06.5.5 旅人気分で旧中山道 細久手宿〜石畳の琵琶峠〜大湫宿

 世はゴールデンウィーク。そして今回の連休は毎日天気がいい。となると観光地はどこも人であふれかえるのは当然。
 昨日の犬山市のリトルワールドも駐車場にたどり着けないくらいの渋滞だったし、行き先を変更して向かった道の駅『おばあちゃん市・山岡』も駐車場に入るのに待った。

 そして今日、ツーリングの途中で休憩しようと思っていた道の駅『志野・織部』(写真)でも駐車待ちの車が道路に並んでいた。どうやらすぐ近くで『美濃焼市』とかが催されていたようで、なんともタイミングの悪いときに来てしまったものだとちょっとうんざりした。
 バイクでも入りづらいくらいの混みようだったのであきらめて通過。その先にあったドライブインで休憩。その名も『旅の駅 鬼岩』。道の駅のパクリだね。
 ここは近くの鬼岩公園などへの観光客目的のドライブイン。鬼岩公園はスリル満点の岩穴くぐりで有名なところ。一度事故があって閉鎖されたかと思ってたけど、また復活したのかな?
 R21沿いの鬼岩公園から北上してすぐ、県道65号線へ右折する交差点がある。信号はないがわかりやすい交差点だった。なにせ目印になりそうなものが他に何もないからだ。
 県道65号線へ入ると、まわりは田植えの時期を迎え水が張られた田んぼがありのどかな農村風景が広がる。その先は津橋川という川沿いのさわやかな道だった。新緑が眩しい山あいにサンパーの排気音がパコパコと響き渡る。

 道がいいせいか、そこそこの対向車がやってくる。景色などよそ見をしながら走ると危ない事になりそうだった。
 …と、途中にオレンジののぼりが並んでいた。『中山道ハム直売所』見にくいけど中央の看板にはドイツ仕込と書いてある。ベーコンやサラミなど肉の加工品も好きなうちの奥さんへのお土産にいいなぁ。
 県道65号線から右折した先(写真右へ行く道)にあるようだが、クーラーボックスなど持ってきているはずもなく、今日のいい天気の中を持ち歩くのはちょっと心配。

 今度車で来ることがあったら寄ってみよう。オレンジ色ののぼりがたくさん並んでいるので絶対わかるはず。
 トコトコ進んで峠らしき盛り上がりを越えると視界が開けた。
 旧中山道の看板もでてきて細久手宿が近いことを知る。

 旧中山道は恵那市から大湫宿、細久手宿を通り御嵩宿へ抜ける約35kmの道。十三峠、琵琶峠、諸の木坂峠など大小の峠を越え、丘陵をたどる道は街道の風情をよく伝えている。
 今日は反対からのアクセスだが、そのうちの琵琶峠をたずねることにしてやってきたのだ。
 『←細久手宿』という看板が親切にありそうだと思いきや、写真の交差点はうっかり間違えそうだった。
 写真左手の奥から来ることになるのだが、あやうくそのまま直進して写真の手前に進みそうになる。細久手宿に行くには写真の右手奥のほうへ進まなくてはならない。

 この日この辺りの道路には走り屋の車がたくさんいた。なぜかというと、この先には『瑞浪モーターランド』があり、エボ・シビック・シルビア・インプレッサなどがぞくぞくとやってくるのだ。
 静かな田舎で、遠くに聞こえるエグゾースト音とスキール音。地元の人はどう思っているのだろう。。
 そうこうしているうちにどうやら細久手宿に着いたようだ。

 ここは『大黒屋』。もとは細久手宿の脇本陣だったという家で、今でも旅館として営業している。こんなところに泊まったらどんな気分になれるのだろう。夕暮れも朝もやも一味違って見えるだろうなぁ。
 うだつの上がった立派な建物は150年前のものそのままで、入り口の風景は時代を感じさせる。

 細久手宿には他に庚申堂(こうしんどう)と呼ばれる美濃瑞浪三十三霊場のうちのひとつのお堂がある。ここからは宿場は一望できると案内板に書かれていたが、いまは樹木が生い茂ったり家が増えたりしてそれもかなわない。
 細久手宿はその他の建物は残念ながら見つけられなかった。妻籠・馬籠や奈良井宿のような大規模に宿場町として保存しているところはなかなかないのだろう。

 さらに旧中山道を進むと道の両側にこんもりとした山を見つけることができる。『奥之田一里塚』である。
 直径10m、高さ4mほどの大きなもの。一里塚って、もっと小さく土を盛り上げて標識を一本立ててあるだけのものだと思っていたが、結構デカイものなのね。
 ここ瑞浪には一里塚はこの他に3つあって、連続した4つの一里塚が現存しているのは大変まれなのだそうだ。

 しかしうるさい!すぐ近くにモーターランドがあるようで絶えず車の騒音が鳴り響いていた。
 一里塚の次は『弁財天の池』。山の上にありながら常に水がたたえられている不思議な池だそうだ。そういえば流れ込む川などなさそうに見える。

 池を覗き込むとメダカやトノサマガエルがたくさんいた。杜若も自生しており、ここには昔の自然がまだ残されている。
 途中ですが、奥美濃古地鶏養鶏孵化場発見!。奥美濃カレーの鶏はここのかも?
 林間の道路を抜け、民家が見えたと思ったらそこに目的の『琵琶峠 西上り口』があった。
 ここもうっかりすると見逃しそうなくらい風景になじんだ石の標識(?)があるだけで、この時も急ブレーキで止まってしまった。ライスク行っててよかったぁ。

 ここの標識がまたいい感じで、庭先にこんなところがある地元の人がちょっとうらやましかった。
 でバイクを置いて上りました。目指すは江戸時代の石畳!
 5分くらい上ると石畳が現れた。
 緩やかな登り道のその先は、木漏れ日が降り注ぐ森へと続いている。
 当時の人の旅の大変さ・危険さなどを考えながら石畳を上っていく。ちょっと日が傾けばその辺から追いはぎでも出てきそう。。


 ここの石畳は峠を挟んで長さ600mほどあり日本一の長さ(峠道の全長は約1km)。再現された部分もあるが往時のままの石畳もあるそうだ。

 案内板によると、琵琶峠は険しさとともに湿地の多い峠道で、石畳は少しでも歩きやすくするために敷かれたもので、昭和45年に500mほどが発見されたそうだ。
 発見・整備されてから40年近くなり、再現された部分もすっかりなじんで、どこが昔の部分かわからない。

 きれいで広い公衆トイレもありました。
 ひーひー、ふーふー。
 勾配がきつくなったと思ってふと顔をあげるとそこにも一里塚があった。

 『八瀬沢一里塚』とかかれている。
 ああ、さっきの一里塚からもう4km進んだんだね。歩いてちょっと上っただけで疲れたのに4kmずっと歩いてくると本当に大変だったろうなぁ。
 一里塚からもうひと上りすると峠があり、馬頭観音と歌碑があった。

 その向かいには『峠の文学碑・見晴台入り口』があるが、どうしても見晴らしのいい場所が見つからなかった。ガイドブックにも展望のいいところがあると書いてあるのにどこ?
 ガイドブックが95年版だから情報が古いのか?
 峠を過ぎれば後は下り♪
 ほどなくして反対側の入り口が見えてきた。

 結構訪れる人がおり、『こんにちは』と挨拶を交わしてすれ違う。
 反対側の入り口の証拠。『東上り口』の石の標識。
 さ、引き返しましょ。
 ひーひーふーふー。やっと戻ってきました。

 やあ、ちゃんとバイクがあってよかった。 
 再びバイクにまたがり、次は大湫宿(おおくてしゅく)へ向かう。

 しばらく細い道を進んでいくとT字路の向こうの左手に高札場が見えた。
 大湫宿の西の入り口に着いたようだ。

 宿場町の高札場には、村民心得のほかに、道中心得や人馬の賃金などが示されている。
 この高札場もおそらく再現されたものであろうがとても立派なものだ。
 大湫宿の神明神社の大杉は樹齢1200年で、古来の旅人に仰ぎ見られていたことだろう。

 神明神社には訪れた人のために記帳するノートがあったが、僕もしっかり書いてきた。
 5月5日のページに名前を書いてきたよ。

 こじんまりとした境内へは無料で中に入れる。
 境内に入ると大杉に近づける。本当に大きい。

 巨木って何故か人をひきつける。そこには神様が宿ると考えるからだろうか。
 大湫宿には無料休憩所があった。
 白山神社の右隣にある『おもだか屋』と書かれた看板がでている建物がそれ。
 一般の方の家の一部開放しているようで、奥の部屋からは子供の話す声が聞こえてきた。
 ここでは座敷に上がって休憩できた。ガイドブックや昔の宿場町の地図なども売られていた。
 この休憩所の斜め前には五平餅などのいっぷく処とトイレがあり、そちらでも休憩できる。

 白山神社の左隣には脇本陣跡があり、こちらも昔のままの立派な門構え。建物を外からだが見ることができる(一般の人が住んでいる家なので失礼のないように)。
 おもだか屋の先のT字路を右へ行くと十三峠を経由して恵那へと抜けられる旧中仙道が続く。

 ここには大湫宿の石碑があった。恵那方面から十三峠を越えて来た旅人が『やっと着いた』と一息入れるところがこの辺りだったのかもしれない。しだれ桜がこれまたいい感じで咲いていた。
 写真奥が十三峠へと続く道。
 注意書きに『十三峠へはいかなる車両も進入禁止』と書かれていたのでそれにしたがって入らず。バイクなら行けたかもしれないがやめた。

 まだ時間があったのでこの先の恵那市の『大井宿』にも行ってみればよかった。

 今日はこの辺にして、ここから少し引き返してR19へ出て帰路に着いた。
 帰り道に熱田にある『七里の渡し』跡に立ち寄った。
 『宮の渡し』とも呼ばれ、東海道五十三次の41番目の宿場町。ここから桑名まで、海上約七里を渡し舟で行っていたなんて。今では埋立地ばかりで、地図を見てもまるでその面影もなくなってしまったが。
 今は復元された常夜灯(写真)と大きな『時の鐘』が静かにたたずんでいる。
 この船着場からは熱田神宮は目と鼻の先で、そこにあった昔の風景画にも渡しの常夜灯と熱田神宮の鳥居のようなものがかかれていた。

 この渡し跡地の道路を挟んだ向こう側には古い建物が2軒ある。
 そのうちのひとつの『熱田荘』は明治29年に料亭として建てられたものであり、今でも現役の宿でうちの会社の出張者用の指定宿泊先のひとつでもある。
 熱田荘の東側2、3軒となりにも『丹羽家住宅』がある。こちらは幕末(1840年頃だろうか)のころからあった脇本陣格の旅籠屋。どちらも往時の宿場の雰囲気を残す貴重な建物だ。

ツーレポ(春)へ戻る  →トップページへ戻る