小さい二輪車ライフ、小さい旅

最終更新日: 2016/08/21

夏の大鹿村と飯田 2016年8月

  1日目 >2日目

梅雨の時期からどうも具合が少々おかしく、ただの夏バテなのか、若しくは前年10月に自転車で交通事故に遭った際の怪我の治療疲れが出てきたのでしょう。特に体調が良くないわけではなく、どこかしっくりこないというか、心と体が分離しかけているようでもあり、何も考えず芯から安心できる行先として大鹿村を選んだのでした。

1日目 自宅→ 伊那大島→ 大鹿村

旧盆前後は暑さに加え、どうも天候が不安定。しかもタイミング悪く台風7号が関東地方に近づく影響で現地の降水確率が高い。1日目40%前後、2日目50-70%。
当初はあきらめて全行程電車とバスを利用するつもりでいました。でも負荷の少ない楽勝プランですし、前日になって思い直し、雨具を準備、荷物は防水に気を配ったパッキングを施しました。
いつもは旅の相棒がRALEIGH CRNなのですけど、今回は気象条件が悪くても走れそうなARAYA Diagonaleを連れていきます。


飯田駅で普通茅野行きへ乗り換え


伊那大島駅を出発

お昼をずいぶん過ぎた時刻に伊那大島駅へ到着。ここで自転車を組み立てます。しかし長野県なのに暑い。曇りのち雨という天気予報は大きく外れたようです。日陰にある温度計が35℃を示していました。日なたはさらに温度が高く、体温を超えていることでしょう。まぁあれこれ考えずに走りましょう。


山間部へ


小渋ダム

暑さのせいでしょう、死んだように静まり返った伊那大島の街中を抜けて山間部へ入っていきます。たいした上りではないのに大量の汗が流れ出ます。熱気が淀んでいて重い。このまま走っているとおかしくなりそうです。
不快感マックス状態となり、このままではマズイと感じ始めたとき、幸いにも空が曇ってきました。しかも僅かに涼風を感じます。ああ良かった、助かったと思いつつトンネルを抜けること2本目。とうとう降ってきました。


雨宿り


上がりました

トンネル内でしばし雨宿りしましたが、強かった雨の勢いは少々弱まったものの、一向に止む気配はありません。雨具を着込み、雨の中を走りだしました。前後フルサイズのマッドガードを備え、ツーリング向けタイヤを履いたARAYA Diagonaleは、条件が悪くても乗り手にあまり不安を与えずに走ってくれます。重量級だけど頼もしいです。
大鹿村の役場で少し休憩していると雨は止み、再び夏の日差しが照りつけ、路面からはもうもうと水蒸気が上がるようになりました。
役場を過ぎて大河原地区中心部に近づくと、完全に路面が乾いていて雨が降った痕跡がありません。たかだか数キロ離れただけでずいぶん気象が異なるものです。宿の女将さんによると「ここ何日も降りそうで降らないんですよ」とのこと。

この日はたった25kmほど、標高差250m上っただけにもかかわらず、前日よりも体重が2.5kg落ちていました。気づかないうちに消耗していたのですね。たらふく飲んで、ガッツリ食べますよ。


穏やかな鹿塩川


夕食がおいしい!

女将さんはフツーですよと仰るけれど、夕食のどれもこれもが美味しい。いささかビールを飲み過ぎて、せっかくの大鹿村の涼しい夜を、火照った体を持て余して過ごすことになってしまいました。

オートバイや四輪車では何度か訪れたことのある大鹿村ですけど、こうして自転車で走ってくると、改めて素晴らしいと感じます。絶景がすごいわけじゃない。名産品を存分に楽しめるわけじゃない。日本の原風景でもない。何もない原野でもない。
何が良いのか説明するのに困りますが、自然も人も何もかもが調和していて、五感では認知できない何かに、私の無意識が感応し解放されている気がします。
何もせずに、大鹿村に心身を委ねてしまえばよい。そんな、俗界とは隔絶されたかのような、純度の高い一帯のように思えます。
なぜそうなのか─ 中央アルプスと南アルプスに阻まれ、関東からも京阪神からも分断されているだけでなく、さらに天竜川からも離れ、地理的には半ば孤立状態。地下資源や農業資源、労働資源もなく、中央資本の搾取の対象になり得ない。
なのにある程度まとまった人々が平和に暮らしている地域。他所では衰退していく地域や、人口減少に伴い自然に侵食されていく地域を目にすることが多いのに、ここ大鹿村は自然も人も穏やか。住民の方々が大変な労力をかけている結果なのかもしれませんけれど、私にはそう見えるのでした。