小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2012/12/02

安芸灘とびしま〜しまなみ海道+α 2012年10月

  1日目 >2日目

浮き世に身を置いて日々生活していると、私の場合、どうも娑婆の臭気にやられてしまうというか、徐々にバランスを崩していくようなところがあり、何となく息苦しく感じることが多くなります。人間、時には日常を離れることだって必要です。命の洗濯というやつでしょうか。
今年も勤務先に無茶を言って仕事を休み、行ってきました。瀬戸内海の島々に。わくわくしながら、きちんと計画を立てて行くような旅ではありません。何度も行ったところです。大ざっぱに、ええい、と飛び込んでしまいましょう。そうした鷹揚さを受け入れてくれる寛容さがあるのですから。

1日目 自宅→ 大崎下島(安芸灘とびしま海道)

前日に降り続いた雨は、明け方に止んだようです。
荷物をくくり出発。平日の朝、多少遅めだったせいか、通勤ラッシュは免れたものの、通学の時間帯に被ったようで、高校生の自転車が多く、男子はもちろん、女子高生にも抜かれまくりました。
そうですよね、良識派は時間に余裕を持って通学するのに対し、ズボラ派はギリギリまで寝ていて、学校までダッシュですね。ちなみに私が高校生だったころは、完全に間に合わないタイミングで家を出て、遅刻が日常茶飯事でした。早退とか、フケたりとか... まぁどうでもいいことです。

最寄り駅で輪行作業、名古屋駅で新幹線に乗り換えます。毎度のことながら輪行袋と荷物が重い。妻も折りたたみ自転車が軽いわけではなく、移動だけで消耗したようです。お弁当を買い、車内で簡単な昼食を。食べないと、体が持ちませんからね。
しかし、車内は平日の独特の雰囲気。ビジネスマンが99%で、まるでどこかのオフィスビルであるかのような、窮屈な雰囲気であります。平日の新幹線はそんなものですね。ただ、隣のおじさんが大酒飲み特有の臭いを発散しておりまして...
だらしない雰囲気は微塵も無く、マジメそうで、電話してばかり。酒を飲まないとやってられないのかもしれません。

広島駅でJR呉線 安芸路ライナーへ乗り換え、広島駅を遠ざかると、じきに単線になりました。沿線には小振りな花々が見られ、時折民家の近くを通ると洗濯物が揺れています。瀬戸内海が見えるようになりました。

「わしも自転車好きなんよ」そう話しかけてきたおじさん。御年76歳、呉出身で今は広島市にお住まいだそうで、いつしか戦時中の話になりました。呉の軍港に戦艦「日向」や「伊勢」が並ぶ姿は壮観だったそうです。出撃する「大和」も見たとか。当時おじさんは10歳前後。呉が空襲を受けたとき、おじさんは疎開先から赤々と染まる空を見ていたそうです。故郷でもあり、年端もいかない少年にとっては全世界といってもいいくらいの呉が、人間の手で壊滅させられる、その心境は戦後生まれの私にはとても想像がつきませんでした。


広島でJR呉線へ乗り換え


仁方駅をスタート

広駅で普通 三原行きに乗り換え、次の仁方駅で降りて駅前で自転車を組み立て。時刻は14時。いよいよサイクリング開始です。国道までの道も、国道185号に入ってからも交通量が比較的多い。ペースをつかむように、慎重に走ります。 ほどなく安芸灘大橋への分岐が見えてきました。国道を外れ、安芸灘大橋を渡ります。


安芸灘大橋を渡る


下蒲刈島の集落

下蒲刈島へ降りると、交通量がぐっと減り、穏やかな空気に包まれました。売店でさっそくじゃこ天を買ってエネルギー補給。素朴なおいしさが嬉しい。


上蒲刈島南岸沿い


大浦トンネルへの上り

蒲刈大橋を渡って上蒲刈島へ降りると、行き交う車も希になりました。南側の道を走ると、ところどころにみかんの木が点在するのが見えます。小さなUP-DOWNを繰り返し、原トンネルを過ぎると、大浦トンネルまでしばらく上りが続きます。

途中、大きなカマキリが鎮座しておりました。とてもこの冬は越せないでしょうが、残り少ない時間を精一杯生きてほしいです。
妻が少々バテ気味で休憩。無理もない、数泊分の荷物と、自転車を持って電車の乗り降りを繰り返し、さらにその日に30km以上走ろうというのですから。


カマキリ君、元気でね


痛恨のパンク!

大浦トンネルを抜けて豊島大橋に入ろうというときに、イヤな感触がしました。
気のせいかと思ったのですが、やっぱり違う。リアがグニュグニュと潰れている感触。降りて確認すると、後輪が見事にパンクしておりました。
これまでこうした自転車旅行ではもちろん、ZZR250のオフ会では不運ながらトラブルに遭った参加者の方々を横目に、私自身は運良く免れておりましたが、とうとうハプニングが私の番に巡ってきました。
たった1年しか使ってないタイヤ、しかもトレッドが少し磨耗していたため、前もって前後入れかえたという念の入れようだったのに...
あれこれ考えてもしかたない、トンネル内で何か踏んだのでしょう。(後で確認したら鋭いガラス片が突き刺さってタイヤを貫通していました)
こういうとき、慌てるとかえって手間取るもの。落ち着いて予備のチューブに交換し、さらに次のパンクに備えて穴の空いたチューブを補修して使えるようにしました。作業時間20分少々で済んでよかった。

パンク修理を終え、気分一新。またパンクしないか一抹の不安を抱えつつ、豊島大橋を渡って豊島へ。もう夕刻です。漁村のおばちゃんたちが、互いに言葉を交わしている様子がいかにも地方の光景です。
ゆっくりしたいのですが、そうもいきません。なるべく暗くなる前に宿に着いておきたい。先を急ぎます。キツイ上り坂のアプローチから豊浜大橋を渡り、大崎下島へ。日が傾いてきました。夕刻の海が美しい。


パンク修理後に豊島へ


豊浜大橋より



夕日を浴びて


素朴な料理に舌鼓

目的地の大長港へは17時を回ってから到着。日の入り前に民宿へ着くことができました。この日の走行距離:約35km。

夕食は煮魚やエビに加え、カボチャなど素朴な料理が並びます。その中で異彩を放っていたのがフグ刺し。トラフグではなく、ショウサイフグとのことですが、驚異のウマさ!
バイク好きの主人との会話が弾みました。Rodeoというブランドの2リッターVツイン、リジッドフレームのアメリカンに乗っていて、燃費が約7km/L。タンクが13Lほどで、航続距離100km程度。しかも始終壊れて修理ばかりでご苦労されているとのことでした。