<金の豚年>
「来年は豚年ですよ」
2006年11月、三度目の韓国旅行中、
昌徳宮に居たガイドさんに教えてもらいました。
日本でいう「亥年」を、
中国や韓国では「豚年」というそうです。
しかも2007年は60年に一度の「金の豚年」で、
この年に生まれた子供は一生お金に不自由しないという話題を
NHKのニュースでも扱っていました。
「それじゃあ」というのは半分冗談ですが、
結婚して15年、
ここらで生活を変えてみようかと思いました。
たとえ変わらなくても、
変えてみようと試みた軌跡も大事なものになるだろうと。
1ヵ月
<第3週>
この週のはじめ頃、夜、
左っ腹が針で突つかれているようにチクチク。
勝手に、受精卵が左の卵管を通っていると決めつける。
週末はプロ野球のオープン戦を観にナゴヤドームへ。
その朝、胸の張りを感じ、期待はますます膨らむ。
でもそれはいつも「想像」で終わり、次の週にはがっくりくるのだけれど。
妊娠後の身体の変化を、
悪阻(つわり)より先に胸の変化で感じる人もあるそうです。
おっぱいは妊娠初期に一旦大きくなり、
お産が近付くころにまた更に大きくなるそうです。
お腹が大きくなると妊娠線が出るのではと心配されますが、
胸も急激に大きくなると線が出る場合があるようです。
ピチピチ20代前半の友達は妊娠線が胸に出てしまったようですが、
私は30も過ぎ、脂肪が減ったスペース(?)があるので
大きくなっても大丈夫でした。
2ヵ月
<第4週>
生理予定日。
普段は1、2日のズレくらいで正確に来るのに、一週間経っても来なかった。
「来ないで来ないで」と願っているからか、それとも、もしや本当に。
週末は名古屋へ。
その朝、軽く吐気を感じて起きる。
そして一日中身体が熱い。
淡い期待は確信に変わる。
<第5週>
生理予定日から一週間後。
以前に友達からもらった妊娠検査薬で調べる。陽性!
早速病院で診てもらおうと、ウチから一番近い産婦人科のHPを見て下調べ。
そこは設備や環境などそれはもう新しくて素敵で素敵で。
エステもあるし入院中に夫婦二人きりでディナーも食べられるという。
・・・私は食べたいかな?
そんな問いが自分の中で生じました。
食いしん坊な私だけれど、
産後に夫と二人でナイフ&フォークで食事してグラスをチ〜ン!としたいかな?
答えは、グレイ(NOじゃないのかよ)
頑張ったご褒美に、というイベントなんだと思うけれど、
私には合わない気がしました。
じゃあ、自分に合うお産ってなんだ??
それからネットで、ウチから2番目に近い産婦人科のHPを見ました。
「セクシュアルでスピリチュアルなお産をしましょう」(当時のHPより)
なにこれ!?面白い!
なにより、初めから医療ありきではなく、
まずは女性の生む力を最大限に引き出し、
それをバックで医療が支えるという理念が気に入りました。
さっそく電話して診察の予約をする。
行ってみて、すっごくいい選択をしたなと思う。
白衣を来た人が一人も居らず、とってもリラックス出来る。
待合室の本棚には一般的な妊娠雑誌が一冊もない。
「天然生活」「リンカラン」「きょうの料理」「オレンジページ」etc.
そして粗食やお産などの書籍が並ぶ。
通い出してから知るのですが、
北は北海道から南は沖縄まで、いや海外からも、
とにかく全国各地から「自然分娩」をしたい妊婦さんが集まる医院でした。
噂に聞く名物先生は、藍色の作務衣を着てて陶芸家みたい。
診察室に入り、挨拶して、緊張気味に椅子に座ると内線が鳴る。
「○○さんのお産が始まりました」
診察室の外へ出され、先生が戻るのを待つ。
15分ほどで先生が戻る。
超音波映像で胎嚢が映っているのを見る。まだまだちっちゃい!
「おめでとうございます」と先生。
「なんとなく居ますね」と私。
「妊娠になんとなくはないですよ。確実に、居ます」
そそそ、そうですよね。
確実に。
小さくても生命は始まっているんですよね。
職場を抜け出していたので仕事に戻り、残りの仕事をする。
その夜、自分の両親と大阪の両親に報告。
そして検査薬をくれた友人にも。
<第6週>
いよいよ学校が春休みで、教科書の仕事が激しくなる。
私も学校へ借り出されるようになる。
つわりが徐々に辛くなっていたので、
自分が運転するクルマにバイトの子を同乗させたり、
大金をクルマで運ぶのはかなりキンチョーした。
職場の上司に報告しておこうか悩む。
でも毎日が忙しくて、みんなパニック状態。
もともと私は重度の花粉症なのでヘロヘロしてても気づかれないから、
もう少し週を重ねてから報告することにする。
うっすらと出血。
先週までフラメンコに通っていたけれど、
ついに今週は休んでしまった。
それまで続けていたスポーツジム通いもやめることに。
(のちに聞いたタップダンスをしている妊婦さんの話では、
ココの先生は妊娠中もダンスや運動を続けてよいと言われるそうです)
そして、
<第7週>
はじめてトイレに駆け込んで吐く。
かなりつわりが重くなってきた。
お腹もよく下るようになる
ものの本を見たら、つわりは7〜9週がピークと書かれている。
来週はもっと重くなるかも。。。と気落ちする。
この頃からお弁当が作れなくなり、夜ご飯も作れなくなる。
ウチの小西さんが台所に立つようになる。
お茶も受けつけなくなった私に、リンゴ酢のお湯割りを作ってくれた。
これはガンガンいけた。
職場にも持っていって、仕事中コソッと飲んだ。
ついに新学期が始まる。まだまだ職場は落ち着かない。
ここ一ヶ月、休みは週に1回くらいで、退社時間もいつもより遅い。
辛い時期に、一番仕事してる。
逆に気が紛れていいや、とポジティブシンキング。
3ヵ月
<第8週>
3ヵ月に入りました。
ものの本の通り、今週もキツいです!
はげしく吐く日も。
それでも学校での教科書販売は毎日のようにある。
自分のクルマで学校へ行く分にはいいのだけれど、
ヒトの運転が耐えられなくなってきた。
販売に同行する子にだけは話しておこう、と話したら、
「おめでとう!」ととっても喜んでくれ、
他の子たちが来ても喜び続けてくれたから、
もうみんなに打ち明けることになった。
もし何かがあったとき、休まなくちゃいけないし。
「9月まで頑張ります」
と、9月末退職宣言。
週末は2回目の通院。
1回目は平日だったけれど、
今回は土曜日だったのでウチの小西さんも一緒に行く。
超音波で大きくなった胎嚢を見る。
その後は可能な限り、私一人ではなく二人で通いました。
自分がどんなお産をするのか知ってもらう機会になりました。
他の病院はどうなのかわかりませんが、
私が通っていた医院では、夫婦や家族で受診する方が多く、
受診時間も一組一組長く取ってくれます。
先生、熱弁家だし。
二人で「お産塾」に通っている気分でした。
お産を通して、生き方を説いてもらってたような。
<第9週>
ものの本によると、つわりのピークは7週〜9週。
今週が終われば楽になる!と信じて(裏切られたけれど)がんばる。
初期のころはビタミンやカルシウムなど、
いろんな栄養がお腹に取られるそうですが、
気づけば顔がシミシミ。
昔の治った傷とかも黒く浮き出てきた。
よくツバを吐くからか、口の端も黒ずんできた。
二週間後は友達の結婚式。
こんな体調&顔で大丈夫かしら。。。
平日に仕事を抜け出して検診に行く。
そして感動!!!
ちゃんと人間のカタチをしてる。
脚をものすごく動かして、水中をぐるんぐるん回ってる。
泳いでいるような、ブレイクダンスしているような。
先生にも「まれに見る元気な赤ちゃんです」と言われる。
<第10週>
歯がズキズキ。。。
仕事の帰り、クルマの中で吐く。
この週の後半から一日おきに吐くようになる。
<第11週>
友達の結婚式。
前日は吐いてグロッキーだったけれど、
式当日は気が張ってたためか、体調が持つ。
お顔のシミは、コンシーラーで。
式場まではペタ靴で行き、式場でヒールに履き替えました。
新婦さんにお腹を触ってもらう。
「まだわかんないと思うけど♪」
「あ、出てる!出てる!」
それは、違う意味で出ているのでは。
披露宴のお食事も美味しくいただけました。
4ヵ月
<第12週>
4ヵ月に入り、
そろそろラクになってきた。。。気がする。
少しずつ、お弁当とか夕食とかのためにお台所に立つようになる。
そしてついに母子手帳をもらいに行く。
「今年の4月から父子手帳も出るようになりました」と保健所のヒト。
え、今までって。。。
週末、ふたりで病院へ。胎児はまたまた大きくなってきている。
前の検診ではのびのびと伸ばしていた脚を折り、胎嚢の中で狭そうにしてる。
うさぎ飛びのようにピョンと跳ねては胎嚢にアタマをぶつけてる。
帰ってから出た二人の感想は同じでした。
「ひょうたんつぎみたい」
<第13週>
つわりがラクになってきた、と思った矢先に吐いた。
油断は禁物。
妊娠後仕事を休まず頑張ってきたけれど、ついに休んでしまった。
<第14週>
体温が37℃以上の日々が多かったけれど、
36.90℃前後になってきた。
寝室へ行ってもただぐったり休むだけでしたが、
週末は寝室でCDを聞いたり、ゆっくり過ごすゆとりが出てきた。
<第15週>
徐々につわりがラクになってきた、と思った矢先におフロで吐いた。
ホント油断大敵です。
5ヵ月
<第16週>
5ヶ月に入りました。
戌の日って何!?腹帯って何!?
なんだかいろいろ用意しなくちゃいけなくなってきた。
内臓がウゴウゴする気がしてきた。これが胎動?
左の足の裏が痛い。
あまり履いてなかったスニーカーを履いたせいか、
それとも体重が増えたせいか。
測ってみたら、2.9kg増えてた。増え過ぎでは!?
先生にも「子宮口が硬いから、もっと運動を」と言われる。
毎日よく歩いてスクワットをしなさいと。
スクワット、
先生が提唱する回数は一日に30回だと思っていましたが
のちに一日に300回だと知りました。
散歩も一日2、3時間しなさいと。
そんなの、お芝居してたときでもしてないよぉ〜っ。
<第17週>
食事も制限するように言われる。
粗食に徹し、牛乳・玉子・肉・糖分(果物もダメ)を控えるように。
なのに温泉旅行をし、食うわ食うわ。
でもいっぱい歩くことで解消を試みる。
普段は気をつけてきたせいか体重はおさえられ、
5ヵ月だけれどベビー用品店の店員さんに「2、3ヵ月ですか?」と聞かれた。
<第18週>
ついに「たまごクラブ」を買ってしまった。
わからないことだらけなので。
でも本は情報が多過ぎてかえって不安になることも。
<第19週>
バス停を一つ二つ先から乗るとか、
通勤を利用して徐々に歩く距離を伸ばす。
6ヵ月
<第20週>
前期の母親学級に出る。
この医院の場合「母親学級」ではなく「両親学級」と呼ぶ。
妊婦さんだけでなく、その旦那さんも結構出席する。
そして3、4時間もかけて一人一人の話にみんなが耳を傾けてくれる。
妊婦とその家族だけでなく、全国の助産師さんや医師が研修で来たりする。
私が参加した日は、どこかの党の少子化対策の議員さんも来ていました。
この学級で、スクワット一日30回ではなく300回必要と知る。
自分が全然運動量が足りないことを思い知らされる。
運動をすることで産道も子宮口も柔らかくなり、
お腹の赤ちゃんも揺り動かされることで生命力がつき、
自然分娩に耐え得る体力がつくそうです。
要は、昔(江戸後期ごろ)の女性のような暮らしが理想とか。
薪割りや雑巾がけなどの家事をしっかりし、
和食の粗食を少しだけいただく。食べ過ぎないこと。
あとはのんびり構えるだけ。
現代は便利だし運動する機会も奪われがち、
情報も多すぎて過剰に不安になりやすいし。
この医院は、出産を「病院がしてくれる」ところではなく、
自然分娩に向けての意識改革と身体改革を「妊婦やその家族にさせる」ところ。
そういうのが好きな人たちが全国から集まる医院なのだなと実感。
<第21週>
7月に入りたてのころ、
日中持ち歩いていたおにぎりを夜に食べ食中毒を起こす。
吐くわ下るわ、上から下から大騒ぎ。
自分の不注意で身体を壊すなんてとひどく落ち込む。
胎動もほとんど感じられない。
心配になって調べたけれど、
母体が食中毒になっても、赤ちゃんには回らないようです。
同じ身体にいるのに私だけが苦しいなんて、
でも良かった。
病院に行っても点滴ぐらいの処方らしいので、
家で嵐が過ぎるのを待ちました。
<第22週>
ウチから新しくできたシネコンまで歩いてみる。
片道約40分。
この頃、ウチの小西さんは腰痛で整形外科通いが始まる。
これは産後まで続きました。
産後、
頼りにしたかったはずの人が、
平日はずっと東京で仕事で、週末は腰痛で半日病院、
という生活は正直かなり堪えました。
妊婦はもちろんだけれど、
それを支える家族も、出産前までに体調を整えておくことは大事ですね。
<第23週>
足がつり、むくみも出始める。
お腹が大きくなってきたせいもあるけれど、
冷房で身体を冷やしてしまっているからかな。
7ヵ月
<第24週>
浮腫がさらにひどくなる。
足の甲からつま先までむくむ。
足首は糸を巻いたハムのよう。
検診でも体重増加をチェックされ、
「あなたは難産間違いなし」の太鼓判を押されてしまう。
胎児も標準より大きいらしく、しかも逆子。
これは大変そう。
年齢のことは言われない先生だけれど、35歳の初産だし。
運動を本格的にして、安産を目指さなければ。
<第25週>
初めてマタニティ向けのヨガ教室へ。
浮腫にもいいけれど、逆子も治るといいな。
<第26週>
お盆の長期連休を使って、夫婦で歩く歩く。
公園、水族館、アウトレットなどなど、
楽しいことをプラスして歩く歩く。
そして岡崎市が行っているマタニティ教室へ夫婦で参加。
男性は、お腹に8キロのおもりがついた妊婦スーツを着て妊婦体験が出来ます。
ウチの小西さんにも着てもらいましたが、腰痛が悪化しました。
<第27週>
ぐん!とお腹が大きくなったと感じる。
私と同じ11月が出産予定の高校の先生が本屋に来店される。
そろそろ産休に入られるとか。
お会いしたのはこのときが初めて。
(でも出産後はよく会うことに♪)
予定が私と2週違いでしたが、
私が約2週早く産み、先生はほぼ予定日通りに産んだので、
出産が同じ日になりました。
8ヵ月
<第28週>
ウチの小西さんの実家へ。
妊娠後、はじめて行く大阪。
次に来るときは三人なんだな〜。
宝塚にある中山寺で安産祈願。
<第29週>
仕事のあとによく寄る松坂屋岡崎店の
デパチカのお姉さんに「赤ちゃんがおるの?」と気づかれる。
退職したらなかなか来られなくなるし、知ってもらえてよかった。
8ヵ月検診。
体重が維持できていたので自信満々で行きましたが、
逆子は治ってないし、
足の浮腫も見破られ運動不足もバレ厳重に注意される。
逆子体操を教えてもらう。
<第30週>
お腹を突き破って出て来るんじゃないかというほどの胎動。
夏の陽射しもやわらいだので、
仕事のあと職場から家まで歩いてみる。
それでも1時間40分。
約10kmくらいの距離だけれど、なかなか2、3時間も散歩できない。
出勤のバス停までの30分とモモの散歩を併せてようやく2時間半か。
でも毎日退社後は職場から家まで歩き、
スクワットを300回していたら、
おしりが変わってきました。
おしりの肉が柔らかくこんもりとしてきました。
<第31週>
後期の両親学級に参加。
ヨガでは、逆子にいい姿勢やお灸のツボを教えてもらう。
日々歩いてスクワットして逆子体操して。
自分で自分に付けたあだ名は「アスリート妊婦」
しかし運動を頑張れば頑張るほど、体が疲れて家事が疎かに。
ここで「まぁそれでもいいや〜」と思えばればいいのですが、
家事が疎かになるとイラッとする日も。
朝はイライラ、夜は泣けるというような、
感情が高ぶってしまう日も出て来ました。
そんな頃、ナンパに合ったのには笑った。
こちらのお腹が出ていることに気付いてない様子。
お腹の大きなお姉さんは好きですか???
「妊婦なんですけど」と変な返しをしたら、さ〜っと消えていきました。
検診で先生に「あなた、相当動きましたね」と言われガッツポーズ。
子宮口も軟化し始めたらしい。やっぱりやれば効果が現れるのね。
8ヵ月の血液検査で間接クームスってのに引っかかり、
赤ちゃんは生まれたあと、黄疸が出るかもしれないと言われる。
気にしなくていいとも言われたけれど、やはり心配になる。
9ヵ月
<第32週>
職場の本屋の棚卸し。
これを最後に引退。
いつも通勤で歩いていたけれど、
退職後は何を目標に歩こうか???
<第33週>
私が通う医院での出産は、基本的に畳の和室で行います!
けれど逆子の場合は、分娩台だとか。
ハイリスクなので分娩費も余計にかかるし。
やはり直せるものなら直るといいなぁ。
検診、前回誉められた分今回は緊張したけれど、
まだ軟化した状態が続いていたので注意されなかった。
「あなたの体型は安産できる」と言ってもらえました。
とにかく安産のためには、
よく運動すること、そしてビクビクしないこと。
<第34週>
たった二日で2キロ増えた。
なぜ!!??
体重計が壊れたのかと思いました。
そしてついに、薪割りデビューをしました。
私が通う産院の裏には、
昭和初期の民家が移築されていて、そこで薪割りなどができます。
普通の薪の割り方ではなく、
スクワットのようにズシーンと腰を沈めるやり方です。
その他、床や壁を磨いたりなど、
かかとを上げずズシンと腰を沈めるスクワットの姿勢で、
とにかく股を柔かくする運動ができます。
何より、妊婦同士で情報交換できるしストレス発散にもなります。
お昼には釜で炊いたごはんと汁物とおかず2品が食べられます。
お喋りしながら運動もできて、美味しいごはんも食べられて。
ちょっとした合宿気分です。
<第35週>
私が仕事を辞め落ち着いたということで、
大阪からお父さんお母さんがやって来ました。
赤ちゃんを迎える準備が出来ているかチェックし安心してくれた様子。
2泊目は伊良湖へ行くというので、一緒について行く。
夕食も朝食もバイキング。ちょっと飽食。
そのあとも、友人とパスタランチ。
そしてまた違う友人と、洋食ランチ。
仕事を辞めてからというもの、確実に食べ過ぎ、遊び過ぎ。
10ヵ月
<第36週>
検診、見事に先生に運動不足を見抜かれ厳重に注意される。
10ヵ月のばい菌検査で膣内をえぐられ気分を害し、すっかりブルー。
運動をガンガンしなくてはいけないのに実家の母は何かと
「安静に、無理しないで」と言うし。
心配してくれているのだろうけれどイライラが募り反発する。
妊娠末期になって、ますます感情が高ぶる。
落ち着いてから、母に謝罪の電話。
「また以前のように歩いて、やることやれば大丈夫」
ウチの小西さんにも宥められたり励まされたり。
でもこの週から東京への長期出張が始まり、平日ずっと居なくなる。
とにかくやれることをやろう。
ヨガに通い、
薪割りに通い、
逆子が直った方に教えてもらった鍼灸院にも行ってみました。
ここでまた、おばさん先生からいい話をいっぱい聞けました。
赤ちゃんはよく知っていると。
自分がどう生まれたいかわかっていると。
頭が下になるのは神様が決めた一番安全なお産だけれど、
一度も下にならないのならよっぽどその位置が気に入っているんだと。
あとは、私がお産をイメージすること。
なるべく明確にイメージする。
スポーツと一緒だと。
スポーツ以外でも、
何かを成し遂げようとする人に言えること。
それをやり遂げる自分をイメージすること。
それが成功の秘訣だと。
自分は演劇をやっていたので、舞台と一緒だなと感じる。
結局逆子は直らなかったけれど、得たものは多かったです。
<第37週>
ついに、もういつ生まれてもいい「正期産」と呼ばれる
37週に入ってしまいました。
もうガンガンに歩く。
家からベビーザらスまで歩いたり、
元の職場まで歩いたり。
イオンまで歩いて、
そこからまた歩いて上地八幡宮に戻りお祭りの和太鼓を聞いたり。
鍼灸院では、
腎機能が弱いようだからと、
水の流れをよくするツボに鍼をサービスで打ってくれました。
これはものすごく利きました。
そして、そろそろお産をイメージしようと、
それまで買っていた妊娠雑誌を整理。
雑誌を裂いて、お産に関するページだけを残しファイルする。
これが結構、腹筋を使いました。
<第38週>
「破水」したのはこの週の第一日目。
その日はJAZZフェスを行っている康生へ散歩。
松坂屋の北海道大物産展もグルグル。
その夜、撮り溜めていた海外ドラマを観ていたら
お腹から「プクッ」という音。
そのあと水が。
破水から始まった!
<入院>
破水の場合は、即入院。
初産だし、子宮口が硬いので
出産は予定日を過ぎると思っていたのに。
まったく心の準備ができていなかったけれど、
医院に連絡し、入院。
(入院準備は8ヵ月の頃からしてありました)
診察。
子宮口の開きはまだ指一本分。
破水から3時間後、本格的な傷みが。
これからお産が始まるの?
お産のイメージ、まだ出来てないよ。
整理したファイルを開く。
けれど、もう中身が頭に入ってこない。
「バカになれ!」
くらいしか入ってこない。
遠くから、出産中の妊婦さんの雄叫びが。
「・・・マジ?」と思う。
テレビなんかで見る出産とは全然違う。
これは放送できないでしょう。
他の病院では、
破水させたり陣痛促進剤を使ったりするので、
妊婦さんがあまりマックスな状態になる前に出産が終わるのかな。
この医院はあくまで自然分娩重視なのでこうなのかな。
<入院一日目>
赤ちゃんの心音を調べる。
思えば、ノンストレステスト、まだ受けたことなかったな。
朝食。
診察。
子宮口の開きは指2本。
赤ちゃん、位置降下。
陣痛は弱まっている。
院の外に出て散歩。
水が出ちゃうと赤ちゃんが苦しいのではと心配に。
助産婦さんに、出てもまた作られるから大丈夫と言われる。
診察してくれたのは、いつもの厳しい院長ではなく、
たまに検診してくれてた代理の優しい先生。
院長は講演で地方に行っているため不在。
このまま、優しい代理先生で出産もいいな。
昼食。
心音チェック。赤ちゃん降下。
湯たんぽで体を温める。
昨夜、あまり寝られなかったので仮眠。
15時ごろまた散歩。
夜、再び陣痛が強まる。
<入院二日目>
診察。
子宮口は7cmの開き。
散歩。
途中、立ち止まっては陣痛をやり過ごす。
11時ごろ、
そろそろお産に入ると言われウチの小西さんに連絡。
昼食、食べられない。
残そうとしたら助産婦さんに
「体力が要るので、ご主人、食べさせてあげて」と言われる。
午後、地方講演から帰ってきた院長が部屋に顔を出す。
ねぎらいの言葉をかけてもらって先生は母親学級へ。
重くなる陣痛。
ウチの小西さんに肩や背中をマッサージしてもらいながら、
陣痛が5分間隔になるのを待つ。
痛みの波が来ているときと来ていないときとでは、
マッサージの仕方を変えてほしいのだけれど、
何度やっても「違う!違う!今はこう!」と、
ウチの小西さんは私に怒られる。
私は私で必死、
ウチの小西さんは小西さんで必死。
15時半ごろ、分娩室へ。
また陣痛が弱まる。
冷たいものを飲んだりしてお腹を刺激する。
入院初日に聞いたあの雄叫びのせいもあり、
ウチの小西さんに何度も分娩室から出て行くようにお願いする。
17時半ごろ、母親学級を終えた院長が一度顔を出す。
19時半ごろから本格的にお産に入る。
結局、ウチの小西さんには私の傍らにいてもらう。
母親学級に参加しに来た他病院の助産師さん3人を
見学させてもいいかと聞かれる。
もう何も考えられないので、なんでもいいさという感じで承諾する。
普通は帝王切開する逆子のお産、
それを下から出しましょうってんだから見物ですよ。
何時頃だったか、
「おしりですよ」と触らせてもらった。
自分のおしりに、小さなつるんとしたおしりが。
それが一番最初に赤ちゃんに触れた瞬間でした。
呼吸を止めてはいけないとわかっていても、
いきむときについ止めてしまい何度も注意される。
限界まで頑張っているのに、
先生にもっと!まだまだ!と言われる。
そのあとは何がなんだかわからなくなる。
入院中にそのあとのことを院長から聞く機会を得るけれど。(書くのはまたの機会に)
そしてバシャーッ!と魚を水揚げしたかのような音がする。
出たんだーと放心。
でも先生たちはまだ慌てている。
酸素、酸素。
赤ちゃんに呼吸を促す。
点滴、点滴。
私に予め刺しておいた針は役に立たず、
血管の細い私に点滴を打つのに一苦労。
しばらくしたら産声が。
やっぱりこれを聞いて、終わったんだーと心から思えました。
そして、赤ちゃんを私の胸に乗せてもらいました。
両手を広げ、脚を広げ、泣きながら運ばれてくる光景は、
今でも目に焼き付いています。
しばらくはウチの小西さんと余韻に浸り、
落ち着いてから赤ちゃんを持ち上げ女の子であることを確認する。
・・・
・・・
・・・
(小休止)またお時間のあるときに。
それでは、二人目の出産に向けて頑張ります〜
今回も逆子です〜
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