信州の峠道 大平街道 2009/8月
南木曽〜木曽見茶屋(前編) >木曽見茶屋〜飯田(後編)へ
少し前に大平宿へのサイクリングツアーを知人に誘われていたのですが、あいにく都合が合わず、参加できませんでした。
しかしそうなったらそうなったでますます行きたくなっちゃうのが私の悪い性癖。
今年は梅雨が長く、ほとんど自転車に乗っていなくて筋肉も体力も無いというのに、“現地をじっくり見て回ることよりも、第一目的を完走にしよう。だいじょうぶでしょ、行っちゃえ〜” なんて、お気楽に考え、根拠の無い、変な自信と共に、テキトーな準備のまま出発しました。
こうしてサイクリストとしての私の、短い夏が始まったのでした。
※文中、軟弱サイクリストの弱音ばかり出てきますが、どうかご容赦ください。
万年運動不足中年が思いつきで峠を上ってはいけないという反面教師にでもなればと思います。
南木曽〜木曽見茶屋(前編)
自分一人で行くので今回は輪行して電車で行きます。
車に比べて確かに不便なところもありますけど、最も “旅” 気分が味わえるのです!
最寄駅で輪行
中央本線を利用します
ここで私のおバカさが露呈。気合を入れて早起きし、家を出てきたのはいいんですけど、下調べが不十分だったことから、電車の乗り換え接続が悪く、中津川駅で1時間以上も待ってました。
いくらテキトーでいいといっても、さすがにこの調子じゃ先が思いやられますね。
南木曽駅に到着したのが10:30ごろ。
ここまでコンビニも無ければ、駅の売店も無く、飲料も食糧も何も準備できていないので、駅の周辺をささっと探してみました。自販機はあるものの、コンビニは無く、土産物屋におにぎりやお弁当は無し。お菓子やパンの類はあれど、それじゃ力が出ない…
仕方なく そのまま自転車を組み立て、走り始めました。
と、小さなスーパーを発見! ここで買っておかないと、いつ買えるかわからない。狭い店内を探し、非常食として おにぎり2つとミニ塩大福を購入。
これでやっと出発です。この時点で既に11:30になろうかというところでした。
国道19号線に入ると大型トラックがバンバン走っていて、ビビリながら南へ向かいます。
体力も心配でしたが、ここは下りが多く快調に走ると、ほどなく国道256号線との分岐点に着きました。なあんだ、この調子なら心配することは無いな、この時点ではそんな余裕もできていたのですが…
国道256号線に入ると、上りが始まりました。
雨でないのは助かりますが、突き刺すような、夏の日差しが痛い。あまり自転車に乗っていなかったせいか、やけに体が重いです。
妻籠では旧道を通らず、そのまま国道を走りました。観光客がたくさん歩いている中、旧道の両側を眺めながら自転車を押して歩く余裕は無いのです。
困ったのは昼食。“国道沿いに何かあるでしょ” と気軽に考えていました。
たしかに3軒ほど見かけましたが、1軒は大混雑で、もう1軒は準備中。最後の1軒は高級懐石風。
悩みつつも先へ行くことにしたのが間違いだったのかもしれません。
容赦なく日差しは降り注ぎ、勾配をキツく感じるようになりました。体がようやく自転車モードになったのか、脚は回ります。
でも長年の経験から、このまま調子に乗ってはいけないことを感じていました。そう、昼食を摂っていないのに、腹が減っていないからです。
木曽路ランドというところに到着、やれやれ、これで昼食にありつけるかと思ったのですが、ここでは地ビールバイキングしか無いようで、なんだか私は思い切り場違い。
先を急ごうと思いましたが、慌ててはまずいと思い直し、非常食のおにぎりをひとつ食べました。
時刻はとっくに12時を回っています。少々テキトーですが、昨夜ネットをチラチラ見て、この先に食事処がありそうだったことを思い出し、先へ向かいます。
噴出す汗に閉口しつつ、あららぎ温泉の看板から側道へ入り、外見は質素な、温泉施設を見つけました。
食事もとれるようなことが表示されていましたけど、温泉とセットなのか、人の気配が無く、もう少し先へ、蘭(あららぎ)の中心部まで行ってみることにしました。
尾越〜中折〜と集落の中を走ります。
上ってはいますが勾配はそれほどでもなく、道筋の家々の雰囲気と相まって、まるで高度成長期以前の昭和にタイムスリップしたかのようです。よろずや風の商店には “百貨店” と手書きの看板が掲げられていたり。
しかし困ったことに行けども行けども飯屋の類がゼロ。次第に勾配がキツい区間も現れるようになり、私はすっかり体力を消耗し、冷静な判断ができなくなりつつありました。
広瀬を抜け、大山へ入ったあたりで一旦休止。非常食の塩大福に手をつけることに。
体力が無くなってきました
ここで旨塩大福を
まだ街道に入っていないのに もう1時が近くなってきています。
こんなんじゃダメかもしれない、ぼんやりとそう考え始めました。
キツくなった勾配を上ろうにも、もう体力が尽きかけていて、とうとう “押し” が入りました。まずいです。大平峠はまだまだずっと先。勾配が少し緩くなったところで再び漕ぎ出すも、国道256号に出てみたら、道を間違えたらしく行き過ぎていたことがわかって愕然としました。
しかたない、他に選択肢はありません。国道を妻籠方面へ引き返します。途中何件もの商店がありましたが、木工製品の売店ばかりで食事処は一切無し。
そのうち大平街道の入り口に到着すると、そのまま細い道を上るしかありませんでした。
ところがすぐにバテてしまい、休止。
ほんとダメです。昼食を食べ損なった自分の不手際もさることながら、サイクリストとしての基本的な体力が無い。峠まで上れる自信なんて これっぽっちもありません。ひたすら苦しい、つらい。もう2度とここには来ないでしょう。
とはいえ、ここでやめて帰るのも 気が引けます。せっかく来たのに、しかもまた妻籠を通るのも癪だし、交通量の多い国道19号の坂を上るのはもっと嫌だ。
しかしキツイ。木立が直射日光を遮ってくれるのは助かりますが、汗だくの私はボトルの飲料を飲んでばかり。たまらず時折 自転車を降りて押すようになっていました。
激坂でもないのに情けない。やっぱりろくに体力をつけずに来たのは間違いだった。自分のバカさ加減が嫌になる。いつやめようか、どこでやめようか、そんなことばかり考えるようになっていました。
息を切らしながら少しずつ上っていくと、木曽見茶屋まであと6kmの看板が見えました。よし、この茶屋までは行こう、そう思ってみたものの、もう体力は限界。体調もおかしい。発汗が止まることは無く、全身汗まみれ。頭と手や脚の筋肉はどうしようもないほど熱くなっているのがわかります。なのに腹の辺りがありえないほど冷たくなっていました。たぶん胃腸は機能停止しているのでしょう。標高も高くなっているせいか、空気が少しひんやりしていて、胸〜腹部の表面は相当冷たい。
休んでも呼吸はずっと荒いまま、頭痛もします。おかしい。
医学的にまずい状態になっているのかもしれません。熱中症とか脱水症状とか、そんな言葉が頭に浮かんで消えなくなっていました。多臓器不全というのは大げさでしょうが、そんな表現も頭をかすめました。このまま進んでいいんだろうか? 何かすごく体に悪いことをしているのではないのでしょうか?
既にプルプル来ていた脚、膝の上あたりに とうとう激痛の気配を感じるようになってしまいました。たまらず自転車を降りるも、痛みの気配は無くなりません。そのまま自転車を押すしかありませんでした。
私にはクリートなんて一生無縁なものかもしれません。冷静に考えれば、一度も押さずに峠を上るなんて この先も無いことでしょう。もちろんカッチョイイ、カラフルなロードバイクにも乗れないですね。
それにしても歩くってスゴイ。勾配があると自転車に乗った状態では もう前に進むことはできなくとも、こんな体調でも歩を進めることはできる。1メートル、2メートル、とわずかずつですが進んでいるのです。なんか この自転車がひどく邪魔に思えてきました。
もはや自分がどのあたりにいるのか、茶屋にたどりつけるのか、全くわからなくなっていました。あと数kmなのに すごくすごく遠い。時間だけがどんどん過ぎていきました。
そうだ、茶屋に着いたらタクシーを呼んでもいいや。輪行すれば この自転車も載せられるだろう。それで飯田に行こう。恥ずかしいけど、しょうがない、準備不足のツケだ。
軟弱者が標高差1,000m上って、大平峠を越えるなんて、やっぱり夢物語なんだ。
どのくらい時間が経ったのでしょう。乗っては押し、押しては乗り、を繰り返していると木曽見茶屋まであと1kmの表示が見えました。そうかといって力が湧くはずもなく、瀕死の状態で とぼとぼと上っていきました。あと1kmのはずなのに長い。果てしなく長い。
時刻は もう2時。
前方に小屋らしきものが見えました! これで終わりだ。終われる。あらん限りの体力を振り絞ってペダルを漕ぎ、救出された遭難者のように茶屋に入ると、もう放心状態。
疲れすぎて ろれつが回らない状態なのを隠しもせず、月見山菜そばを注文しました。
そばの前に500mlペットボトルのお茶を ほぼ一気飲みし、水分を補給、続いてそばへ。
救われました。濃い目の味付けの山菜と、塩気のある汁が体に染み込みます。
ああ、もういい。もう十分だ。
戸外の腰かけに倒れ込むようにして横になったのでした。
(木曽見茶屋〜飯田(後編)へつづく)