小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2013/05/05

島原〜有田〜唐津 2013年4月

  1日目 >2日目

この年度末と年度初めがそこそこに忙しかったこともあって、多少消耗したように感じていました。日ごろ、己の無意識を封じて経済活動を行い、日銭を稼ぐことに疲れてきたのでしょう。
自分自身を解放する旅を無性にしたくなっていました。あまりきちんと計画を立てなくとも、いい加減な私でも、どっしりと受け止めてくれる、鷹揚な大地へと。

1日目 自宅→ 島原

前日はやや季節はずれの北風が吹きつけ、この日の朝は冷えこみました。
出発は6:30、気温8℃。交通量が極端に少ない幹線道路を最寄り駅に向かいます。前日の強い風が収まったのはありがたいのですが、冷気が少々こたえてきます。長指のグローブを持ってくるべきだったかと悩んでいるうちに駅に着きました。
輪行作業に約30分ほど。今回新調した妻の自転車にもう少し手こずるかと覚悟していましたが、ほとんどの作業を独力でこなしていたので助かりました。事前に一度輪行の練習をしておいたのが良かったようです。

帰省に行楽にと、乗客でごった返す名古屋駅で新幹線に乗り換えて一路西へ。ごみごみした都会は苦手です。早く田舎へ行きたい。新大阪で鹿児島行きの九州新幹線「さくら」へ乗り換えると、車内に薩摩焼酎の広告が掲示されていて気分が盛り上がりました。


九州新幹線に乗車


薩摩焼酎の広告

新大阪を出たときには満席だった車内も、広島を過ぎると連休とは思えないほど閑散となってしまいました。残っていた少数の乗客も小倉で下車、半ば貸切状態の列車に揺られて九州を横断していきます。

新大阪から3時間少々で熊本駅に到着。さっそく自転車を組み立てます。気温が高い。半袖でいいくらい。30分少々で作業が終了し、いよいよ熊本の街へとこぎ出しました。駅の西側は中心部から外れているせいか、わりと閑散としています。

熊本港へ向けて西へ。体いっぱいに西風を浴びながら、淡々と走るうちに、右手に金峰山が見えてきました。「遠くへ行きたい」をロずさむと、旅気分が盛り上がってきます。
比較的高速の熊本フェリーの出航時刻に間に合ったはずでしたが、既に多くの四輪車が積み込み済で乗船できず、次の、速度の遅い九商フェリーに乗るほかありませんでした。まあ、いいのさ。焦ることはありません。


熊本駅で自転車を組み立て


熊本港フェリー乗り場

フェリーは15時過ぎに熊本港を出航。熊本滞在時間はわずか2時間でした。もったいない気もしますが、なあに縁があれば、いつかまた来ることもあるでしょう。


雲仙は目前


島原へ上陸します



島原城


商店街



落ち着いた雰囲気がいいです


鯉の泳ぐまち

1時間ほどで島原外港に接岸、あまり時間の無い中、島原城まで走り、そこから万町商店街をゆっくりと散策、味のある、落ちついた通りを楽しみつつ、水路に遊ぶ鯉や、ねはん像に寄り道し、素朴な民宿に投宿しました。本日の走行距離:約20km。


この日はここに宿泊


心づくしの夕食

大将の話では、以前は博多や長崎の観光客が島原で1泊し、鹿児島方面へと向かっていたが、今では皆通り過ぎてしまい、観光業は厳しくなっているそうです。リーマンショックの後、不況のあおりで1年間宿泊客がゼロのときもあり、島原でも大きなホテルや老舗の旅館が次々に潰れていったそうな。厳しいですねえ...

夕食は民宿ならではの、豪華さは無いけれど温かい料理。カレイもチキンカツもウマイけど、郷土料理の具雑煮は体が暖まり、力が出る気がしました。

夕食のとき、上海から来たという中国人の若いカップ儿と一緒になりました。上海といえば大都会のはずですが、おニ人とも素朴な人柄で、ものすごく好印象。TVやネットで目にする激しい言動の人たちとはまるで違う。
日本語がほとんどわからないという二人、ごく簡単な片言の中国語を交え、主に英語で話しました。こういうとき、英語に頼らざるを得ませんね。佐賀空港から日本に入り、今日は雲仙普賢岳に登山してきたとのこと。
話しているうちに、忘れていた中国語も少しずつ思い出し、楽しいひとときとなったのでした。でも、私の話す中国語は台湾仕込みで民南語という方言が相当入っているため、標準語である北京語と多少違って通じないことも少なくありません。

私たち日本人は、外国人に出会って少し打ち解けるとなぜか日本語を教えようとする傾向があります。決して悪気はなく、親切心であることがほとんどですけれど、そうした行為は相手にとってかえって不快であることも少なくありません。
日本人が外国へ出かけたとき、一般的には有名観光地を回って買い物をして、適度なサービスを受けられればいいケースが多いと思います。その国の言葉なんて嫌でも目や耳から入ってくるのに、手取り足取り教えてもらっても、そう簡単に頭に入りません。そうしたとき、現地の人が商売とは無関係に、ほんの少しでいいから母国語を話してくれるとほっとするものなのです。なので、今回はできる範囲で、片言でいいから中国語を話し、日本語をほとんど使いませんでした。

日本語の勉強を始めたという、女性のほう。自筆の会話集を持参し、「ゴチソウサマデシタ」とたどたどしく宿の大将に挨拶する姿が何とも微笑ましい。自分が海外を旅したときも同じように会話集を自前で用意し、その都度見ながら話そうとしていたなあ、そう思い返して何だか胸が熱くなるのでした。

もっと中国語を話せたら。こんなことなら家にあった古い会話集を持ってくるんだった。こんなことなら録画してあったNHKの番組「世界ふれあい街歩き」で以前紹介されていた中国の水辺の場所をメモしておくんだった。いつか行きたいと思っていたのに、地名を忘れていてどこだか思い出せない。
でもいいのです。これが旅なのです。このもどかしさ、不完全燃焼感。だから帰宅するとまた旅に出たくなるのでしょう。
それに、あまりにも互いを深く知ろうとしなくたっていいではありませんか。完全に理解し合えなくともいいではありませんか。頭で情報共有できていなくとも、心や気持ちが通じているのですから。もうそれで十分ではないですか。

やはり行こう。しばらく海外は行かなくてもいいやと思っていましたが、これも何かの縁なのでしょう。いつかはまだわからないけれど、中国へ。それも都会ではなく、素朴な風情溢れる地方へ。行ってみなければ出会えないものがたくさんあるはずだ。
そんなことを考えながら、眠りについたのでありました。