう言えるだろう。
 実際、ずっと刺繍をしていたご婦人とか、花や草木を育てていた者とか、あそこで安息を得ている者は多いのだ。
 だからこそ、私は戻って来たのだが。
 金の華とまで謳われたこのグロールフィンデル。平穏な場所で、安穏な時を過ごしているのには向いてないらしい。
 言葉の途切れた卿の口から漏れているのが、押し殺した嗚咽だと気付いた時、私の身体はすでに泉の中の卿の傍らに居た。
「卿・・・?」
「気にしないでくれ。少しばかり疲れておるのだ」
 そう言って、私を安心させようとしてか無理に微笑んだ瞳は、涙で曇っていた。
「・・・私も捕らえられたら、あの様になるのかと・・・・」
 卿の呟きが、痛いほど胸に響く。
 どうやら卿本人も気付いてしまったらしい。サウロンが、卿を捕虜にしたがっている事を。
 この敗走が始まったときから、敵と見れば、即斬りかかってくるはずのオークどもの動きが変だと思っていた。
 いくら指揮官とはいえ、エルロンド卿だけにかかる追っ手の数が多すぎた。
 そして先刻、あの腕から切り離されてもまだ、掴みかかったままの手を見て確信した。
 あれは、捕虜にするために相手の動きを封じるためのものだ。
 その昔、そうやって捕虜にされ、辱められた者がいたのだから。
「そんな事はさせません!」
 決意も新たに、私は俯く卿の耳元に囁いた。
 そんな事、絶対に私がさせない。何があっても、たとえこの身が再び滅んだとしても、我が主君と決めた彼だけは護る。
 驚いたように私の顔を見た卿の顔は、濡れた黒い髪に縁取られて、ますます白く美しかった。
 頬にかかる髪を指でかきあげて、そのまま顎を支えて口付けしたのを、卿は許してくれた。
 それほど傷付いているのかと、私の心は痛んだ。
 傷付いたり、弱ったりしている時は、誰かに傍に居て欲しいものだろう。
 私は慰撫するように、エルロンド卿のまぶたにに口付けをそっとおとした。
 そして頬に。
 再び唇に。
 前より長い時間をかけて。
 その柔らかさを堪能できるほどの。
 卿はそれを、目を閉じて許している。
 私は唇を、そのまま顎にすべらせ項へと這わせた。
 エルロンド卿の身体が、僅かに逃げようとする。しかし卿の身体を抱く、私の胸を押し返す腕に込められた力も僅かだった。
「あ・・・」
 鎖骨の窪みに口付けると、卿の口から声が零れた。
 きらきらと、泉の水面を渡る漣のような声・・・
「エルロンド卿・・・」
 泉の水に濡れた耳元に囁く。
「今はすべての杞憂を忘れ、私に身をお預け下さい」
 卿が頷いたのかどうかは、覚えが無い。
 ただ手を引いて、泉の畔を覆う雑木の陰に誘った卿の身体の冷たさがが、私の熱く火照りだした身体に、ひどく心地よく感じられた。
 柔らかな草の褥に横たわった卿の素肌に、畏敬を込めて口付けをする。
 あらゆる所に、余す処無く、自分の印をつけるように。
 もう二度と、私が彼を見失わないように。
 私の付ける印が増える毎に、漣のような声が唇から零れ、その肌は淡い紅に染まる。
 その上に黒々と残る先刻のオークどもによる陵辱の痕すら、身に施された装飾のように見えて綺麗だった。
 それを愛でるように、慰撫するように、ゆっくりと。
 先日の洞窟の中での時のように独り、突っ走ったりはしない。
 卿が少しでも嫌悪を示せば、即刻離れるつもりだった。
 彼にほんの僅かでも、嫌な思いはさせたくはない。
 それほど今の私にとって彼は、何にもまして大切な、かけがえの無いものなっていた。
 
 柔らかな草の褥の上。
 私を受け入れた彼の背が、私の腕の中で弓なりに仰け反る。
 それを、幸福な気分で抱きしめる。
 獲難い宝物のように。





 うつ伏せに身を横たえたエルロンド卿の背中には、オークどもに押さえ込まれたときにできた傷がいくつかあった。私はそれに指を這わせる。
 伝え聞いた再生の言葉を呟きながら。
 本当に効果があるかどうかは定かではないが、たとえ気休めにしかならなくても、できる事は何でもやっておきたかった。
「大丈夫。今に援軍がやってきます。それまでは私が命を賭してお護りしますゆえ、ご安心ください」
 エルロンド卿は身を起こすと、驚いたように私の顔を見返した。
「何ゆえ・・・そこまで」
「私は貴方のものだと・・・そう、お伝えしたはずですが」
「・・・金華公」
「ちがいます」
「ああ・・・・」
 何度も繰り返されたやりとりに、卿の口元に困ったような、呆れたような笑みが浮かんだ。
「もしも貴公が」
 その笑みのまま卿が囁く。
「今回偶然にも同行したことで、私を護る事を義務だと考えておられるのなら、そんな気遣いは無用だ。私の事よりも、貴公自身の無事な帰還を第一に考えられるべきだ」
 そう言い終えて、エルロンド卿は視線を外した。
「くくっ・・・」
 つい、堪えきれずに吹き出してしまった私を、卿が怪訝そうに見る。
「何か?」
「ああ、失礼。エルロンド卿」
 私はなんとか笑いを飲み込んで、先を続けた。
「いや、貴方は思い違いをしておられます。私は貴方を護る事を、義務だなどとは思っておりません。それとも、共に帰還したいと願うのは、いけない事なのでしょうか?」
「いや・・・・」
 エルロンド卿は、私の顔を真正面から見返した。
 私はその視線に笑みを返す。
 そう。『義務』だなどとは、とんでもない。
 エルロンド卿を護るのは、私の『権利』だ。

 誰にも譲れない、私、グロールフィンデルだけの特権なのだから!


 この気持ちが通じたのか否かわからない。
 卿自身にも、いろいろと葛藤があるらしいのは解る。
 しかしそれを振り切ったのか、しばらく考え込んでいた卿の表情が明るくなるのがわかった。
 顔を上げ、私を見る卿の表情は、周囲から畏敬を持って称えられるエルロンド卿のそれだった。
「では、よろしく頼む。グロールフィンデル」
 毅然とした声で呼ばれた私の名前。
「慶んで!」
 ようやく私の名を呼んでくれたエルロンド卿に、私は心からの笑みを返した。

  
 
 
 
 

            WILD FRONTIER EX -2-
                         -end-








                           いかん・・・少々マジが入ってしまった(汗)
                                               まだ続きそうだし・・・