2000年10月

どっきどきの雅楽初タイケン。

10月某日、ちょっとどきどきしながら初の龍笛の練習会に行きました。自分の笛も譜本も無く、手ぶらでした☆先生の笛と譜本を見せて頂き、 音階の説明を受けながらひとつずつ音を出していきます。なかなか音が出せませんでしたが、ふーふーやっている間に、中(盤渉)やタ(黄鐘)、六(壱越)の低い方の音(和)はなんとなく出せるようになりました。ドレミ音階に慣れていた私にとって音のなまえが全部漢字で、意味が解らなくて難しいのがとても興味深かったです。そんなこんなで一音ずつなら音らしきモノは出るようになりましたけど、それもタイミングと偶然の賜物であってなかなか安定しません。 (初日から安定した音が出ていたらすごいですけど)そして高い方の音(責)は中(盤渉)やタ(黄鐘)、六(壱越)なんて問題外で音が出ませんでした。

未知との遭遇。

とりあえず何か吹いてみようという話になり、先生はおもむろに譜本をぺらぺらとめくりだしました。 「お経かな」まず譜本を見て思いました。カタカナで書いてあるのはチベットかどこかのコトバだと確信していました。そして先生は平調音取の頁を開いた後、おもむろにスゥ〜っと息を吸うと「ト〜〜・・・」っとなにやら歌い出したのです。私はとってもびつくりしました。正直なところ「妖しー!」と思ってしまいました。それが所謂、唱歌だったのですけど「さァ、一緒に歌ってみましょう」と言われた時には「マジですカ」と焦ってしまいました。しかし覚悟を決めて歌ってみると、なんだか良い感じでした。恥ずかしさよりも、未知の世界に飛び込んだ、好奇心が勝っていたのかもしれませんね。

音が出ないっすよ。

「さァ、実際に吹いてみましょう」ということで、運指表と譜本を交互に見ながら平調音取を吹いてみました。ところが「音、出ないっすよ。」とにかく出ないっすよ。なんと一音ずつならかろうじて出せていた音も続けて出していくと息の漏れる音しかでなくなっちゃうのでした。そしてテ(平調)の責音はまったくプスーとも鳴りませんでした。

初練習が終わってみて。

練習が終わり、譜本を取り寄せるため某雅楽器店さんの連絡先を伺い、笛は先生にしばらく本管をお借りすることになりました。外に出ると、いつの間にか空は暗くなっていました。帰りの車の中で、なんだか興奮さめやらズ、といったかんじで気分がとってもたかぶっていました。帰宅中にある静かな川沿いに車を止め、借りたばかりの龍笛を取り出しました。「ぷすー」っと息が漏れる音の中にかすかに笛の音も聞こえました。ぷすぷすと音のあたり所を探しているうちに、「ぶぉー」っとイキナリ大きな音がでました。少し空気の混じった、なんとも言えない音が、コンクリートの橋や、月の揺れる川の水面 や、倉庫の壁に音がこだまし、私の所へ返ってきました。不気味でした。シチュエーションといい、その響いた間抜けな音といい、なんとも気味が悪くなり一目散に車に飛び乗りました。そして家に帰るまでバックミラーが見られませんでした。

ピカピカの1年生♪

次の日、早速、某雅楽器店に問い合わせ、譜本を注文しました。そして自分の譜本が届いたのは10月末日でした。なんだかとっても嬉しくて、小学生の時、勉強は嫌いだったけど新学期が始まる前日に表紙に折れ線の無いぴかぴかの教科書を見るのが楽しかった事を思い出しました(余談ですけど、それから1年、折れ線のついてない状態の教科書もありました。)。だいじにとってあったブランドの包装紙を取り出してきて、譜本にカバーを作りました。次の練習日がとっても楽しみでした。

Vivienne Westwoodの包装紙にカバーされた私の譜本♪


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2000年11月

龍笛について思うことは。

初めて手にした龍笛。  私の借りた笛は本管の龍笛です。この龍笛は、茅葺き屋根の家で、くべられた薪などの煤を何十年、百年、二百年と当てられた竹から作られている、所謂、煤竹(すすだけ)で出来ています。やはり、煤の当てられていない白竹の笛に比べると音色はだいぶ違うのだそうです。そんな勿体ぶった所以のある笛ですから、当然、五桁の数字ではなかなか買えないそうで、激貧の私には当分縁の無さそうなものでした。自分の笛が買えるようになるまで、先生のものをお借りすることになりました。

FIRST☆IMPRESSION  私が、初めて龍笛を見たときの率直な感想は、「地味で素朴な楽器だな」ということでした。雅楽の演奏風景自体、神社に行くか、正月に早起きしてテレビつける以外ではなかなか拝めるものではなかったのですが、どうしても雅楽というと、あの独特の音と、きらびやかな装束が真っ先に目や耳にはいってしまい、それに比ると色の無い雅楽器というのは、あまり目に付かないものだなと思いました。余談ですけど「雅楽を始めた」というと決まって「あの『じょわ〜』っていう竹のいっぱい生えてるヤツ?」と笙を指す人がいますが、そうやって直ぐ笙を想いうかべるのは、「でっぱって」いるからじゃないかなーと私は思います。篳篥や笛は構えたときに奏者と一体になっている、同化してる、ように見えますが、笙はとにかく「でっぱって」いるんです。だから目立っているんです。雅楽器の中で一番自己を主張しているようなかんじがします。だって楽人の顔すら隠してしまうんですもん。笙ってなんだか「でしゃばり」の私と似てるかもしれませんけど、似てる性格同士、付き合うと気が合わないタチなのかもしれません・・・。

 

敵は一人ではない。 

先生に笛を借り、譜本を手にいれ、まるでおもちゃを買い与えられたコドモみたいに、毎日ヒマさえあれば家で笛を吹いていました。風の音と、甲高い裏返った音が多いですが、そうしてるうちに音はだいぶ出るようになりました。音がでるのは良いですが今度は勢いが良すぎて、とにかく唐突なかんじな音がします。ほとばしるというか、悲鳴をあげてるというか・・・。試しに、吹きはじめは、そっと息を入れてみたら今度は圧力が無くて音になりませんでした。しかし、一番の難関は自分の家族で、彼等は発展途上にある私の演奏を「蛇」か「幽霊」が出る!と気持ち悪がり、愛犬には怯えられ、吠えられながら、私と笛との戦いは続くのでした☆

私の演奏をこよなく 恐れる愛犬びびちゃん(ラブラドール・♀)

 

まじめ?な練習レポートはコレ!(平調編)

初めての越殿楽。 平調越殿楽をはじめて聴いたときは、「あ!知ってる」と思いました。何時何処でというのは覚えていませんが知らず知らず耳に染みついていたんですね。ピアノでもそうですが、聴いたことないクラシックの曲よりも耳慣れたポップスを練習する方が楽しかったのですが、越殿楽もまさにそんな感じで、なんとなくメロディが分かるので練習しやすかったです。この時、自分自身で問題にしていたのは、1行目の下「トヲロラルイタ」と2行目の下「チヤルイタ」の息が続かないこと。最後まで吹けずに消えいってしまいました。まだ音にならず風になってしまう息の方が多かったので、余計に続きませんでした。一番最初の「トラロ」の「ラ(平調)」の責音も、壱越(六)から続けて吹くと急に音が出なくなりました。

初めての五常楽急。 五常楽急を少しやりました。越殿楽に比べると難しくなりました。メロディがよくわからないので先生の所にあった芝祐靖先生のテープをお借りしてきて、唱歌と演奏を何度も聴きながら練習しました。まず最初の「トロホルイ」の「ルイ」が出ませんでした。だんだん低くなるのに従って口が「そーいう音を出す仕様」に変身してくれないので「ぶすー」としか出ません。そしたら、次は急に高い五(勝絶)の音なので「低い仕様」になりかけた口は急に「高い仕様」を要求され、中途半端にひきつります。3行目と4行目の下の方も盤渉から双調までと勝絶から下の音までと同じように吹いていると音が出なくて困りました。あとは新登場の「かけぶき」のタイミングにノックダウンでしたとさ☆

初めての三臺塩急。 三臺塩急をかじりました。ほんとに「流す」程度にかじりました。越殿楽・五常楽急にくらべると長いし1回に全部は苦しくて吹けません。まずは出だしの平調の責がひっくりかえります。一発ではまだ「音」は出ないようです。 あと「トヲルリト」のように勝絶の指を回すのがぎごちなくてできません。どうしても笛がぐらつきます。そしてニューフェイスの「トリヒリラ」は後々まで私の敵となるわけですが、「トリ」と「ヒリラ」を続けて吹けません。息が続かないのの、指が回せない(笛が固定しない)ためです。初めて1ヶ月未満の若造には、「流す」程度にも敷居の高い曲でございました。

 

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2000年12月

2000年12月 笛のためならストーブはつけない(誓)

12月にもなると寒くて笛を持つ手が冷たくなります。笛も芯から(笛だから空洞なんですけど)冷たくなっていて鳴りが悪い感じです。後、辛いのは唱歌をしているときに右手で膝をぱんぱんと叩いていると、風がおきて右手が余計に冷たくなります。暖房はついていたのかというとNOで、「ストーブの前で吹くと笛が割れる」とか「ホットカーペットの上に笛を置いていたら割れた」という話に過剰に反応してしまい、借り物の笛を割ってしまっては大変なので暖房器具は一切つけなかったのでした☆、今ではもちろんつけてまース(笛の扱いに注意有)。

笛は体調バロメーター。

音が大分出るようになったとはいっても無駄にはみだしてる息がほとんどで、慣れてないせいもあり1曲吹くのにも一苦労です。2時間くらいぴーぷーしていると酸欠状態になってしまうので一瞬気を失いかけたこともあります。しかし、一方では笛は私の体調バロメーターになっていて、コンディションの良い時は音がぴょぅぴょぅ出てくれるのですが、すこしでも悪いとかっすかすになってしまいます。特に体調が悪いわけでもないのに今日は音がでないなぁ、と感じた時に熱を測ってみたら、なんと微熱がありました。笛を吹いて自分の体調が診断出来る!ちょっと得した気分になりました(笑)。あと目を閉じて吹くと集中できて良いのですが、曲が曲なだけに眠くなってしまうし、変な癖がついてしまうというのでやめました。

続く「トリヒリラ」との確執。

練習は越殿楽など今までに吹いた平調の曲を数曲吹ききる。という風にしていました。音取や越殿楽なんかは指を追う程度は簡単だなぁ、と実際思っていましたが、曲が進むたびにどんどん難しくなっているように感じます。曲の多くは同じようなフレーズで構成されているので「曲を吹く」ということはそれほど難しいことではないと思っていました。しかーし当然、苦手なフレーズがあれば、それも色々な曲に含まれているわけで、彼等はいつも私を苦悩の中へと陥れるのです。その代表格といえばやっぱり「トリヒリラ」でしょう。まず六(壱越)、そのまま責音まで持っていき、叩く。ここまでは良いのですがその後から一気に崩れ落ちます。下(上無)から中(盤渉)にいくまでに音が和音になってしまいます。理由は先月述べた通 りですが、とりあえず「まわす」という行為自体、得意ではなかったんですねー。

マッハ☆ゴー!ゴー!皇ジョウ急。 

私は少し曲を進めるスピードが速いみたいです。私がピアノを習っていたときは、小品であれば毎週新しい練習曲を出されていたのであまり不思議に思いませんでしたが、とにかくマッハだそうです。宮内庁識楽部の楽師のみなさんは最初の2年くらい楽器を持たず、とにかく唱歌を唱い込むんだそうで、それにくらべたら確かに早すぎる、というか、これでいいのかナ?と思いました。そんなわけで皇ジョウ急です。最初の「トリリイ」から、やる気がなくなるくらいヒサンでした。まず中(盤渉)から六(壱越)にいくのに責音を続けるのが辛いというのと、運指が大きく変わるので笛がぐらつき、音が出なくなってしまいます。だけど三臺塩急よりもメロディアスな曲なので上手に吹けるようになるといいな、と思いました。

皇ジョウ急の「ジョウ」はこんな字。ATOK泣かせのスゴいヤツ。

小さなシアワセ。

少し良くなったなぁと思うのは五常楽急の2行目と3行目の下の方で段々低い音を出して行くところがありますが、先月は音があまり出なかったところがだいぶ鳴るようになってきた事です。練習していて、自分の行く末を案じ途方に暮れてしまうこともありますが、そうやって小さな「できた!」が少しでもあると本当に嬉しいなぁと感じる今日このごろです♪

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2001年1月

忘れもしない1月21日。記念すべき1日を細かく綴ってみました。

MY龍笛GETだぜ!

なんと、私はこの月、早々にしてマイ龍笛を買ってしまいました!当初の予定では1年ほど先生に本管をお借りして、その間にお金を貯めるつもりでした。しかし、「人にそれぞれ個性があるように、笛もそれぞれ異なった性格があって、長い間、違う笛でクセがついてしまうと、自分の笛を持った時に慣れるまで大変かもしれませんよ」という先生の話を聞いて、悩んだ末、遂に年末のボーナスをイケニエに笛を買うことになりました。そして先生の薦めで「笛師」の元を訪ねることになったのです。

まるで片思いのカレを訪ねるカンジ♪

某市にある笛師のお宅は、市の中心から交通機関で30分くらい。先生に連れられ、ドキドキしながら未だ見ぬ 私のかわいいフエチャンに想いを馳せておりました。それにしても笛師というのは案外、近いところにも存在するんだなぁとオドロキ。私のイマジネーションでいくと、笛師というからには、京都の山奥に庵をむすび、そこで竹を刈りながら生活しているような、そんな仙人のような存在だと思っていました。町を越え、通 りを過ぎると、一件のコンビニ。そこで見たのはニカニカしながら「おーい!」と、ひょうきんに手を振る紐ネクタイに健康サンダルのおっちゃんの姿…。「あ、あの人ですよ。はーい!」先生も負けじと手を振ります。イメージと違う!違うぞー!私は勝手に作り上げていたイメージの世界の人物と実物とが大きく食い違っていたため、かなり「がびーん」でした。楽しく世間話を楽しむ「笛師」と先生の後ろから、私は複雑な面 もちでついてゆきましたとさ。

潜入!笛師の館。

「笛師」のお宅は、趣のある日本家屋。整えられた小さな庭から「雅」が漂って来るようでした。その庭においては、縁側の下に脱ぎ捨てられた健康サンダルもお洒落なオブジェに見えました。私たちはお宅の一室に上がらせて頂き、早速、笛を拝見することになりました。私は、彼が笛を取りに行っている間、部屋をきょろきょろと見回していました。その和室には、床の間に琵琶が立てかけてあり、手前には箏がありました。ボロボロの譜本が何冊か積まれ、舞楽図の描かれた風呂敷みたいのが漆黒のテーブルにひかれ…、雅楽でいっぱいの部屋に、わたしはワクワク感を隠せませんでした。

両手に・・・笛。

やがて笛師さんが木の台の上に笛を20本近くのせて現れました。「どれでも吹いていいから、自分に合ったのを選ぶといいよ」と言って頂き、ウハウハでした。しかし、吹かなきゃどれが良いのか解らない、といっても商品に口を付けて、そんなに好きなように吹いても良いのかなぁ。ちょっと気後れがしてしまいました。そんな私を後目に先生は片っ端から試し吹きをしています。私も思いきって一本の笛を手に取りました。私が今まで先生に借りていた笛よりかなり太くてずっしりとしていました。おそるおそる唇を付け、吹いてみました。「ぴょーぉん」と心地よい音がして部屋に響きました。私が今まで吹いていた笛よりも息が良く入って、こぼれていた息が音に変わりました。すばらしー、と私が良い気持ちになって吹いていると、「ちと、高いしなぁ。」「ですよね」・・・。えぇぇ!ダメ?!私は先生のように片っ端から吹き始めました。もっと唇をかぶせるだの、口を当てる位 置がずれてるだの、あーだこーだ言われながら吹き比べていきました。

ファイナルアンサー?!

何本か吹いて比べると、「笛にも個性がある」という言葉が分かる気がします。同じように吹いては鳴らなかったり、音の高さが違ったり、音もそれぞれ変わるのです。かたちもそれぞれ太かったり細かったり。音色もそれぞれ微妙に違います。なんだかそれぞれに意志があるようで、面 白いなーと思いました。 最終的に私が先生と相談して選んだのは、鳴りは良いですが、かなり太い笛。吹ききれるか心配、と先生も笛師も言っていましたが、実は、ちょっと見栄でファイナルアンサーを下しました。今思えば、もっと楽な笛を選べば良いものを…。というかんじですが、あの笛のおかげで大分息が作れるようになったのではないかな、と思っています。

窓辺に花を、枕元には龍笛を…。

外に出ると、既に真っ暗で、風も冷たく頬を刺します。すてきな「雅楽部屋」と笛をたくさん見せて頂いて、その笛師さんの最初の印象と今は大分変わりました。でも、相変わらず、ニカニカしながら私たちを見送るおっさんは、ごくごく普通 の人に感じました。きっと、笛師さんも笛と同じようにいろんな人がいるんだろうなと思いました。 家にたどり着き、私は何度も手に入れたばかりのマイ龍笛を取り出しては、しげしげと眺め、袋に入れては、また出す。を繰り返していました。あんまりにもうれしかったので、夜、枕元に置いて寝てみました。これから毎日一緒に寝ようね!そんな風に笛に語りかけてみましたが、折りそうで、心配で寝られたもんじゃないのでやめました。 今まで、吹いていた笛とはおさらば。少し新しい笛に慣れてくると、今まで吹いていた笛は音を出してくれなくなりました。私の唇がNew龍笛仕様に変わっていったのです。もう吹けないのでサヨナラ演奏をして別 れを惜しむこともできずに、あっさりと先生の所へ返しました。この場を借りて改めて「ありがとう」ー。さよならー。アディオース。

左から、初期に吹いていた龍笛、今回買った龍笛、…いっけね!神楽笛もこの時買ったんです。

 

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2001年2月

迷える子羊でした。

笛を吹き始めて3ヶ月余。雅楽の世界にも飛び込んじゃったし、自分の笛も買っちゃったし、難はあれど音は出るようになったし、物珍しさも無くなってきました。完成度は置いておいて、平調を数曲と、壱越調の曲を2曲ほどをこの時点で吹いています。週末のくる度に、笛と笙を吹く先生のところにお稽古に行っては、笛を一緒に吹いたり、笙と笛で合わせたりしていましたが、正直言って物足りなくなっていました。CDから聴こえる篳篥の深い響きや、優雅な箏のおと、太鼓から発する荘厳な空気のうねり・・・。

合奏したいんやー!

いつしか、そうした想いがかなり強くなってきたのです。先生自身、何処の雅楽会にも属さず独学で頑張っていらっしゃる方なのですが、このまま先生と2人で、のどかな休日の昼下がりを悠久のみやびの時代(とき)の流れに思いを馳せつつ、楽を密かに嗜んでゆくべきか、どこかの雅楽団体に属し、様々な楽器と誘い合っては、やれ大合奏だの、やれ演奏会だのなんてはしゃぎあっちゃったりするのも乙か、とかいろいろと悩んでおりました。まじで。

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2001年3月

初めてのワンマンショー!

明かりを付けまショぼんぼりに〜♪  某日、先生の家へお稽古に行った帰りに、所用があって、母校(高校)を訪れました。すると当時の担任教師に「お茶室に雛飾りがあるし、今日はお菓子とお抹茶も出るから寄っていけば」と言われ、おお、ひなまつりかぁ。そりゃ結構じゃないかとばかりに参加させてもらいました。

さよなら、「春の海」。  お茶室に行くと、当時、とにかくお世話になった生活指導の先生を始め懐かしい顔ぶれがあり、思いで話に華が咲きまくりでした。茶碗を片手に「実は、昨年から雅楽を習ってるんですよ」というと当時の私を知る彼等は、あからさまに「ひょえー」という顔をして、怖いモノ見たさで1曲聴かせてもらいましょうと言い、雛壇の後ろに隠されていた、今は懐かしいダブルカセットデッキの琴やら尺八やらの音を止め、お茶室は急きょ私のワンマンライブの会場と化したのです。

いつものように幕があ〜く。  そういえば今まで笛の先生の前以外で演奏したことはないや、と思ったときにはもうあとの祭りで、というかほんとにお祭りで、教師陣は盛り上がり、私への期待は高まるばかり。。。「どうしよう!」安請け合いしてしまったけど、ホントに緊張する!しかし、性格上「やっぱり今日は止めておきます」なんて口が裂けても言えなくて、渋々、平調越殿楽を演奏する運びとなりました。 7〜8人の教師達が見守る中、おそるおそる笛に口を付け吹き出しました。「ぷひょー・・・」汗も噴き出しました。初っぱなから音が裏返ってしまい、焦って余計に口はかたくなってしまい、散々な演奏でした。「トー・・・(プスー)ラーープヒョー(ロ)−、オールー・・(プスッ)ロー」唱歌でいうとこんなカンジです。(あぁあ、もうダメ・・・)と、気持ちの中では号泣状態で、まともに先生達の顔も見ることができず、譜本に夢中でした。「くるま(繰り返しナシ)」で吹くつもりでしたが、あんまりひどいので3行吹いたところで適当に吹き止めをしてしまいました。

ワンマンショー終わる。  笛を口から離すと、彼等は割れんばかりの拍手で私を讃えてくれました。「すいません、人前で吹いたことなくてー、いつもの半分以下の実力しか出せませんでしたー。泣」というと、元担任(前髪のカールの具合から密かに『ミニクロワッサン』と呼ばれていた)はにっこり笑って「音をそこまで出せるだけでもすごいと思うよ!」と言ってくれました。そして幾人かの先生が笛を見せて欲しいというので、私の知っている限りの龍笛と雅楽の知識をレクチャーしつつ、笛をお披露目しました。そして、和気藹々としている私たちのすぐ後ろに迫る来る影を、誰一人気づく者はいませんでした。

ひなまつりの怪。  恐怖はいきなりおとずれました。襖を豪快に開けて、ごっついおっさん・・・社会科のN先生が入室されました(イメージ的には赤井○一)。「お!横笛か!ワイは昔フルートをやってたんやー」というカンジの事をいい、私の笛を手に取り、しげしげと眺めました。私は心の中で(えー!せせせ先生がフルート?!あぁぁ、そんなことより吹かないで!吹かないでー!〈切実〉)と、カレが笛を吹かないでくれることを切望していました。N先生は熱心で生徒の気持ちを理解してくれるとっても良い先生なのですが、ひとつだけ思うことがあるとすると、口臭がとってもすごくて、授業中カレが熱弁すると、前から3列目まで余裕で影響を及ぼす(唾液も飛びます)ほどなのです。だから、だから、どうか、まじで吹かないで下さいー!星に願いを月に祈りを私は一心に捧げました。しかーし、その思いは完全に届かず、芯のある綺麗な音色でカレは笛を吹いたのです。見事でした。「ワイもまだまだいけるなぁ」みたいな事を言ってカレは笛を私に返しました。その場で笛を拭うことも出来ずに、私はただ「そうですね」と言うのがやっとでした。

祭りの後。  ともあれ、私の初舞台はこうして幕を閉じたわけでありました。結果 は確かに散々でしたけど、それでも心の奥には充実感で満ちていました。恥ずかしかったけど楽しいと思いました。そして、他の管と合わせて吹けたらまた良いだろうなーなんて思ったりして、合奏したい病はますますエスカレートするばかりだったのです。

クリナップ・クリン・ミセス  家に帰って私は笛の掃除をしました。N先生が吹いたから、という理由じゃありません(焦)。私は定期的に笛の中を掃除していました。洋楽の管楽器を掃除するみたいな、おもりをガーゼの先に付けたもので笛の内部を拭くのです。唄口からおもりを垂らし、管の中を通 って出てきたところを引っ張るとガーゼが管の中を通って内側を拭く仕組みです。なんだかんだいって、人の息を入れる楽器ですからどうしても管の中を衛生的に保ちたかったんです。他には細い筒状の布袋に備長炭を粉にしたものを詰めて、管をしまうときに中に差し込んで保管していました。管内の消臭の為です。その効能はとても良かったです。1日も差し込んでおけばにおいは無臭に近くなりました。しかし、音を作る管の内径を触るのはいけないという話を聞いて、管の中を拭くのも備長炭袋を差し込むのもやめちゃいました。今ではきっと細菌の住処に。。。

 

初めてのなま!

雅楽界の貴公子。  後日、日本伝統音楽の演奏会があり、雅楽も演目にあるというので友達と聴きに行きました。なんとこれが初めて聴く生雅楽だったのでとても緊張していました。そして尺八や琴の音色もうわの空で、ひたすら雅楽の楽人が登場するのを心待ちにしていました。そして遂に、雅楽の番がやってまいりました。演目は平調越殿楽と陪臚です。重い緞帳が上がるとそこには楽服に身を包んだ・・・子供達がおりました。なかにはオトナも混じってましたけど大半が小学生から高校生くらいまでのコドモだったのです。今まで雅楽というものはオトナのもの、けっこう年配の人のもの、というイメージがあったのでちょっとびっくりでした。しかも主管らしい男の子はまだ小学生くらいで、しかもめちゃめちゃカッコイイっていうかかわいくて、ジャ○ーズとかにいそうな美少年だったので「おお」っとため息がもれちゃいました。

モーレツに感動。  ジャ○ーズ系小学生は、良く整った顔を一瞬引き締め、笛に唇をつけました。うーん、私はその仕草にハナジを出しそうでしたー。(嘘)しかも吹き出すと、これがまた上手いのでびっくりしました。というか子供達がみんなあどけない顔をしてスゴいので私は唖然としてしまいました。これはちんたら地元で吹いてる場合じゃないぞ。なんて焦ってしまいました。私が今までいた世界はなんて狭いんだろう。あんな小さなこでもこんなに上手になるのかぁ。私ももっと上手になりたいー。もっといろいろ知りたいー!彼等の演奏を聴いていたらふつふつとそんなことが頭をめぐり、なんだかとっても燃えてきました。もーれつに舞台によじのぼって参加したくなりました。

はじめのい〜っぽ!  演奏会から帰っても、いてもたってもいられないくらい私はまだ燃えていました。ふと数日前の母校での私の初演奏会を思い出して、自分のピーピー裏返り音にうんざりしました。私も、舞台に立つ緊張の中で、ゆるがない音で吹けるようになりたい!なにかしなきゃ、なにかしなきゃ!思いがからまわりしてじたばたする日々がしばらく続きました。先月、単独でひっそりと吹いていくのか、団体に属していくのか迷ったりもしていましたけど、今回のことで私は確実に後者の道を選びたいと節に願うようになりました。この初!生雅楽演奏会体験は、私に大きな一歩を出すきっかけを与えてくれたのです。

※今回も写真はナシね。

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2001年4月

朝もはよからヘアーの乱れを...♪

この月、ネットで知り合った雅楽の好きな女の子アッキー(仮名)と、早朝から地元にある雅楽団体を訪ねてみました。同じくネットで出会うことになった方がその団体の会長さんということで練習を見学させていただくことになったのです。

アジト潜入。 行ってみると、とても趣のある神社で、私たちの後にぞくぞくと神社に入ってくる人たちは大きなケースを抱えていたり、なにかしら怪しげな錦の包みを持っていたりして、会の人たちかな、と思ってわくわくしました。「あのぅ、今日、練習を見学に来た者です」と、ひとりのおじさまに思い切って声をかけてみると、やっぱり雅楽の人で、快く神聖な神社の社務所へ迎え入れて頂きました。

篳篥の怪。 和室の隅に正座して人が集まってくるのを待っていると、笙の人達がカラカラと笙をあぶり出し、笛の人たちもチューナーを見ながら「トー、トーー」と音をあわせていく模様。わくわくしながら見ていると、側にいたきゃしゃな女の人が、すっ、と木箱から篳篥を取り出し、リードを、ぽちゃん、と湯飲みの中につけました。篳篥のリードをお茶につけると良いと聞いたことはあるけど、本当にみんなやっているんだなぁ。と関心しながらみていると、彼女はリードと篳篥を合体させ、口へもってゆきました。「ぱぉーっ!」 ・・・篳篥はいとまがまがしく、(中略)うたてけぢかく聞かまほしからず。(BY清少納言) その女性が吹き出した途端、私は少し面食らい、悠久のときを越えて女流文人が私に囁きました。「篳篥の音は超うるさい、(中略)近くできくもんじゃおまへん」と。 CDやこのまえの演奏会で篳篥の音はよく聴いていましたが、こんなに間近では聞いたことがなく、こんなに大きな音がするなんて思いませんでした。あっけにとられて見ていると、彼女は私のそんな思いを知ってか知らずか、涼しい顔をして越殿楽の艶やかな旋律を奏で続けました。

スクープ「消えた?!私の音」! 人もひととおりそろったところで、一人の男性が「では練習をはじめましょう」とおっしゃいました。この日、私の知っている方は欠席ということでした。 平調の練習ということで、何故か笛を持参していた私は練習に参加させて頂きました。まず、越殿楽。主管の方が吹き始め、つけ処で他の方にあわせて私も吹き出したところ、「!」びっくりしました。自分の笛の音が聞こえないのです。他の管や他の笛の音は聞こえるのですが自分の音は全く聞こえないのです。初めての経験に、戸惑ってしまいました。今まで、音が出ている、という認識は耳で行っていたので、自分の音が聞こえないとなると、音が出ているんだか出ていないんだか、さっっぱりわかりませぬ 。五常楽、と進んで、三臺塩急だったと思いますが、私に主管が回ってきました。ドキドキしながら吹き出して再びびっくり。緊張のせいか、笛をはじめて2ヶ月並に音がでません。こりゃどうしたことだ、と驚きの連続でした。

それは音速を超えた?! 極めつけが「蘭陵王」。吹いたことも聴いたこともない曲だったのですが、「吹けたら吹いてもいいよ」というお言葉に、ちょっと挑戦してみよう!ということで主管が吹き出したのを聴いてびっくりしました。だって、譜面 通りじゃなかったから!今までに演奏してきた曲はたいてい譜面通りに吹けばとりあえず成り立っていたワケですがこの「蘭陵王」は曲者で、最初が下の音かと思いきや、まったく想像もできなかったフレーズが聞こえてきました。これが所謂、「ひーち」だったのです。驚くのはまだ早く、早いっていうか速すぎて。何がというと曲調がすこぶる速くてついていくに必死。いや、必死というよりムリ。だったのです。今まで私が吹いた平調の数曲やすこしかじった壱越調の曲よりもとっても速かったです。その上長い!これはかなり体育会系の曲だなぁと思いました。今思えば速い、のではなく、細かい指使いが要所要所に出ていて、必死だったようです。 私の今までの雅楽のイメージが少し変わりました。

雅楽は体育会系。 練習終了後、今回のレポートで1行目しか出番の無かったアッキーと、雅楽の道は果 てしなく遠く、厳しいものだということを再認識して帰途につきました。スポーツジムで遠泳1km、エアロビ(中級者)のプログラムを2セットやったくらい疲れ果 ててしまいました。(おおげさ?)

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2001年11月

11月は、演奏会が幾つかあったので、そこでのレポートを中心に書きたいと思います。

演奏会1:この日は雨が降ってた。

11月某日、和風パイプオルガンと和楽器の演奏会がありました。前日にディズニー・シーに行き、夜中に帰ってきたばかりなのでちょっとへとへとでした。演奏会では尺八などの和楽器や日本で数台しかない和風パイプオルガンとヴァイオリンやチェロといった洋楽器が合奏するなど、とても面 白い演目があり、合間に雅楽もあって、少し参加させて頂いてきました。

恐るべし、小学生のチカラ。  私が混じった演目は、地元小学校雅楽部による越殿楽と、おとなの雅楽演奏者による賠臚でした。小学校雅楽部の越殿楽を聴いて、驚きました。まだ数ヶ月しか練習して無いので、と校長先生はおっしゃっていましたけど、そんな短期間の練習で、小学生でもこんなに音が出せるんだぁ。と思って末恐ろしくなりました。最近、平均年齢の低いアイドルが流行っているみたいなので、平均年齢の低い雅楽会がデビューしたら面 白いかなぁと余計な事も想像しました。雅娘。とか・・・(汗)。 自分の演奏については・・・あまりコメントしたくないですけど、というか実際、いっぱいいっぱいだったのであんまり覚えていませんです。もっと心に余裕を持たなくてはいけないなぁと思うのですが、どうしても緊張でぴっきぴきになってしまいます。覚えているのは子供たちとの越殿楽で、テンポは子供たちの息に合わせていたので、子供たちの指使いに集中していたら急に、すぽ、っと頭から譜面 が抜けてしまい、途中でみんなと違う音を出してしまったことです。保つほど面 目はありませんが、せめて子供達にバレてないといいなぁと思いました。

バイロ。  賠臚は、音だけは出ていましたが、体中に無駄 な力が入ってしまい、空回りしていた感じでした。今までならそこで音がぷすぷすしてくるのですが、きれいな姿勢を保とう、と努めていた為か、息が良く通 って音が消え入る事だけは防げた気がします。今回は越殿楽と賠臚の間に少し時間があったので大丈夫でしたけど、この2曲は拍子が違うので続けて吹くと混乱してしまうことがあります。私が混乱しやすいのは、たとえば、賠臚の2行目の上「ア引ア引。」で、急にテンポがわからなくなって、間延びしてしまうのです。だいぶ、改善してきましたけど今後の課題でもあります。

TV出演ならズ。  「今日の演奏会、6時からスポットでTVに映るよ!」という話を聞いたので慌てて帰り、ビデオをセット。番組ごと録ってしまおうと録画ボタンを押すと、操作が実行されず、焦ってしまいました。カセットを取り出してみると、なんとツメが折ってある!その事実に気づいた瞬間、TVに演奏会の映像が!もぅ、ダメだぁ〜。とは思いましたが結局、雅楽の場面 はカットされて、私は映りませんでしたとさ。(泣)

 

演奏会2:ダラけすぎの演奏会。

次の日、某学校の文化祭で演奏会でした。演目は平調音取・越殿楽・賠臚・荒城の月でした。昨日の今日で、ちょっと辛かったです。何が辛かったかというと、昨日の極度の緊張状態からやっと解放されたところで、昨日の今日で同じ、緊張した精神状態を保つということが難しく、「今日は昨日より演奏する人数が多いし、私一人の音くらい、ヘロってたっていいじゃーん。」というだれた気持ちのまま舞台に上がりました。そして笛の主管が吹き出したのを見て、ちょっとドキ、っとしました。その人は、いつもガンガンにバウらせているのに、今日は音も手もふるえていました。その人の演奏会に対する真剣な姿勢と眼差しを見ていたら、少し泣きたくなりました。私もがんばろう!と思ったのですが、既に気持ちがうろたえちゃっていて、思わぬ ところで「ぴょー」と音がひっくりかえり、更に落ち込む結果となりました。それでも、演奏会の始まる前のフヌケ状態で終わらせなくてよかったかなーと思います。

 

演奏会3:祝・初舞楽!

それからちょっとして某小学校で演奏会でした。演目は(管弦)平調音取・越殿楽・賠臚・(舞楽)陵王でした。いつものメンバーより大人の人が多かったし、ほかに女性もいなくて、それはそれで、かなり緊張していました。でも音合わせなんかをしているうちに色々と盛り上がってきて、会話も弾んで、気持ちが少し軽くなりました。

管弦。  会場に行き、小学生が座っている中、舞台までわさわさ(※楽服が擦れる音)と歩いていくと、そこら中から「女の人がいる・・・」という囁き声が木霊のように私を襲い、恥ずかしくて顔が赤くなってしまいました。演奏会のメンバーで半分くらい女の子の時が多かったので、こんなことは珍しかったです。平調音取・越殿楽・賠臚は定番になっているので完璧、とは言えたもんではありませんが、それなりに落ち着いて吹けました。でも、ほかの演奏者がかなり大きな音を出して演奏しているので、さっぱり自分の音がきこえなくなり、盤渉と黄鐘の音の時に、私の音が低いので他の人とガチガチとぶつかって嫌な音がでてしまいました。 あと、自分も負けじと大きな音を出そうとして、息を強く吹き込むと、かえってひっくり返ってしまいます。しょうがないので、無理は止めて自分のペースで吹くことに専念いたしました。もともと息は弱い方なんで、息圧じゃなくて音厚を出せるように今後できるといいかなぁと思います。

コドモとのたわむれのなかで。  少し休憩をはさんで舞楽の準備をします。ごっついおっさんが多いし(陳謝)、若くてぴっちぴちのレディ(要訂正)は子供心に相手にしやすいらしく、小学生達が休憩中に遊んでくれました。「どうやって吹くの?」と訊くので、「ここから、ふーって吹くの」。と、吹く真似をしてから、子供のくちに当ててあげました。「! うたぐちはねぇ、全部ふさいだらダメなの。(あぁ、よだれが笛に・・・)」という会話を楽しみつつ、これを機会に、雅楽に興味を持ってくれる子供たちが増えるといいなぁと思っていました。

舞楽。 管方は端っこに移動し、舞楽の準備です。管弦の間、図書室で、あの装束をつけたまま「はだしのゲン」を読んでた舞人も、舞台袖でスタンバイしてました。私にとって第一の難関は陵王亂序(りょうおうらんじょ)です。指使いよりも、一番最後で10拍延ばしきれるかが問題でした。笛と打物しかいないので、がっちがちに緊張しちゃいました。主管が小亂聲(こらんじょう)とか吹いてるときはどきどきして余計に息が入りにくくなりそうなのが分かりました。いざ陵王亂序が始まってしまうと、気持ち的に「好きにしてくれ」みたいな開き直りがあって、その甲斐あってか息はもちました。当曲の場合は、私は「邪魔だから人より短く切れ」というミッション通 り遂行していました。問題だった「ヒーチの連続殺人事件(※一息のなかにヒーチなんかが連続してあり、しかも息吸った途端、またヒーチがある殺人的な箇所)」も息が切れずに克服できたので、私は自分を誉めてあげたいと思いました。 いつかこういう機会が再びあるなら、今度はちゃんと暗譜して、舞をもっとじっくり見られるようにしたいです。私はミーハーだから陵王の舞が一番大好きです。 軽快な動きと、きらきらした陵王の当曲の音にわくわくしてしまいます。だから今度は、舞を見ながら演奏して、舞と音がぴったりシンクロするのを体感したいなぁと思います。流石に今回は、吹くだけでいっぱいいっぱいでした。

当日、実際に使われた陵王の面。彼ったらとってもチャーミング♪

 

安摩亂聲はたまらんジョー(寒)。  事件がおきたのは安摩亂聲(あまらんじょう)の時、追いかけっこの順番で、私は4番目につけていたのですが、途中、3番目の方が咳き込んでしまいました。その人が止まってしまい、思わず私も止まってしまいました。その人がすぐ吹き始めるかと思って待っていると、再び咳き込みはじめ、手で「しっしっ」としてきて、吹いて、の合図を送ってきました。しかーし、既に何処を吹いているか見失った私は、とりあえず好きなところから吹くことにしました。「あぁ、どうしよう」と、うろたえながら吹いていると吹き止めの合図があったので、かなり安心しました。終わって良かったぁ。嫌なことは、そのあとの飲み会でいっぱい飲んで、スッパリ忘れました。そして後日、知り合いから「○日に、Aさん(当日の演奏会のメンバー)から電話があってさぁ、『今、tomoさんが、飲み会でザルのように飲んではしゃいでるんですけど、大丈夫ッスか?』って楽しそうに電話あったけど大丈夫?」と言われて、赤面 してしまうのでした☆

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